朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

死ぬほどの、悲しみの道を行かれて

2024-03-22 10:43:56 | 聖書から
かつてあなたは地の基を据えられました。
天もあなたの手の業(わざ)です。詩篇102:26



天にあるものも地にあるものも、
見えるものも見えないものも、
万物は
御子において造られたからです。コロサイ書1:16



ヘブル書10:1、11~18
 マルコ14:32~42(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句3/22;金)



   ―――― α&ω ――――



 聖書を通しご自身を啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
地の基を据えられ、天、宇宙の星々を造られた方。



御子なる神は、「神のことば」として、
この天地、宇宙の創造に関わられた方なのですね。



「初めにことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は、初めに神ととものおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、
この方によらずにできた物は一つもなかった」(ヨハネ1:1~3)
と書かれているとおりに、
天にあるもの、地にあるもの、万物は、
この方によって造られたのだそうですから。





 この、万物そして私たち人間を創造された方が、
私たちの贖(あがな)いの代価(身代金)として
自分のいのちを差し出すために、人間となって、
人間の世に来られたと聖書はいうのですね(マタイ20:28)。





 ヘブル書の記者はいま言す。
「律法には来るべき良きものの影はあっても、
その実物はありません。
ですから律法は、
年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって
神に近づく人々を、完全にすることはできません。



さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、
同じいけにえを繰り返し献げても、
それらは決して罪を除き去ることができませんが、
キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、
永遠に父なる神の右の座に着き、
あとは、敵が
ご自分の足台とされるのを待っておられるのです。



なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、
一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。



聖霊もまた、私たちに証ししておられます。
というのも、『これらの日の後に、
わたしが彼らと結ぶ契約はこうである。

——主のことば—— 

わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、
彼らの思いにこれを書き記す』と言った後で、
『わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない』
と言われるからです。
罪と不法が赦されるところでは、
もう罪のきよめのささげ物はいりません。」(ヘブル10:1、11~18)





 イエスは、【父である神】の御思いに従い、
この、私たちの罪(神の創造の目的からの的外れ)の
罰金としてご自身のいのちを支払うために
十字架刑で処刑される道を進んでくださいました。



その様子をマルコは次のように記しています。

最後の晩餐(過越しの食事)をした後、
彼らはゲツセマネという場所に来た。
イエスは弟子たちに言われた。
「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。

そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。
イエスは深く悩み、もだえ始め、彼らに言われた。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
ここにいて、目を覚ましていなさい。」



それからイエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、
できることなら、
この時が自分から過ぎ去るようにと祈られた。



そしてこう言われた。
「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。
どうか、この杯をわたしから取り去ってください。
しかし、わたしの望むことではなく、
あなたがお望みになることが行われますように。」



イエスは戻り、彼らが眠っているのを見て、
ペテロに言われた。
「シモン、眠っているのですか。
一時間でも、目を覚ましていられなかったのですか。
誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。
霊は燃えていても肉は弱いのです。」



イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。
そして再び戻って来てご覧になると、
弟子たちは眠っていた。
まぶたがとても重くなっていたのである。
彼らは、イエスに何と言ってよいか、分からなかった。



イエスは三度目に戻って来ると、彼らに言われた。
「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。
時が来ました。
見なさい。
人の子は罪人たちの手に渡されます。
立ちなさい。
さあ、行こう。
見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」(マルコ14:32~42)



 

 このように、
【神のことば】、【御子である神】と呼ばれる方が、
人間イエスとしてこの人間の歴史の中に来られ、
神が呪われた者となって十字架刑での処刑を受ける道を
歩んでくださいました。



私たちを、神が
「彼らの罪と不法を思い起こさない」と言われるようにし、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来られて、
神の御思いを私たちの心に置き、書き記してくださって、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが、〔生まれたときからの私〕という
自分から出て来た思いで動くのではなく、
この【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きるようにするために。



それで私たちはこの新しい契約、
新しい生き方で進んでいくのですね。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~



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