朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

苦難の日に、手を神に伸ばして

2023-07-29 12:11:34 | 聖書から
苦難の日に私は主を求める。
私の手は夜も主に向かって伸ばされ、
止むことはない。詩篇77:3(独)



イエスは弟子たちに言われた。
「わたしの魂は
死ぬばかりに悲しんでいる。
ここに留まってわたしと一緒に
目を覚ましていなさい。」
そして少し先に行き、
ひれ伏して祈られた。マタイ26:38~39(独)



 黙示録9:4~9

 マタイ8:1~4(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』7/29;土)



   ―――― α&ω ――――



 苦難の日に、私たちは
神である【主】
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に向かって叫び、
求めるのですね。



イエスが、十字架刑での死刑を明日に控えて、
ゲツセマネの園で身を投げ出し、
【父である神】に叫ばれたように。





 神は、ヨハネに天での様子を見せられました。
それをヨハネは、黙示録19:4~9で次のように記しています。



すると、24人の長老たちと四つの生き物はひれ伏して、
御座に着いておられる神を礼拝して言った。
「アーメン。ハレルヤ。」


また、御座から声が出て、こう言った。
「神のすべてのしもべたちよ、
神を恐れる者たちよ、
小さい者も大きい者も私たちの神を賛美せよ。」



また私は、大群衆の声ような、大水のとどろきのような、
激しい雷鳴のようなものがこういうのを聞いた。
「ハレルヤ。
私たちの神である主、全能者が王となられた。
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。
子羊の婚礼の時が来て、
花嫁は用意ができたのだから。
花嫁は、輝くきよい亜麻布を
まとうことを許された。
その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」


御使いは私に、
「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、
と書き記しなさい。』と言い、
また、「これらは神の真実のことばである」と言った。





 マタイの記事は続きます。
イエスが山から下りて来られると、
大勢の群衆がイエスに従った。
すると見よ。
ツァラート(重い皮膚病)に冒された人が
みもとにやって来て、イエスに向かってひれ伏し、
「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」
と言った。



イエスは手を伸ばして彼にさわり、
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。
すると、すぐに彼のツァラートはきよめられた。



イエスは彼に言われた。
「だれにも話さないように気をつけなさい。
ただ行って自分を祭司に見せなさい。
そして人々への証しのために、
モーセが命じたささげ物をしなさい。」(マタイ8:1~4)





 天(霊の世界)では、神の御座の前で、大群衆、
いろいろな言語、民族の数えきれない多くの人々が
神に賛美をささげているのですね。



私たち、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
心に【父である神】の御思いを置いていただき、
【父である神】と思いを一つにしながら生きている者は、
この大群衆の中に入れていただけるのですね。
輝くきよい亜麻布を着せていただいて。





 イエスは、私たちすべての人間の身代わりとなって、
十字架刑での死刑を受けてくださり、
私自身である〔生まれたときからの私〕という霊、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」になって(創世記3:22)、
神の人間創造の目的から「的外れ」になっている霊を、
死んだもの、処刑が終わっているものと
してくださっているのですから。



そして、死んで墓に納められイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活されました。
そして、40日にわたって弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。



【父である神】は、
そのイエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心に
ご自身の御思いを置き、書き記してくださって、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるように
していてくださるのですから。





 このツァラアト(重い皮膚病)に冒された人は、
イエスが、
「お心一つで」この不治の病を癒すことができる方、
イエスがそう思われればそのとおりになる方。
「わたしはある(I am)」と名乗られる方であると認めて、
イエスの前にひれ伏し、願ったのですね。



その、この世界の創造主、
人間の住まいとして宇宙、地球の自然環境を造り、
人間を造られた側の方が、
私たちのために十字架刑での死刑を受けてくださり、
私たちに【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださる道を
開いてくださり、
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きる、
創造の目的どおりに生きる道を開いてくださったのですから。



私たちも、この地上にいる間も天に移されたときも、
この方に感謝と賛美をささげるのですね。

苦難のときも、
この方に思いのすべてを差し出し、
見ていただき、知っていただきながら。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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教会に行っていないけれど
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永遠の命を生きる

2023-07-27 08:38:22 | 聖書から
わたし、
このわたしが主であり、
ほかに救い主はいない。イザヤ書43:11



永遠の命とは、
唯一のまことの神であられるあなたと、
あなたのお遣わしになった
イエス・キリストを知ることです。ヨハネ17:3



 Ⅰコリント10:16~17
 マタイ7:12~23(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7;27;木)



