以前から行ってみたかった水神社は秋田県に唯一存在する国宝があります。
杉の木が立派過ぎます。市の重文になっています。
鏡は、江戸初期の延宝5(1677)年、地元農民が玉川から窪堰川までの用水堰の開削中、野中村三采女谷地みむねやちの土中から古鏡が発見され、鏡は久保田藩主佐竹義処に差し出されました。とあります。
そして義処はこの古鏡を堰神として祀るよう命じ、同年 用水堰の工事にあたっていた草彅理左衛門が水神社を創建して古鏡を神社に奉納しました。古鏡は昭和13(1938)年、「瑞花蝶鳥八稜鏡ずいかちょうちょうはちりょうきょう」の名称で旧国宝保存法に基いて国宝(現在の国重要文化財に相当)に指定され、昭和28(1953)年 「線刻千手観音等鏡像せんこくせんじゅかんのんとうきょうぞう」の名称で現行の文化財保護法に基ずき国宝に指定されています。「線刻千手観音等鏡像」は直径13.5cm、厚さ7mm、重さ520gの白銅製。鏡面には細い線で仏像が彫られ、中央には蓮台に立つ十一面千手観音が、左右に眷属8体、右下に婆藪仙人ばすせんにん、左下に功徳天が彫り込まれています。鏡背は中央のつまみを囲むように蝶、鳥、さらにその外側に宝相華が表されています。鏡背の模様の上には「崇紀 佛師僧 大趣具主延暦僧仁祐 女具主藤源安女子」の線刻銘が刻まれ、作風や銘文から鏡自体は平安初期、線刻は平安後期のものと推定されています。現在、「線刻千手観音等鏡像」は本殿裏の保管庫に保管され、毎年8月17日の例祭の時のみ一般公開されています。と鍵のかかった社務所に貼られていました
)
次に美里町ラベンダー園へ向かいました。
これが結構大掛かりだ。
来客も多くびっくりしました。
でもアクセス道路が狭過ぎです。
最後は、六郷の湧水群へ向かいました。
ニテコサイダーで休憩して、今日のプチ旅は完了です。
このところ休みが無かったので、今日はゆっくり楽しめました。
杉の木が立派過ぎます。市の重文になっています。
鏡は、江戸初期の延宝5(1677)年、地元農民が玉川から窪堰川までの用水堰の開削中、野中村三采女谷地みむねやちの土中から古鏡が発見され、鏡は久保田藩主佐竹義処に差し出されました。とあります。
そして義処はこの古鏡を堰神として祀るよう命じ、同年 用水堰の工事にあたっていた草彅理左衛門が水神社を創建して古鏡を神社に奉納しました。古鏡は昭和13(1938)年、「瑞花蝶鳥八稜鏡ずいかちょうちょうはちりょうきょう」の名称で旧国宝保存法に基いて国宝(現在の国重要文化財に相当)に指定され、昭和28(1953)年 「線刻千手観音等鏡像せんこくせんじゅかんのんとうきょうぞう」の名称で現行の文化財保護法に基ずき国宝に指定されています。「線刻千手観音等鏡像」は直径13.5cm、厚さ7mm、重さ520gの白銅製。鏡面には細い線で仏像が彫られ、中央には蓮台に立つ十一面千手観音が、左右に眷属8体、右下に婆藪仙人ばすせんにん、左下に功徳天が彫り込まれています。鏡背は中央のつまみを囲むように蝶、鳥、さらにその外側に宝相華が表されています。鏡背の模様の上には「崇紀 佛師僧 大趣具主延暦僧仁祐 女具主藤源安女子」の線刻銘が刻まれ、作風や銘文から鏡自体は平安初期、線刻は平安後期のものと推定されています。現在、「線刻千手観音等鏡像」は本殿裏の保管庫に保管され、毎年8月17日の例祭の時のみ一般公開されています。と鍵のかかった社務所に貼られていました
)
次に美里町ラベンダー園へ向かいました。
これが結構大掛かりだ。
来客も多くびっくりしました。
でもアクセス道路が狭過ぎです。
最後は、六郷の湧水群へ向かいました。
ニテコサイダーで休憩して、今日のプチ旅は完了です。
このところ休みが無かったので、今日はゆっくり楽しめました。