朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

苦難から解放し、新しい契約に生きる者へ、と

2023-06-21 08:06:01 | 聖書から
心の苦悩から解き放ち、
苦難から私を
引き出してください。詩篇25:17



(イエスの言葉)
あなたがたには世で苦難がある。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝っている。ヨハネ16:33


 マルコ1:40~45
 創世記41:1~36(通読箇所)
    (ローズンゲン『日々の聖句』6/21;水) 



     ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私を心の苦しみから引き出し、助け出してくださる方。



私たちの主イエスは、すでに世「に勝っておられて、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心に生きる勇気を与えてくださる方。





 マルコは、イエスについて、次のようにレポートしています。

ツァラート(ハンセン病のような、伝染性で、
当時は不治の重い皮膚病)に冒された人が、
イエスのもとに来て、ひざまずいて懇願した。

「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。
すると、すぐにツァラートが消えて、その人はきよくなった。



イエスは彼を厳しく戒めて、すぐに立ち去らせた。
そのとき彼にこう言われた。
「だれにも何も話さないように気をつけなさい。
ただ行って、自分を祭司に見せなさい。
そして、人々への証しのために、
モーセが命じた物をもって、
あなたのきよめのささげ物をしなさい。



ところが、彼は出て行ってふれ回り、
この出来事を言い広めた。
そのためイエスはもはや表立って町に入ることができず、
町の外の寂しいところにおられた。
しかし、人々はいたるところから
イエスのもとにやって来た。(マルコ1:40~45)





 このツァラートに冒されていた人は、
このイエスこそ聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)だと信じたのですね。



「わたしはあるという者と名乗られる方、
「あろうと思う通りに在るお方」だと。



だから、自分の不治の病も、
イエスが治そうと思ってくださりさえすれば治る、と。



そして、「私たちを苦しみから解き放ち、
苦難から引き出してくださる方】であるイエスは、
当時、この病気の人にさわると自分も汚けがれてしまうとされ、
近づこうとさえもしなかったにもかかわらず、
その人の信頼に応え、
手を伸ばして彼にさわり、
「わたしの心だ。きよくなれ」と命じてくださったのですね。
すると、たちまち、イエスの言葉のとおりになった。




 この出来事を通しても、
イエスも、
【父である神】、【聖である霊】と呼ばれる神とともに、
「わたしはある」、「あろうと思う通りに在る」方だ、
と証言されているのですね。





 この方は約束しておられます。
「わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、
あなたがたに新しい心を与え、
心に、わたしの律法(御思い)を置き、書き記して、
わたしと思いを一つにして生きるようにする」
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)と。


そして、イエスが私たちすべての人間の身代わりとなって、
神に呪われたものとして十字架刑での死刑を受けて、
私たちすべての人間の贖あがない(代価を支払って買い戻す)を
完了され、
死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が死んだけれども、確かに生きていることを
弟子たちに証明したのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
雲に迎えられて見えなくなり、
天の、父である神の右の座に復帰なさいました。



そしてその10日後のペンテコステ(五旬節、
モーセを通して律法が与えられた記念の祭り)の日に、
このイエスを通して
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来られ、
弟子たちはこの方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのとおりに
行動するようになった(使徒2章)のですね。



それからおよそ2000年あとの現在も、
イエスを通してこの方は私たちにも来られ、
私たちの心を新しくし、
【父である神】の御思いを私たちの心に置き、
書き記してくださって、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
信頼してついて行く者が、
【父である神】の御思いのとおりに行動し、
【父である神】がしようと思われることをしていくように
してくださるのですから。



苦難から時はなってくださって、
新しい契約の中を生きる者に、と。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
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目に見えない神の国の国民としていただいて

2023-06-17 12:48:34 | 聖書から
神々の神、主は語りかけ、
日の出るところから日の沈むところまで、
地に呼びかける。詩篇50:1



神の国は
目に見える形で来るのではありません。
「見よ、ここだ」とか、「あそこだ」とか
言えるものではありません。
見なさい。神の国は
あなたがたのただ中に
あるのです。ルカ17:20~21



 Ⅰペトロ4:7~11
 創世記37:1~36(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/17;土)



