今日の朝刊の「潮流」を読んで、ダウン症の赤ちゃんの命の生存を拒否した家族に出会った、昔の出来事を思い出しました。
「潮流」では、母体保護法は胎児の異常を理由にした中絶は認めていないのに、染色体異常が確定した妊婦の9割以上が人工中絶を選択している事実に対し、「出生前で命を絶つより、ダウン症や障害のある人、すべての人が生きやすい社会を作る方が先」との、ダウン症者の岩元綾さんの言葉を紹介しています。
ほんとにその通りですね。
もう、30年も前になりますが、十二指腸に狭窄があって、ミルクが飲めない生後4か月になる赤ちゃんと出会いました。吐いてしまうんですね。
ミルクが胃に入っていかないのですから手術が必要で、手術しなければ命を失います。その手術はそう難しくないとのことでした。
でも、その子はダウン症でした。家族は手術を望まず点滴で持つところまでの命と考えて、それがその子の幸せだと、頑固に考えを変えませんでした。
医療関係者、障がい児親の会の皆さんなど多くの方がこの子の命を守りたいと奔走しましたが、私たちの心は届かず、数週間後にその子は亡くなってしまいました。
私は大変大きな衝撃を受けて、命の尊さを心に刻んだ事件でした。
私はご家族には解ってほしかった。当時は若くもあったので怒り狂いましたが、でも、ご家族だけを責めるつもりはありません。
弱い命を守ることができない政治の不十分さが、そうさせてしまうこともあるのです。不十分などころか、弱いものは生きていても仕方がないといった、政治姿勢が問題です。
「この子の通院や訓練のため、働くことができない。収入が少ないのに出費は多い」
「人口呼吸器をつけて、私一人で病院へ連れてゆくのは苦労。車から降ろすとき、いったん人工呼吸器を外す。自発呼吸のあるうちに車いすに乗せて、また呼吸器をつける。人工呼吸器は大きな荷物で移動も大変。運転中は、機械が止ったのでは、と心配しながら運転している」
「障がい者手当は、預金にまわす。親が死んだあと、どうするのか。障がい者年金だけではグループホームにも入るのも足りないかも・・」
そんなご苦労の話は、いつも話題になるのです。
もちろん、家族の皆さん「この子がいて人として豊かになった」と、とても優しい。それは、命を守る暮らしの保障とは次元の違うところでの喜びですよね。
保障されれば、喜びはもっともっと膨らむことでしょう。
今週末は発達保障研究センター主催の学習会のため、大津市の近くの瀬田に行ってきます。
重度な障がいを持つお子さんと共に歩んできた私の友人のMさんが、レポート発表します。沢山学んできたいと思っています。