   ―――― α&ω ――――

  

 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が言われるのですね。
「わたし、このわたしが主であり、
ほかに救い主はいない」と。




 また、イエスは、
【父なる神】に話しかけて言われました。
「永遠のいのちとは、
唯一のまことの神であるあなたと、
あなたが遣(つか)わされた
イエス・キリストを知ることです」と。





 パウロはコリントの信徒に書き送っています。
「私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、
キリストの血にあずかることではありませんか。
私たちが裂くパンは、
キリストのからだにあずかることではありませんか。
パンは一つですから、
私たちは大勢いても、一つのからだです。
皆がともに一つのパンを食べるのですから」と。





 永遠のいのちであるイエス・キリストを知ること」とは、
イエスを体験的に知りながら生きること。
イエスが十字架刑の死刑を受けて
流してくださった血(いのち)にあずかり、
イエスのからだにあずかりながら生きること。



飲んだ物、食べた物と食べた人が一つになるように、
イエスと一つになって生きること。



つまり、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
イエスと一つ思いになり、
イエスが、「わたしは、自分の思いを実行することではなく、
自分を遣わされた【父である神】の御思いを実行している。
自分の思いによっては、何一つしていない」
と仰る(ヨハネ6:38、8:28、12:49~50、14:10)、
そのイエスと一つ心になって、
【父である神】がしようと思われることをしていく生き方に
あずかっていく、ということなのでしょうね。





 イエスは言われます。
「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、
あなたがたも同じように人にしなさい。
これが律法と預言者です。



狭い門から入りなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広く、
そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門はなんと狭く、
その道もなんと細いことでしょう。
そして、それを見い出す者はわずかです。



偽預言者たちに用心しなさい。
彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、
内側は貪欲な狼です。
あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。


茨からぶどうが、
あざみからいちじくが採れるでしょうか。
良い木はみな良い実を結び、
悪い木は悪い実を結びます。
良い木が悪い実を結ぶことはできず、
また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。
良い実を結ばない木はみな切り倒されて、
火に投げ込まれます。



こういうわけで、あなたがたは
彼らを実によって見分けることになるのです。



わたしに向かって『主よ、主よ』という者がみな
天の御国に入るのではなく、
天におられるわたしの父のみこころを行う者が
入るのです。



その日には多くの者がわたしに言うでしょう。
『主よ、主よ、私たちはあなたの名によって預言し、
あなたの名によって悪霊を追い出し、
あなたの名によって
多くの奇跡を行ったではありませんか。』



しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきり言います。
『わたしはおまえたちをまったく知らない。
不法を行う者たち、
わたしから離れて行け。』」(マタイ7:12~23)





 私のうちにある悪い木、
それは神である【主】の創造の目的から
「的外れ」になっている私の
〔生まれたときからの私〕という霊なのでしょうね。



この
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
神に対立、対抗して、
私の誉れ、誇りを求めるばかりで(ロマ7:14~23)、
神である【主】と思いを一つにしようとはしないのですね。



イエスの名によって祈り、
イエスの名によって多くのことをしながら。



しかし、神はその私の〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字刑での死と一つにしてくださって
死んだもの、処刑されたもの、
切り倒された木としてくださり、
この〔生まれたときからの私〕から出て来る思いは、
死んだ者から出て来た思いであると認めて、
イエスの御前に投げ捨てていくようにしていてくださいます。



そのうえで私のうちに、イエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方をお遣わしくださり、
この方によって私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが【父である神】と一つ心になって
【父である神】がしようと思われることをしていく(ヨハネ14:12)、
良い木の生き方を生きさせてくださるのですから。



私たちも、【父である神】、
【御子イエス・キリスト】を体験し、知りながら。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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天の父は、求めて来る者に良いものを用意していてくださる方

2023-07-26 08:38:26 | 聖書から
アダムは妻と一緒に、
主である神の御顔を避けた。創世記3:8(独)




愛には恐れがない。
完全な愛は
恐れを締め出します。Ⅰヨハネ4:18


 使徒10:(21~23)24~36
 マタイ7:7~11(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/26;水) 



    ―――― α&ω ――――



 神である【主】の、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」(創世記1:26)との願いによって、
愛し合い、神と思いを一つにする者にと創造された人間。