     ―――― α&ω ――――



 聖書が神の国というとき、
見える神の国、
国土とか国民、統治形態などを持った神の国と、
見えない神の国、
神の統治、神の支配をさす二面があるようです。



イエスが、
「悔い改めなさい(方向転換して神に向き変りなさい)。
天の御国が近づいたから」(マタイ4:17)
と言われた神の国は、見えない神の国、
神の統治、神の支配のことのようです。



だから、私たち一人ひとりがこの方の主権認め、
受け入れて、その統治のもとに入る、
そこが神の統治、神の国があるところになる、と。 





 私たちは、神が人間を創造されたその目的、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」(創世記1:26)
との場に留まることをせず、
「神の一人のようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:22)者なのですね。



神に対立、対抗し、神の向こうを張って、
自分を神の上にいる者にしようと。
それで私たちは、神の権威、神の統治に
服そうとしない性質を持っています。





 神はそのような創造の目的から「的外れ」になり、
滅びるしかない私たち人間を、
なお、大切に思い、惜しんでくださって、
私たちを創造の目的のとおりに、
愛において、自由意思で、自発的に、
ご自身と思いを通い合わせ、心を一つにしていく者に
回復させようとなさいました。

私たちを、ご自身の子ども、家族となるようにと。



【独り子なる神】、【御子である神】が、
天の栄光の座をあとにして、人間イエス(神は救う)となって
人間の歴史の中に来られ、
およそ、33歳の頃、
私たちすべての人間の身代わりとなり、
神に呪われた者となって、
十字架刑での死刑を受け切ってくださいました。



イエスのこの死によって、【父である神】は、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」となっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死刑が完了したもの、死んだ者と手続きしてくださっている、
というのですね。





 十字架に架かられたイエスは、
ローマ兵によってわき腹を槍で刺されて
死んでいることを確認された後、
近くにあったアリマタヤのヨセフが
自分のために掘ってあった墓に納められました。



そして、イエスは、安息日が開けた三日目の日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活して、
まずマグダラのマリアに現れ、
その後、40日にわたって何度も弟子たちに現れて、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを証明されました。



そして、オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
雲に迎えられて見えなくなり、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。



「エルサレムから離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
あなたがたは間もなく、
聖霊によるバプテスマを授けられるからです」と言い残して。





そしてその10日後、
ペンテコステ(五旬節、
モーセを通してシナイ山で律法が与えられた、
古い契約が結ばれた記念日)に、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来られて、
弟子たちはこの方が語らせられるままに語り出す、
ということが起こりました(使徒2:1~6)。

約束されていた「新しい契約」の始まりが。





 このようにして、十字架刑での死刑を完了し、
新しい霊のからだに復活し、
【父である神】の道の座に帰られたイエスを通して、
【聖霊なる神】、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たち人間に来られ、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きる、
「われわれのかたち、われわれの似姿」(創世記1:26)が
回復され、私たちはこの地上での生を、
この「神と思いを一つにして生きる」練習のときとし、
【父である神】がしようと思われることを地になしていく
歩みをしていくのですね。

エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、
ヨハネ17::21~23などに預言されているとおりに。





 それで私たちは、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのとおりに、
万物の終わりが近づいていることを覚え、
神との語り合うために、
心を整え、身を慎むようにしようと思うのですね。



互いに熱心に愛し合い、多くの罪を覆っていこうと。
不平は、イエスの御前に差し出し、
見てもらい、受け取ってもらいながら、
互いにもてなし合いたいと。



それぞれ、受けている神からの賜物を
神の様々な恵みの管理者として、
その賜物を用いて互いに仕え合おうと。

語る時は、神のことばにふさわしく語り、
奉仕するのであれば、
神が備えてくださる力によって奉仕していこう、と。


すべてにおいて、
イエス・キリストを通して神があがめられるように、と。

この方に
栄光と力が世々限りなくありますように、と願う者へ、と。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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喜びと寛容な思いを、心に満たしていただきながら

2023-06-14 11:06:01 | 聖書から
私の魂は主を誇り、
苦しむ人は聞いて喜ぶ。詩篇34:3



喜びなさい。
あなたがたの寛容な心を
すべての人に知らせなさい。
主は近いのです。フィリピ書4:4~5



 ヨハネ12:1~8
 創世記32:23~33(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/14;水)



