朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

隠れたい自分、隠しておきたい場を、差し出し、知ってもらって

2020-06-30 21:44:01 | 聖書から
誰かが隠れ場に身を隠したなら、
わたしは彼を見つけられないというのか、
と主は言われる。
天をも地をも、
わたしは満たしているではないかと、
主は言われる。エレミヤ書23:24



神を愛する人がいれば、
その人は神に知られているのです。Ⅰコリント8:3

 ミカ書7:7~9、18~20
 列王記上12:1~19

 私たちも、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)から身を避けて
隠れようとするのですね。
あるいは、失敗の場所、都合の悪い場所を隠そうと。
アダムとエバがこの方を避けて、木々の間に身を隠して以来、
ずっと。



 けれども、
「どうやって、わたしから隠れることができるのか」と、
この方は言われるのですね。



 この方を愛している人は、
隠れること、隠すことをやめて、
この方の御前にありのままを差し出し、
見てもらい、知ってもらう人なのだそうです。

 この方は私たちの咎とがを除き、
背きを見過ごしてくださる方なのだそうです。
私たちが受けるはずの御怒りは、全部、
御子であるイエスの上に置き、
私たちの代わりとしてイエスを死刑にして。(ミカ7:7~9、18~20)



 私たちも、隠れてしまいたい自分を、
隠しておきたい失敗や弱さを
そのまま、この方の御前に差し出し、見てもらい、知ってもらい、
後始末、しりぬぐいをしてもらって。
イエスが全部引き受けていてくださるのだそうですから。
今日も。





(聖書についての疑問、
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また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
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思い煩い、求めているもののいっさいを、この方に打ち明けながら

2020-06-29 12:03:05 | 聖書から
ダニエルの言葉:
神様が天使を送って
獅子の口を閉ざしてくださいましたので、
私は
なんの危害も受けませんでした。ダニエル書6:23



私たちは虐げられても見捨てられず、
打ち倒されても滅ぼされない。Ⅱコリント4:9

 ルカ7:36~50
 列王記上11:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/29;月)


心よ、
主はお前に言われる。
「わたしの顔を尋ね求めよ」と。
主よ、
私は御顔を尋ね求めます。詩27:8



どんなことでも、
思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、
感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを
神に打ち明けなさい。フィリピ書4:6



 士師記10:6~16
 列王記上11:26~43(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/30;火)


 ダニエルが同僚たちからねたまれて、謀はかられ、
獅子の穴に投げ込まれたとき、
獅子は腹を減らしていたにもかかわらず、
ダニエルを襲うことはしないでおとなしくしていたのだそうです。



 ダニエルとともにおられ、ダニエルを守られた神は、
私たちとも、ともにいて下さるのだそうです。



 だから、私たちも
四方八方から苦しめられることがありますが、窮することはなく、
途方に暮れますが、行き詰ることはないのですね。
虐げられ、迫害されることがありますが、
見捨てられることはなく、
打ち倒されることがありますが、
滅ぼされることはないのですね。




 自分を正しい者だとする人たちから、非難され、
軽蔑され、無視されていた罪深い女性に対し、
イエスは、
彼女が多く愛しているのを見て、多く赦されていることを認め、
「あなたの罪は赦されています」と宣告し、
「安心して行きなさい」と言われたように。(ルカ7:36~50)



 また、彼女とは逆に、
国を治めるために神に知恵を求め、
神の祝福をいただいていたソロモンは、
多く異邦の妻たちを愛し、その妻たちに心を転じられ、
その妻たちの神々を拝み、
彼の神、【主】と心を一つにする場からズレていってしまい、
王国が分裂する原因を作ってしまったのだそうです。(Ⅰ列王11:1~43)




 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「わたしの顔を尋ね求めよ」と言われているのですね。
「わたしと思いを一つにしていってほしい」、と。



 そして、また、「あなたの思っていることを話してほしい」、と。
「わたしの思いがあなたがたのうちにあり、
あなた方の思いがわたしのうちにあるようになりたい」、と。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)



 だから、どんなことでも、
「あなた一人で思い煩っていないで、わたしに話してほしい。
求めるものを言ってきてほしい」、と。




 この方は、かつて、イスラエルの人々が、
ご自分を捨て、近隣の人々の神々に仕えるようになったとき、
イスラエルの人々を怒り、
彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡されたのだそうです。



 それで、ヨルダン川の東側にいた人々は、
18年の間、アンモン人に虐しいたげられ、
アンモン人は、さらにヨルダン川の西側にまで攻めて来たので、
イスラエルの人々は大変な苦境に立たされたのだそうです。



 それで、イスラエルの人々は、
天の神、【主】に叫んだのだそうです。
「私たちはあなたに罪を犯しました。
私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです」、と。


 すると、【主】は言われたのだそうです。
「わたしは、かつてエジプト人、アモリ人、
アンモン人、ペリシテ人から、
また、シドン人、アマレク人、マオン人があなたがたを虐しいたげて
あなたがたがわたしに叫んだたとき、
あなたがたを彼らの手から救ったではないか。



 しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。
だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。
行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。
あなたがたが苦しみの時には、彼らが救ってくれるだろう。」



 けれどもイスラエルの人々は【主】に言ったのですね。
「私たちは罪を犯しました。
あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。
ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。」



 彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って
【主】に仕えたので、
この方はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられて、
助け手としてエフタを送られたのだそうです。(士師10:6~16)



 私たちも、外れた場からこのかたに立ち返り、
この方の御思いを求め、
また、私たちの思いのそのままをこの方に打ち明けて、
この方と思いを一つにする者へと。
この方の守りの中へ。
今日も。