しかし、最初の人アダムとエバは、
その創造された場に留まることを良しとせず、
もっと素晴らしい者に、
神のようになって善悪を知る者になろうとして、
「われわれ(神)の一人のようになり、善悪を知る者」
になってしまいました。
神である【主】の創造の目的から「的外れ」な者に。



そして、目が開かれ、
自分が裸なのを知ったアダムとエバは、
「あなたはどこにいるのか」との神の呼びかけに、
恐れて、園の木の間に身を隠した、のですね。
それまでは、ありのままで
神である【主】との交わりの中に居れたのに。



ヨハネは書いています。

「愛には恐れがない。
完全な愛は恐れを締め出します」と。


イエスによって現された
神である【主】の私たちに対する愛は完全であり、
私たちの恐れさえも締め出してしまうのですね。





 イエス在世当時のユダヤ人は、
異邦人、ユダヤ人以外の外国人は、
律法を持たない汚れた民であり、
交わったり、訪問したりすると汚(けが)れてしまう、
としていました。



それで、当初、イエスの弟子たちはユダヤ人だけでした。
けれども、イエス十字架刑での死と復活、
そして、天の【父である神】の右の座への復帰により、
私たち人間に来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方の出来事は、
ユダヤ人の枠の中だけに留まるものではなく、
すべての人間、全世界に広がるものでした。(使徒1:8)



この福音、うれしい知らせが
ユダヤ人の壁を越えて異邦人へと広がるためには、
ユダヤ人のこの固定観念が破られる必要があり、
そのために神である【主】は、ペテロを用いられました。



その時の様子をルカは次のように記しています。
ヤッファ(テルアビブにある地区)の
皮なめしシモンの家に泊まっていたペテロは、
人々が昼食の用意をしている間、
祈るため屋上に上りました。
そして夢心地になった。



すると天が開け、
大きな敷布のような入れ物が、
四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。
その中には、あらゆる四つ足の動物、
地を這(は)うもの、空の鳥がいた。


そして彼に、
「ペテロよ、立ち上がり、屠(ほふ)って食べなさい」
という声が聞こえた。
しかし、ペテロは言った。
「主よ、そんなことはできません。
私はまだ一度も、きよくない物や汚(けが)れた物を
食べたことがありません。」

すると、もう一度声が聞こえた。
「神がきよめた物を、
あなたがきよくないと言ってはならない。」



このようなことが三回あってから、
すぐにその入れ物は天に引き上げられた。

ペテロは幻について思い巡らしていたが、
御霊が彼に言われた。
「見なさい。三人の人があなたを訪ねて来ています。
さあ、下に降りて行き、
ためらわずに彼らと一緒に行きなさい。
わたしが彼らを遣(つか)わしたのです。



そこでペテロは、
その人たちのところに降りて行って、言った。
「あなたがたが探しているのは、この私です。
どんなご用でおいでになったのですか。」

すると、彼らは言った。
「正しい人で、神を恐れ、ユダヤの民全体に評判のよい
(異邦人、ローマ軍の)百人隊長コルネリウスが、
あなたを自分の家に招いて、あなたから話を聞くようにと、
聖なる御使いから示されました。」
それでペテロは、彼らを迎え入れて泊まらせた。



翌日、ペテロは立って、彼らと一緒に出かけた。
ヤッファの兄弟たちも数人同行した。
そして次の日、ペテロはカイサリアに着いた。
コルネリウスは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、
彼らを待っていた。


ペテロが着くと、コルネリウスは迎えに出て、
足もとにひれ伏して拝んだ。
するとペテロは彼を起こして、
「お立ちください。私も同じ人間です」と言った。


そして、コルネリウスとことばを交わしながら家に入り、
多くの人が集まっているのを見て、
その人たちにこう言った。
「ご存じのとおり、ユダヤ人には、外国人と交わったり、
外国人を訪問したりすることは許されていません。
ところが、神は私に、
どんな人のことも、きよくない者であるとか
汚(けが)れた者であるとか言ってはならないことを、
示してくださいました。
それで、お招きを受けたとき、ためらうことなく来たのです。
そこでお尋ねしますが、あなたがたは、どういうわけで
私をお招きになったのですか。」



すると、コルネリウスが言った。
「四日前のこの時刻に,
私が家で三時の祈りをしていますと、
なんと、輝いた衣を着た人が私の前に立って、
こう言いました。
『コルネリウス。
あなたの祈りは聞き入れられ、
あなたの施しは神の前に覚えられています。
だから、ヤッファに人を送って、
ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
この人は海辺にある、
皮なめし職人のシモンの家に泊まっています。』