     ―――― α&ω ――――



 私たちが、聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)を求めると、
この方は私たちに答え、すべての恐怖から、
私たちを救い出してくださるのですね。



それで、私たちはこの方、天の神、【主】を誇り、
苦しむ人、貧しい人は、聞いて喜ぶのですね。



イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心に喜びを満たしてくださり、
ご自身の寛容な心、怒りを遠くする思いを
私たちの心に置いてくださり、その寛容な心が
周りのすべての人に知られることになるのですから。



主の日、主イエスが私たちを迎えに来てくださる
その日は近いのですから。





 それで私たちも、ベタニアのマリアが、
六日後には十字架刑での死刑を受けるイエスの頭と足に
(マリア自身はそのことを知らなかったのでしょうけれど)、
彼女の宝物であったであろう純粋で非常に高価な
ナルドの香油を、壺ごと割って注ぎ、
イエスに「わたしの葬りの日のために、
それを取っておいた」と喜んでもらえたように、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に起こしてくださる
うながしに従って行動していくのですね。
【父である神】がわたしを通してしようと思っておられる
その御思いのとおりに。



イエスの12使徒の一人ヨハネはその時の様子を
次のように記しています。



 さて、イエスは過越しの六日前にベタニアに来られた。
そこには、
イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。
マルタは給仕し、ラザロは、
イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。


一方マリアは、
純粋で非常に高価なナルドの香油1リトラ(328g)を取って、
イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。
家は香油の香りでいっぱいになった。



弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていた
イスカリオテのユダが言った。
「どうして、この香油を
300デナリ(労働者300日分の賃金)で売って、
貧しい人々に施さなかったのか。」


彼がこう言ったのは、
貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、
彼が盗人で、金入れを預かりながら、
そこに入っているものを盗んでいたからであった。



イエスは言われた。
「そのままさせておきなさい。
マリアは、わたしの葬りの日のために、
それを取っておいたのです。
貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいますが、
わたしはいつも一緒にいるわけではありません。」(ヨハネ12:1~8)





 また、ヤコブ、
父イサクが
老齢で目が見えなくなっていることをいいことにして、
兄エサウになりすまし、父をだまして、
兄エサウが受けるはずだった祝福(相続)を奪ったヤコブ。


母リベカの実家、伯父ラバンのもとに逃れて20年。
労苦の末に得た家族と羊などの財産を携えて
カナンの地に帰って来ました。



そして、兄エサウのもとに使いを送りましたが、
兄エサウが400人を引き連れて
迎えにやって来ると聞いて恐れ、
天の神、【主】に願いました。



「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。
私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。
わたしはあなたを幸せにする』と言われた【主】よ。



私は、あなたがしもべに与えてくださった、
すべての恵みとまことを受けるのに値しない者です。
私は一本の杖しか持たないで、
このヨルダン川を渡りましたが、
今は、二つの宿営を持つまでになりました。



どうか、兄エサウの手から私を救い出してください。
兄が来て、私を、また子どもたちとともに母親たちまでも
打ちはしないかと、私は恐れています。



あなたは、かつて言われました。
『わたしは必ずあなたを幸せにし、あなたの子孫を、
多くて数えきれない海の砂のようにする』と。



そして、その夜、彼は起き上がり、
二人の妻と二人の女奴隷、
そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの川を渡った。彼らを連れ出して川を渡らせ、
また自分の所有するものも渡らせた。



ヤコブが一人だけ後に残ると(ヤコブは兄が怖くて、
どうしても川を渡れなかったのでしょうか)、
ある人が夜明けまで彼と格闘した。

その人はヤコブに勝てないのを見てとって、
彼のももの関節を打った。
ヤコブのももの関節は、
その人と格闘しているうちに外れた。

するとその人は言った。
「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」
ヤコブは言った。
「私はあなたを去らせません。
私を祝福してくださらなければ。」



その人は言った。
「あなたの名はなんというのか。」
彼は言った。
「ヤコブ(かかとをつかむ者、押しのける者)です。」
その人は言った。
「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。
イスラエルだ。
あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」



ヤコブは願って言った。
「あなたの名を教えてください。」
すると、その人は言った。
「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、
その場で彼を祝福した。