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いつでも、どんな時にも、この方と向き合って

2020-06-28 06:53:06 | 聖書から
人の子は、

失われたものを捜して救うために
来たのである。ルカ19:10(6/28の週の聖句)



私は
絶えず主に相対しています。詩16:8



鋤(すき)に手をかけてから
後ろを振り向く者は、
神の国にふさわしくない。ルカ9:62



 ルカ15:1~3、11b~32
 詩106:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/28;Ⅳ日曜)

 【御子である神】が、
天の栄光の座を後にして、人間となり、
人間の世界に来られたのは、
正しい者、立派な者、
自分でちゃんとやっていける者を招くためではなく、


失われた者、行き悩んでいる者を探し出して救うため、
だったのですね。



 野原で、群れから迷い出た羊の一匹を探し回り、
見つけたら肩に乗せて帰り、
近所の人を集めて大喜びする羊飼いのように。



 また、父親に、自分の相続分の生前贈与を迫り、
それを金に換えて家を出て行ってしまった息子の帰りを、
今日か、今日かと待ち、
遠い町で放蕩して、財産を使い果たし、
落ちぶれて帰ってきた息子を見つけると
走り寄って抱きしめ、
祝いの宴会を始めた父親のように。(ルカ15:1~3、11b~32)



 それで、私たちも、
自分でちゃんとやれたときだけではなく、
失敗の場所、ダメな場所、
どんなところでも、いつでも、この方の前に出て、
この方と向き合っていることができるのですね。



 後ろを振り向かず、
過ぎ去ったことに心を向けず、
前におられる方がどのようにされるかを期待して。



 エジプトを出てからも、
ことあるごとにつぶやき、
逆らうイスラエルの民(詩篇106:6~23)、



 そして自分のところに来られた救い主を
十字架につけるこの民を、
この方はなお、見捨てず、捜し出し、
救ってくださるのだそうですから。



 私たちにも。
この新しい週も。





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栄華を極めたソロモンよりも豊かな者に、と

2020-06-27 10:47:55 | 聖書から
どうか御心に留めてください。
既にいにしえからご自分のものとし、
嗣業の部族として贖われた会衆を。詩74:2



あなた方は、
私達の主イエス・キリストの恵みを知っています。

すなわち、主は豊かであったのに
あなたがたのために貧しくなられました。
それは、主の貧しさによって、
あなた方が
豊かになるためだったのです。Ⅱコリント8:9



 ルカ3:10~18
 列王記上10:14~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/27;土)


 天の神、【主】、
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と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分のものとして選び、
ご自身を受け継ぐ者とされたイスラエルの民を
忘れたり、捨てたりされることなないのですね。



 そして、私たち異邦人、
もろもろの契約とは関係がなく、
神なく、望みなく生きていた者を、
その、ご自分の民に加え、
貧しい者であった私たちを
ご自分の富で豊かにしようと、





 【御子である神】ご自身が貧しくなってくださったのだそうです。
天で、天使の万軍に仕えられる身分を捨てて
人となり、人の世に来てくださったのだそうですから。



 しかも、人の中でも、
王や大富豪、学者の家にではなく、
「ナザレから何の良い者が出るだろう」とあざけられるナザレの、
貧しい大工の息子として。



 旅先のこととはいえ、家に入る余地がなく、
家畜小屋で、布に包まれて飼い葉おけに寝かされて。



 そして、最期は、神に背き、神に呪われた者となり、
【父である神】から見放され、
ローマ帝国のもっとも残酷な死刑である十字架刑で処刑されて。





 【父である神】は、この、イエスの死によって
私たちを豊かな者、
富む者としてくださっているのだそうですから。
聖霊と火でバプテスマして(ルカ3:16)。



 栄華を極めたソロモンよりも
もっと豊かな者へと。(Ⅰ列王10:14~24)

 今日も。





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過ぎ去って行く、この世にあって

2020-06-25 20:48:04 | 聖書から
いかに幸いなことか。
裁きを守り、
どのような時にも
恵みの業を果たす人は。詩106:3



世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。
しかし、神の御心を行う人は
永遠に生き続けます。Ⅰヨハネ2:17



 使徒13:15~25
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 幸いなのですね。
どんな時にも、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)と思いを一つにし、
心を一つにして歩む者は。



 この世とこの世にあるものはみな、
過ぎ去って行くのだそうです。
肉の欲、目の欲を満たすものも、暮らし向きの自慢なども。



 けれども、この方と心と思いを一つにし、
この方が思われているとおりに生きていく者は、
過ぎ去ることなく、
この方の御前で永遠に生き続けることになるのだそうですから。



 ダビデが、
「彼はわたしの心にかなったもので、
わたしが望むことをすべて成し遂げる」と言われ、



 また、バプテスマのヨハネが、
イエスが世に現れる前に悔い改めのバプテスマを宣べ伝えて、
イエスの前に道を整える者の立場を
全うしていったように。(使徒13:22~25)



 シェバの女王はソロモン王に、
「なんと幸せなことでしょう。
あなたにつく人たちは。
なんと幸せなことでしょう。
いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、
このあなたの家来たちは。



 あなたの神、主がほめたたえられますように。
主はあなたを喜び、
イスラエルの王座にあなたを就かせられました。
【主】はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、
あなたを王とし、
公正と正義を行わせるのです」(Ⅰ列王10:8~9)
と言っているように、





 天の神、主は、私たちを御前におらせてくださって、
その知恵を聞き、
御思いを過ぎゆくこの世に実行する者として、
用いてくださるのだそうですから。



 過ぎ行かない者、
いつまでも生き続ける者にしてくださって。

今日も。





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