朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

天に宝を積んで

2019-03-30 22:49:39 | 聖書から

 一粒の麦は、
地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。ヨハネ12:24(3/31の週の聖句)

 銀を愛する者は銀に飽くことなく、
富を愛する者は収益に満足しない。コヘレトの言葉(伝道の書)5:9

 すり切れることのない財布を作り、
尽きることのない富を天に積みなさい。
そこは、盗人も近寄らず、
虫も食い荒らさない。
あなたがたの富のある所に、
あなたがたの心もあるのだ。ルカ12:33~34

 ヨハネ12:20~26
 詩84(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/31;Ⅴ日曜)

 麦の種粒が、地に落ちて死ねば、
多くの実を結ぶことになるのですね。

 また、この世で、
「的外れ」になっている自分のいのちを愛して自分のものとした者は
それを失い、
「的外れ」の自分のいのちを憎み、
イエスのために自分のいのちを失った者は、
それを自分のものとするのだそうですから。
永遠のいのちに。

 私たちの富のある所に私たちの心もあるのですね。
だから、いよいよ満足できないで貪欲になっていく
この世の富を追い求めていくなら、
心はいよいよこの世につながるということのようですね。

 やがて行く、やがて来る天の御国に宝を積むなら、
心の思いも天の御国にあるようになるのだそうです。
あの詩人のように。

 「万軍の【主】。
あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。
私のたましいは、
【主】の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。
私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
雀さえも、住みかを見つけました。
つばめもひなを入れる巣、
あなたの祭壇を見つけました。

 万軍の【主】。
私の王、私の神よ。
なんと幸いなことでしょう。
あなたの家に住む人たちは。
彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。
なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり、
その心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも、
そこを泉のわく所とします。
初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
彼らは、力から力へと進み、
シオンにおいて、神の御前に現れます。
まことに、あなたの大庭にいる一日は
千日にもまさります。
私は悪の天幕に住むよりは
むしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
まことに、神なる主は太陽です。盾です。
【主】は恵みと栄光を授け、
正しい者たちに、良いものを拒まれません。
万軍の【主】よ。
なんと幸いなことでしょう。
あなたに信頼するその人は」
(詩篇84:1~7、10~12新改訳)、と、

私たちも。
この新しい週も。

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また、婚活で広く出会いを求めたい、等の
お問い合わせもどうぞ。)

私も世界に対して十字架につけられて

2019-03-29 23:58:58 | 聖書から
 あなたは多数者に追随して、
悪を行なってはならない。出エジプト記23:2

 兄弟としていつも愛し合いなさい。ヘブル書13:1

 ガラテヤ書6:(11~13)14~18
 サムエル記上25:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/30;土)

 私たちは、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方によって
造られたものなのですね。

 「われわれのかたちとして、
われわれに似せて」(創世記1:26)と望まれて。

 イエスが言われているように、
「それは、父よ、
あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになり、

 私たちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つである」(ヨハネ17:21~22)ように、と。

 けれども、私たち、
その造られた場所にとどまらないで、
もっと素晴らしい者になろうとし、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」(創世記3:5、22)ようになって、
「的外れ」になっているのですね。

 それで、私たちは人の評判、人から受ける評価を気にし、
多数者に追随し、
あるいは、権力者の側に立って
不当な証言をしてしまうのですね。

 また、周りの人とも対立、対抗し、
あるいは無視して、顧みようとしないのですね。

 〔父である神〕は、
その、「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの受けてくださった十字架刑での死刑に合体させて、
処刑済みのもの、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 世界は私に対して十字架につけられ、
私も世界に対して十字架につけられた者に(ガラテヤ6:14)。

 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
〔父である神〕の右の座に復帰されたイエス。

 そのイエスを通して、受け入れる者に来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方は、受け入れる者のうちに住んでくださり、
私たちの心に〔父である神〕の御思いを置いてくださるのでそうです。

 それで、受け入れる者は、
部分的であったり、不完全ではありますが、
〔父である神〕と心を一つにしていただけるのだそうです。

 ナバルのような頑迷な、よこしまで愚かな心から、
アビガイルのように聡明な心に(Ⅰ列王25:1~17)。

人の評価を気にしないで、正しい証言をし、
兄弟としていつも愛し合う心にも。
今日も。

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天の雲に乗って来られる方に

2019-03-29 08:03:51 | 聖書から
彼は立って、群れを養う。
主の力によって。ミカ書5:3

 地上のすべての民族は悲しみ、
人の子が大いなる力と栄光を帯びて
天の雲に乗って来るのを見る。マタイ24:30

 マタイ10:34~39
 サムエル記上24:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/29;金)

 イスラエルの支配者としてベツレヘムで生まれた方。
その方は、立って、
【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の力と、
彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼い、
彼らは安らかに住まうようになるのだそうです。
彼の威力が地の果てにまで及ぶので。