そこでヤコブは、その場所をペヌエルと呼んだ。
「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、
私のいのちは救われた」という意味である。


彼がペヌエルを過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、
彼はそのもものために足を引きずっていた。」
こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、
ももの関節の上の、腰の筋を食べない。
ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。(創世記32:3~32)





私たちもヤコブのように、
恐れや苦しみ、不安の中で神にしがみつき、
離さないで祝福を受けていくのですね。

イエスが二度目に来られるその日は近いのですから。


【聖である霊】と呼ばれる方あは私たちの心に、

喜びと寛容な思いを満たしてくださるのですから。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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私の悩みと労苦を見て、幸いに換えてくださる方が

2023-06-12 10:26:58 | 聖書から
あなたがたに耳を傾ける者は、
わたしに耳を傾け、
あなたがたを拒む者は、
わたしを拒むのである。ルカ10:16a
      (6/11の週の聖句)



私の悩みと労苦を見て、
私のすべての罪を赦してください。詩篇25:18



言っておくが、このように、
一人の罪人が悔い改めるなら、
悔い改める必要のない
99人の正しい人にまさる喜びが
天にある。ルカ15:7



 ロマ書12:9~16

 創世記31:33~54(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』6/12;月)



     ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
イエスを通して私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
ご自身の御思いを私たちの心に置き、
書き記してくださって、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにし、
私たちがこの方と思いを一つにして生きるよう
にしてくださるのですね。
  (エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)


それで、イエスがそうであったように(ヨハネ12:49~50)、
この方と思いを一つにし、
この方が語ろうと思われることを語っていく者に
耳を傾ける人に、
神である主は、「わたしに耳を傾ける者だ」

と仰ってくださるのですね。
拒む者には、「わたしを拒む者だ」と。





 この方は私たちをあわれみ、
私たちの労苦と悩みを見て、
私たちの「的外れ」を赦してくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
「的の当った」者、
ご自身と思いを一つにしながら生きる者に
してくださるのですから。



そして、私たちがこの出来事を受け取っていくとき、
天では大きな喜びがあるのだそうですから。





 この方はわたしたちの心にも、
ご自身の御思いを置いてくださるのですね。

偽りのない、心からの愛を起こし、
悪を憎み、善から離れない心を。

兄弟愛をもって互いに愛し合い、
互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う思いを。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主イエスに仕えたい思いを。
望みを抱いて喜び、苦難に耐え、
ひたすら神と語り合っていたい思いを。



聖徒(神である【主】と思いを一つにして生きるようにしていただいた者)たちの必要をともに満たし、
努めて人をもてなす思いを。

自分たちを迫害する者たちを祝福し、
喜んでいる者たちとともに喜び、
泣いている者たちとともになく思いを。

互いに一つ心になり、思い上がることなく、
むしろ身分の低い人たちと交わる思いを。


自分を知恵のある者と思う思いは、
イエスの十字架の死に合わせていただいた
死んだ者から出て来た思いであると認めて
イエスの御前に投げ捨てて、

だれに対しても悪に悪を返さず、
すべての人が良いと思うことを行うよう、心がける思いを。(ロマ12:9~17) 





 また、この方、天の神、【主】は、
私たちの人生に計画を持っていてくださり、
その計画のとおりに私たちの人生を運び、
守ってくださる方なのですね。

父イサクの目が見えないことをいいことに、
兄エサウに成りすまして
エサウが受けるはずだった祝福(相続権)を奪い、
兄エサウの復讐を逃れて母リベカの実家、
伯父ラバンのもとに逃れて20年、
ラバンの下で働き、そこで得たもの、
4人の妻と11人の息子、また娘、羊や多くの財産を携え、
伯父ラバンのもとを逃げ出したヤコブ。
そのヤコブを追って来たラバンに
ヤコブが言っているように。



「私にどんな背きがあり、どんな罪があるというのですか。
私をここまで追い詰めるとは。
あなたは私の物を一つ残らず調べて、
何か一つでも、あなたの家の物を見つけましたか。
もしあったなら、それを
私の一族と、あなたの一族の前において、
彼らに私たち二人の間をさばかせましょう。


私があなたと一緒にいた20年間、
あなたの雌羊も雌やぎも流産したことはなく、
また私はあなたの群れの雄羊も食べませんでした。
野獣にかみ裂かれたものは、
あなたのもとに持って行かずに、私が負担しました。

