朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

適格者としてくださって

2020-07-31 18:20:24 | 聖書から
あなたは
根拠のないうわさを
流してはならない。出エジプト記23:1



パウロの手紙:
あなたは、
適格者と認められて神の前に立つ者、
恥じることのない働き手、
真理の言葉を正しく伝える者となるように
努めなさい。Ⅱテモテ:2:15



 ルカ22:14~20
 マルコ4:10~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/31;金)



わたしは
すべての国、
すべての言葉の民を集めるために臨む。
彼らは来て、
わたしの栄光を見る。イザヤ書66:18



ユダヤ人とギリシャ人の区別はなく、
すべての人に同じ主がおられ、
ご自分を呼び求めるすべての人を
豊かにお恵みになるからです。ロマ書10:12


 黙示録19:4~9
 マルコ4:21~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/1;土)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち、不適格者な者もなお、
大切に思っていてくださるのですね。



 それで、十字架刑の処刑を受けて死に、
三日目、死人の中より新しい霊のからだに復活し、
天の、【父で得ある神】の右の座に復帰されたイエスによって、
私たちに、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、
一つ心になって生きるようにと。



 ご自身の子とし、
神の国を受け継ぐのにふさわしい者、適格者に。
そして、この方の御前に立つとき、
恥じることのない者にしようと。
根拠のないうわさを流したりもすることのない者へと。



 飲んだぶどう酒、食べたパンが
食べた者のからだの中にあって
からだと一つになっているように、
みことばを受け入れる者が、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
イエスと一つ思いになつようにと。(ルカ22:14~20)



 すべての国、すべての種族、
世界中のすべてのことば語る人々の中から、
子羊の婚宴に招かれる幸いな人を。(黙示録19:4~9)



 だから、「聞いていることに注意しなさい。
あなたがたは、
自分が量るその秤はかりで
自分にも量り与えられるのだから」と言われるのですね。(マルコ4:21~25)
 今日も。





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聞く耳のある者は聞きなさい、と

2020-07-29 22:58:13 | 聖書から
主なる神の前で沈黙せよ。
主の日は近づいている。ゼファニア書1:7


聞く耳のある者は聞きなさい。マルコ4:9



 Ⅰコリント10:16、17
 マルコ4:1~9(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句7/30;木)


 私たちは、心の中のどこかに
「神は、良いことも悪いこともしない」と思っているところがあります。



 けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は言われます。
「口をつぐめ。
【主】の日は近い」、と。



 天の神、【主】が、私たち一人ひとりを
そのやって来た仕業に応じて報いられる日が近いのだから、と。



 だから、口をつぐみ、
自分の理性で善し悪しを判断し、
あれこれ思うことをやめるように、と。
聞く耳のある者、聞く心のある者は聞きなさい、と言われる。



 同じ神からのことばを聞いても、
聞く者の心の状態で結果は大きく変わるのですから。
農夫によって蒔かれた種が、
ある種は道ばたに落ち、鳥が来て食べてしまい、

 また、土の薄い岩地に落ちて、
土が深くないのですぐ芽を出したが、根づかず、枯れてしまい、

あるいは、茨いばらの中に落ちて、
いばらが伸びてふさがれてしまうように。

 けれども、耕された良い地に落ちれば、
育って実を結び、30倍、60倍、100倍になる、と。(マルコ4:1~9)



 神である【主】は、私たちが、
聖餐式で、一つの杯からのぶどう酒を飲み、
裂かれた一つのパンを食べることで、
一人ひとりが、イエスの一つのからだに加えられていることを
確認しあうように(Ⅰコリント10:16、17)、と言われました。



 飲んだぶどう酒、食べたパンが
食べた者のからだと一つになるように、
私たち一人ひとりも、
イエスの御思いがわたしの思いの中にあり、
私の思いがイエスの御思いの中にある、
一つになる関係に入るように、と。



 十字架刑での処刑を受けて死に、
「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになり、
「的外れ」になっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑を受けて死んだものとしてくださっているイエス。



 墓に葬られ、
三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス。



 そのイエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方。
この方が、私たちの心に、
【父である神】の私たち一人ひとりに対する御思いを置いて、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者、聞く耳のある者が
【父である神】と思いを一つにして生きるように、
と招いていてくださるのだそうですから。



 聞く耳のある者は聞きなさい、と。
自分の理性の、善し悪しの判断に沈黙して。
今日も。





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何も持たずに母の胎を出、何も持たずにこの世を去って行くのですから

2020-07-28 21:29:30 | 聖書から
私は裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。ヨブ記1:21



私たちは、
何も持たずに世に生まれ、
世を去るときは
何も持って行くことができません。
食べる物と着る物があれば、
私たちはそれで満足すべきです。Ⅰテモテ6:7~8



 使徒10:(21~23)24~36
 ミカ書7:8~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/29;水)


 私たちは、裸で、何も持たずに生まれて来て、
何も持たずにこの地上を去っていくのですね。



 だから、必要以上にものを持とうとするのは、
空しいこと、のようです。
この地上にあって、まず、求めるべきは、
死の向こうにまで通用するもの、
私たちの造り主、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)との
正常な関係の回復なのだそうです。



 カイザリアにいた、
征服者である
ローマ軍のイタリア隊の百人隊長のコルネリウスが、
征服されている民族の、
しかも、ガリラヤ湖の漁師であった名もないユダヤ人、
ペテロを招いて、
イエスによる平和の福音を聞こうとしていったように。(使徒10:21~36)