それで、私はすぐにあなたのところに人を送ったのです。
ようこそおいでくださいました。
今、私たちはみな、主があなたにお命じになった
すべてのことを伺おうとして、御前に出ております。」



そこで、ペテロは口を開いてこう言った。
「これで私は、はっきり分かりました。
神はえこひいきをする方ではなく、
どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、
神に受け入れられます。
神はイスラエルの子らにみことばを送り、
イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。
このイエス・キリストは、
すべての人の王です。」(使徒10:9~36)





 また、イエスは言われました。

「求め(続け)なさい。
そうすれば与えられます。
探し(続け)なさい。
そうすれば見出します。
(門を)たたき(続け)なさい。
そうすれば開かれます。
だれでも、求めるものは受け、
探す者は見出し、
(門を)たたく者には開かれます。



あなたがたのうちのだれが、
自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。
魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、
自分の子どもには良いものを与えることを
知っているのです。
それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、
ご自分に求める者たちに、
良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」(マタイ7:7~11)





 かつて私たちは、異邦人で、無割礼の者、
キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、
約束の契約については他国人で、
この世にあって望みもなく、神のない者たちでした。


しかし、今では、
イエスの十字架刑での死と
三日目の、死人の中からの新しい霊のからだへの復活、
そして、天の、【父である神】の右の座に復帰された
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを一つにして生きる者、
神の子にしていただき、
神の子の生き方をする者になって、
「アバ、父よ」と呼ぶ者になっています。



だから、イエスが言われる
「天におられるあなたがたの父は、
ご自分に求める者たちに、
良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか」は、
私のこととして受けていけるのですね。



アダムのように自分の失敗、ダメな実態を見て、
身を隠す者ではなく、
神の愛に信頼して、
失敗や必要の一つひとつ、
思い煩いの一つひとつ、
思いのそのままを話していって、
聞いていただき、知っていただきながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いと思いを合わせて踏み出してみる
生き方をする者に、と。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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心から歌い、賛美して

2023-07-24 23:25:27 | 聖書から
あなたがたは今や、
もう客人でもよそ者でもありません。
聖なる者たちの同胞であり、
神の家族です。エフェソ書2:19(7/23の週の聖句)


私は大きな会衆の中で
あなたに感謝をささげ、
多くの群衆のもとで、
あなたをたたえます。詩篇35:18(独)



詩編と賛歌と霊的な歌で、
お互いに励まし合いなさい。
主に心から歌い、
奏(かな)でなさい。エフェソ書5:19(独)



 マタイ22:1~14
 マタイ7:1~6(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/25;火)



    ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」となって、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たちすべての人間を、
創造の目的のとおりに、
愛において御自身と思いを一つにして生きる者に回復し、
神の子とし、家族にしようと思っていてくださるのですね。



それで、【御子である神】ご自身が、
天の栄光の座をあとにして、
人間イエスとして人の世に降り、
およそ33歳の頃、
私たちすべての人間の身代わりとなって
十字架刑での死を受けてくださいました。



【父である神】は、このイエスの死によって、
私たちすべての人間の処刑、死が
完了したものとしてくださり、
私たち自身である、私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を死んだものと
してくださいました。





 死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを
弟子たちに見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の父である神の右の座に復帰されました。



【父である神】は、エレミヤやエゼキエル、ヨエルを通して
約束されていた【聖である霊】と呼ばれる方を、
そのイエスを通して私たちにお遣わしになり、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置いて、
私たちのうちに御自身の御思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きる道を
開いてくださいました。
神の子、神の家族として生きる生き方を生きるようにと。



 
 自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王が、
招待していた人たちがいろいろ理由をつけて
来ようとしなかったので、
しもべを通りに出て行かせ、
良い人でも悪い人でもみな集めて、礼服を与え、
披露宴を客でいっぱいにするように、
私たちを招いて
神の子の礼服(生き方)を着せて。(マタイ22:1~14)





それで、この出来事をもらった、受け取った人たちは、
大きな会衆の中で感謝をささげ、
この方をほめたたえます。
詩篇と賛美の歌と霊的な歌で、互いに励まし合いながら。





 イエスは言われました。
「さばいてはいけません。
自分がさばかれないためです。
あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、
自分が量るその秤(はかり)で量り与えられるのです。

あなたがたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、
自分の目にある梁(はり)には、
なぜ気がつかないのですか。
兄弟に向かって、
『あなたの目からちりを取らせてください』と、
どうして言うのですか。
見なさい。自分の目には梁(はり)があるではありませんか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目からちりを取り除くことができます。



聖なるものを犬に与えてはいけません。
また、真珠を豚の前に投げてはいけません。
犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、
あなたをかみ裂くことになります。」(マタイ7:1~6)



 【聖である霊】と呼ばれる方は、
そのような【父である神】の御思いも
私たちの心にも置いてくださって、
その神の子の生き方をさせてくださるのですから。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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その御業、大きな御力にふさわしく、神を賛美して

2023-07-17 23:16:38 | 聖書から
その御業のゆえに神を賛美せよ。
その大きな御力にふさわしく
神を賛美せよ。詩篇150:2(独)



神の見えない性質、
それはこの方の永遠の力と神性ですが、
世界の創造以来、
被造物から見て
知ることができます。ロマ書1:20(独)

 創世記32:23~32(33)
 マタイ5:38~48(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/18;火)



    ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)。
この方の、目に見えない性質、永遠の力と神性は、
世界が創造されたとき以来、
被造物に知られているのですね。
それで、私たちはこの方に賛美をささげます。
その御業(みわざ)にふさわしく。
その大きな御力にふさわしく。





 兄エサウから長子の権利、祝福を奪い、

その兄の怒りを避けて、母リベカの実家、
伯父ラバンのもとに身を寄せたヤコブ。



ラバンの下で20年を過ごし、
そこで得た4人の妻と11人の息子、
その家族や財産を携え、
カナンの地を目指して帰って来ました。


しかし、
兄エサウが400人を引き連れて迎えに出て来ると聞き、
恐れました。
創世記に記されているその時の記事です。



 その夜、ヤコブは起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、
そして11人の子どもたちを連れ出し、
ヤボクの渡し場を渡った。
彼らを連れ出して川を渡らせ、
また自分が所有するものを渡らせた。

ヤコブが一人だけ後に残ると、
ある人が夜明けまで彼と格闘した。
その人はヤコブに勝てないのを見てとって、
彼のももの関節を打った。
ヤコブのももの関節は、
その人と格闘しているうちに外れた。


すると、その人は言った。
「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」
ヤコブは言った。
「あなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
その人は言った。
「あなたの名は何というのか。」
彼は言った。
「ヤコブです。」
その人は言った。
「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。
イスラエルだ。
あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」



ヤコブは願って言った。
「どうか、あなたの名を教えてください。」
すると、その人は
「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか。」と言って、
その場で彼を祝福した。



そこでヤコブは、その場所をペヌエルと呼んだ。
「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、
私のいのちは救われた」という意味である。
彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽が彼の上に昇ったが、
彼はもものために足を引きずっていた。
こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、
ももの関節の上の、腰の筋を食べない。
ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。
     (新改訳では創世記32:22~32)





 イエスは言われます。
「『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを
あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。
悪い者に手向かってはいけません。
あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。


あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、
上着も取らせなさい。
あなたに1ミリオン(約1,500m)行くように
強いる者がいれば、一緒に2ミリオン行きなさい。

求める者には与えなさい。
借りようとする者に背を向けてはいけません。

『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』
と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。
父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らせてくださるからです。

自分を愛してくれる人を愛したとしても、
あなたに何の報いがあるでしょうか。
取税人でも同じことをしているではありませんか。
また、自分の兄弟にだけあいさつをしたとしても、
どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。
異邦人でも同じことをしているではありませんか。


ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、
完全でありなさい。」(マタイ5:38~48)





 私たちも、ヤコブのように神にしがみつき、離さないで、
祝福を受け取るのですね。
そして、御子イエスによってなしてくださった
神の大きな愛の御業(みわざ)、救いと
神の子として、【父である神】と思いを一つにして、
神がしようと思われることをしていく
新しい生き方をいただき、感謝と賛美を献げるのですね。



イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心にも、
右の頬(ほお)を打つ者には左の頬も向け、下
着を取ろうとする者に上着も与え、
1㎞行くよう強いる者とともに2㎞行ってやり、
敵を愛し、迫害する者のために祈る
【父である神】の御思いを置いてくださり、
私たちが【父】と思いを一つにして生きるように
してくださるのですから。

今日も。



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