それなのに、あなたは
昼盗まれたものや夜盗まれたものについてまでも、
私に責任を負わせました。
私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて
眠ることもできませんでした。

私はこの20年間、あなたの家で過ごし、
14年間はあなたの二人の娘たちのために、
6年間はあなたの群れのために、
あなたに仕えてきました。
しかも、あなたは何度も私の報酬を変えました。

もし、私の父祖の神、アブラハムの神、
イサクの恐れる方が私に着いておられなかったなら、
あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。
神は私の苦しみとこの手の労苦を顧みられ、
昨夜さばきをなさったのです。」(創世記31:36~42)





 私たちも、私たちの労苦を見て、
私たちにの「的外れ」の結果を全部赦してくださり、
イエスの十字架刑での死によって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっている者、死んだものと
手続きしてくださっているのですから。


そのうえで、イエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちがご自身と一つ思いになって生きるように
してくださるのですから。



私たちは、その出来事を受け取っていくのですね。
心に来た、
この方がしようと思われることをしていく者へ、と。
この地上での生涯において。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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呪いを祝福に取り替えてくださって

2023-06-08 21:41:28 | 聖書から
あなたの神、主はあなたのために
呪いを祝福に代えられた。
あなたの神、主は、
あなたを愛されたからである。申命記23:6


私たちの主の忍耐強さは
救いであると考えなさい。Ⅱペトロ3:15

 ヘブル書2:(1~4)5~10
 創世記29:14b~30(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/9;金)



     ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私たちを愛してくださっているのですね。

それで、私たちが受けるはずだった呪いを
祝福に代えてくださって。



私たちがその愛を知って、
その愛の中に帰って来るようにと忍耐深く呼びかけ続け、
待ち続けてくださっているのだそうですから。





 それでパウロは書き送っています。

こういうわけで、私たちは聞いたことを、
ますますしっかりと心に留め、
押し流されないようにしなければなりません。
御使いたちを通して語られたみことば
(モーセを通して与えられた律法)に効力があり、
すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたのなら、
こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、
私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょう。



 この救いは、初めに主(イエス)によって語られ、
それを聞いた人たちが確かなものとして
私たちに示したものです。
そのうえ神も、しるしと不思議と様々な力あるわざにより、
また、みこころにしたがって
聖霊が分け与えてくださる賜物によって、
救いを証ししてくださいました。



というのも、神は、私たちが語っている来るべき世を、
御使いたちに従わせたのではないからです。
ある箇所で、ある人がこう証ししています。
「人とは何ものなのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とはいったい何ものなのでしょう。
あなたがこれを顧みてくださるとは。
あなたは、人を御使いよりわずかな間低いものとし
、これに栄光と誉れの冠をかぶらせ、
万物を彼の足の下に置かれました。」



神は、万物を人の下に置かれたとき、
彼に従わないものは何も残されませんでした。
それなのに、今なお私たちはすべてのものが
人の下に置かれているのを見てはいません。

ただ、御使いよりもわずかの間、低くされた方、
すなわちイエスのことは見ています。
イエスは死の苦しみのゆえに、
栄光と誉れの冠を受けられました。


その死は、神の恵みによって、
すべての人のために味わわれたものです。
多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を
多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、
万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、
ふさわしいことであったのです」(ヘブル2:1~10)と。 





 私たちもここで勧められているように、
約束のことばにしっかりと留まり、期待して待つのですね。

イエスは、すべての人の「的外れ」の責任を一身に負って
十字架刑での処刑の苦しみを受けられ、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを証明した後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたのですから。

そして、その、神の子の位にあってもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって【父である神】の御思いを
私たちの心に置き、書き記してくださって、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きる、
【父である神】が私を通してしようと思われることを
していく者にしてくださるのですから。



この天の御国の生き方を私たちが身に着けるようにし、
そのまま、天の御国に通じる生き方を生きさせてくださる、
との約束ですから。


主イエスが忍耐して待っていてくださったように、
私たちも忍耐して、期待して待つのですね。

【聖である霊】と呼ばれる方が働いてくださり、

約束のことばが私に成るように、と。

今日も。



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