 私たちも、
このイエスによって神と思いを一つにしていく関係へと。
今日も。







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神の知恵、英知、助けの中を

2020-07-27 21:48:00 | 聖書から
知恵を授けるのは主。
主の口は知識と英知を与える。箴言2:6

あなたがたの中で
知恵の欠けている人がいれば、
だれにでも惜しみなく、
とがめだてしないでお与えになる
神に願いなさい。
そうすれば、あたえられます。ヤコブ書1:5

 ヨハネ6:47~56
 ミカ書6:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/27;月)




今まで、
主は我々を助けてくださった。サムエル記上7:12

私たちは、
四方から苦しめられても行き詰らず、
途方に暮れても失望しません。Ⅱコリント4:8

 マタイ22:1~14
 ミカ書7:1~7(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/28;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち人間に知恵と知識、英知を与えてくださる方。

 だから、私たちは、
知恵のない、知識の足りない自分を感じるとき、
ない者であると認めて、
この方に聞いていけばいいのだそうです。

 私たちは、信仰によってでも、
自分が知恵あるもの、知識のある者になり、
いよいよ、自分で「善悪」を判断できる者となって、
この方なしでやって行けるようになろうとする者です。

 けれども、ないままでも、
必要のたびにこの方に聞いていけばいいのだそうです。
この方が、
私たちを行くべき道に導いてくださるのだそうですから。



 この方は私たちを助けてくださる方。
私たちは、四方から苦しめられて行き詰ったり、
途方に暮れてしまうときがあります。
しかし、この方の助けがあるので、行き詰りきることはなく、
途方に暮れても、なお、望みがあるのだそうです。


 それで、王子の結婚の披露宴に、
通りを歩いていて招かれ、
王から婚礼用の礼服を渡されたのに、
それを着ようとしないで自分の服のままでいて、
披露宴から出されてしまった人のように(マタイ22:1~14)、
イエスの御思いと一つになろうとしないで、
自分の思いだけでいく生き方に固執しないほうがいいようですね。




 イエスの肉を食べ、イエスの血を飲む(ヨハネ6:47~56)。
私たちのからだが、パン(食べた物)で出来ており、
だから、ある意味で、
私たちのからだがパン(食べた物)の中にあり、
また、食べたパンがからだの中にある、とも、言えるのですね。

 そのように、霊の出来事として、
私たちの思いがイエスの御思いの中にあり、
イエスの御思いが私たちの中にある、
イエスと思いを一つにする者、

王の出してくれた礼服を着て、
王子の婚宴の大宴会に出る者と
していってくださるのだそうですから。

 私たちも、神である【主】を仰ぎ見、
救いの神を待ち望みながら(ミカ7:7)、
神の知恵と助けの中で。
今日も。







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神と心を一つにする者に。神の家族として

2020-07-25 21:25:20 | 聖書から
あなたがたはもはや、
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、
神の家族です。エフェソ書2:19(7/26の週の聖句)



造り主を尊ぶ人は
乏しい人を憐れむ。箴言14:31 


イエスの言葉:
わたしの兄弟である
この最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。マタイ25:40

 ヨハネ6:1~15
 詩51(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/26;Ⅳ日曜) 


 私たちは、キリストから遠く離れ、
イスラエルの民からは除外され、
約束の契約については他国人で、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。

 けれども、そのような私たちを、
天の神、【主】、
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なお、いとおしみ、大切に思ってくださって、
聖なる民に属する者、神の家族としていてくださるのだそうです。

 【父である神】は、
人となられ、私たちすべての人間の身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けられた【御子なる神】、
イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって、
ご自身の御思いを私たち一人ひとりの心に置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者が
ご自身と思いを一つにして生きるようにしていてくださって。



 それで、この、私たちの造り主である方を尊ぶ人は、
この方が思っておられるように
乏しい人、貧しい人を心に留めるようになるのだそうです。

 イエスが、私たち一人ひとりを兄弟と呼んでくださり、
その最も小さい者の一人にしたことを、
イエスご自身にしてくれたことと受け取っておられるように。





 イエスが舟に乗って、
ガリラヤ湖の向こう岸の寂しい所へ退かれたとき、
人々は岸沿いに歩いてイエスを追いかけて来たのだそうです。

 それで、イエスは、
人々を空腹のまま帰らせたら、途中で弱ってしまうだろうと
かわいそうに思われ、
12弟子の一人、ピリポに言われたのだそうです。
「どこからパンを買って来て、この人たちにたべさせようか。」


 ピリポは、答えた。
「一人ひとりが少しずつ取るにしても、
200デナリ(労働者200日分の日当)のパンでは足りません。」



 たまたま、少年の一人が持っていた
大麦のパン5つと魚2匹があったので、
イエスは、「人々を座らせなさい」と言われ、
天を見上げて神をほめたたえ、感謝の祈りをささげてから裂き、
弟子たちに渡され、
弟子たちはそれを人々に配ったので、
人々は食べて満腹しだそうです。
女、子どもを除いた、男だけでも5000人いた人々が。

 そして、イエスは、
「一つも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい」
と言われたので、弟子たちが集めると、
大麦のパン5つを食べて余ったパン切れで、
12のかごがいっぱいになったのだそうです。(ヨハネ14:1~15)



 【聖である霊】と呼ばれる方は、
そのような神の御思いを
私たちの心に置いてくださるのだそうですから。


 それで、私たちもダビデのようにうたうのですね。
「神よ 私にきよい心を造り、
揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。
私を あなたの御前から投げ捨てず 
あなたの聖なる御霊みたまを 
私から取り去らないでください。
あなたの救いの喜びを私に戻し
仕えることを喜ぶ霊で 私を支えてください。」(詩篇51:10~12)と。

この新しい週も。







聖書のことばへの疑問、
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