 その方が、人の世に最初に来られたときには、
宿屋にも居る所がなく、
物置になっていた家畜小屋の石の飼い葉おけに
布にくるんで寝かされていたのだそうです。

 誰も気付く者もなく、
天使のお告げを受けた貧しい羊飼いたちと、
星を見た東方の博士たちのほかには知る者もなく。

 そして、ナザレ村の貧しい大工の息子として育ち、
およそ33歳の頃、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任をご自身に負って、
神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。

 死んで、
処刑場の近くにあったアリマタヤのヨセフの墓に葬られたこの方は、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に復帰されたのですね。

 そして、二度目に来られる時には、
いなづまが東から出て、西にひらめくよう、なのだそうです。
太陽は暗くなり、月は光を放たず、
星は天から落ち、
天の万象は揺り動かされるのですね。

 地上のあらゆる種族は、
悲しみながら、
この方が大能と輝かしい栄光を帯びて
天の雲に乗って来るのを
見ることになるのだそうです(マタイ24:27~30新改訳)。

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている私たちは、
この方よりも父や母、息子や娘を愛する情の者ですが、

 十字架刑によって処刑されるべき者であることを認めて、
処刑場に向かうイエスのあとについて行く者、
イエスとともに十字架刑で処刑されたもの、
死んだものとしていただけるのだそうです。

 そして、イエスの名によって来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって
〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて、
〔父である神〕と思いを一つにしながら生きる者に、
罪に対しては死に、
神に対しては生きる者に(マタイ10:37~39、ロマ6:11)
していただけるのだそうです。

 その時には、一瞬にして、
からだを、新しい霊のからだ、復活のからだに変えていただき、
引き上げられてこの方に会い、
いつまでもこの方と共にいるように(Ⅰコリント15:50~53、Ⅰテサロニケ4:16~17)、と。

 その時を待ち望みつつ。
今日も。

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御心が天で行われるように、私にも

2019-03-27 23:31:09 | 聖書から
 あなたたちの神、主を試してはならない。申命記6:16

 御心が行われますように。
天におけるように地の上にも。マタイ6:10

 マタイ19:16~26
 サムエル記上23:1~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/28;木)

 奴隷状態であったエジプトから脱出したイスラエルの民。
荒野の旅を続けてレフィディムで宿営したとき、
そこには飲む水がなかったのだそうです。

 そこで民は、神である主を試みて、
「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。
私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか」と
モーセに迫り、
モーセを石で打ち殺そうとしたのだそうです。

 「【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は
私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って。

 つぶやき、反抗することで、
神である主がおられるのか、おられないのかを試した、ということのようです。

 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、26)

 私たちの本性は、このようなのですね。
〔父である神〕は、
その、創造の目的から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
イエスに合体させて、
イエスが受けられた十字架刑での処刑で、
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そして、受け入れる者に、
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって私たちの心に、
ご自身が、私たち一人一人に思っていてくださる御思いを置き、
書きしるしてくださって、
受け入れる者の心に御自身の御思いがあるように
してくださるのだそうです。

 私たちが、ご自身と一つ心になって、
「われわれのかたちとして、われわれに似せた」(創世記1:26)、

「それは父よ、
あなたがわたし(イエス)におられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになり、
わたしたちが一つであるように
彼らも(わたしたちと)一つである」(ヨハネ17:21~22)者へと、
新しく生まれて。

 それで、その新しい生き方をしている者は、
〔父である神〕の御心が行われることを願っていくようになるのだそうです。
愛と尊敬において。

 御心が、天で、天使たちの間で行われているように、
地の上でも、
私にもなるようにと。

 自分の努力では、
神の御思いに添えない者であることを認めて、
イエスの言葉、
〔父である神〕の御思いについて行く者にしていただいて。

 神にはどんなことでもできる(マタイ19:16~26)
のだそうですから。
今日も。


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心騒ぐ、恐れおののくような中で、なお、平和、平安でいられる平和、平安なのだそうです。

2019-03-26 23:36:56 | 聖書から
恐れることはない。
愛されている者よ。
平和を取り戻し、
しっかりしなさい。ダニエル書10:19

 わたしは平和をあなたがたに残し、
わたしの平和を与える。
わたしはこれを、
世が与えるように与えるのではない。
心を騒がせるな。
おびえるな。ヨハネ14:27

 マタイ13:44~46
 サムエル記上20:24~21:1(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/27;水)

 イエスは弟子たちに言い残されたのですね。
「わたしの平和、平安を与える」と。

 しかも、
世が与える、平穏な中での平和、平安ではなく、
心騒がせるような、
恐れ、おびえるような出来事の中で、
なお、平和、平安でいられる平和、平安なのだそうです。

 恐れ、心騒ぎ、おびえる、
力も失せてしまう出来事の中での平和、
平安なのだそうですから。

 それは持ち物を全部売ってでも手に入れたい
1個の良い真珠のよう(マタイ13:44~46)、なのだそうです。

 イエスが与えてくださるのだそうですから。
助け主、
すなわち、〔父である神〕が、イエスの名によってお遣わしくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって。
私たちにも。
今日も。

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