中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

マスコミの責任

2020年01月30日 22時23分37秒 | 活動日誌
マスコミには大きな責任があります。
 
ばっちり、国会中継を視聴しました。

 共産党の田村さん、山添さんの「桜を見る会」の質問は、観点鋭く、胸がすいた。
 

質問はもう何回にも渡っているわけですから、どう攻めるか、どう切り崩すか、調査と資料あつめと論戦の組み立てには、大変なご苦労をしていると思います。
 

安倍首相、しどろもどろは明らか。
 
でも、どうしたら逃げきれなくさせることができるんだろう。
 
マスコミですね。
 

マスコミが、どれだけ重大なことかを、マスコミの倫理に基づいて報道しなければならないのに!!
 
赤旗は今、真価を発揮している、ほんとにそう思います。
 

これだけの状況になっても、この人、御飯もよく食べて、よく眠れてるんだろうか。
 
一般マスコミ幹部との料亭での定期的な懇談が、安心材料になっているのかな。
 
明日は行動したい。地域の皆さんの、国会論戦の感想も聞いてみたい。

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はくちょうクラブは、ささやかすぎる抵抗

2020年01月28日 21時33分49秒 | 活動日誌
医療生協の若いママさんの班会でした。

異口同音に語られたことは「疲れる。体力の減退を感じる」でした。

「子どもを送り出して散らかっている部屋を見ると、かたずけなくっちゃ、とは思うが、はあ・・・となりコーヒータイムにしてしまう。気力が起きない。気が付けば何にもせずに2時間も」

「子どもを追いかけることなんかできない。ボール遊びも、『飛んで行ったよ、取っておいで』と指示しているだけ。昔はこんなじゃなかったのに」

子育てはほんとに疲れるよね。

体力を、ちょっと別の観点から考えてみました。

「メディア漬けで壊れる子どもたち」(清川輝基・内海裕美 共著 少年写真新聞社)からデーターを拝借すると・・・・

行動を支える背筋力指数は下がる一方で、いまや危機的状態だといいます。

文部省(現在文科省)が1964年からおこなっている子どもの体力・運動能力の全国調査の中の、背筋力指数は1997年に調査中止になっています。

理由は「背筋力調査をすると、腰を痛める子が続出する」からだそうです。

下記のデータは長野県の中学3年生のデータです。

1967年 男子 2・5   女子 1・75
1998年    2・02     1・35


ちなみに、介護に必要な背筋力指数は 2・0 、出産子育てには1・5が、体力の目安なのだそうです。

今日お会いしたママたちは、1998年にはちょうど中学生ごろだったのですね。

今日のママたちの訴えを、そのまま当てはめるには、もちろん無理があるし、そんなつもりは毛頭ありません。


ただ、訴えから、果たしてわれわれの体力はどうなっているんだろうかなと、考えるきっかけになったのです。

体を使わなくてもいい時代になっているから、体力が増強していることはあり得ないし。

恐ろしいのは子どもたちの環境。
ほんとかしら?と思うほどの遊び場の減少です。

1955年との比較で(私が7才のころですね。戦争終わって10年の時)
1975年 2分の1
1990年 40分の1

2009年(この本を出版した年)には1955年と比べて100分の1になっているのでは、と筆者は推測しています。

昨年秋に訪れたNZのクライストチャーチは、東京ドームが何個も入る公園を初め、驚くほどの公園の数だったなあと思い出しています。

大型開発ではなく、子どもの生活の場にダイナミックなあそび場を作ってほしい。自然も残してほしいものです。

カジノなんてとんでもないよ!!

月一回のはくちょうクラブの時は、思いっきり、体を使って遊ばせたいなと思いました。とってもささやかすぎる抵抗ですねえ。

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ジェンダー平等が実る社会に

2020年01月27日 20時58分19秒 | 活動日誌
党大会を受けての、県党の会議でした。

党大会に参加した代議員からの報告をはじめ、改定になった党綱領と大会決定の論議が自由闊達に行われました。

特に中国にどう向き合うかを明確にしたこと、ジェンダー平等を位置づけたことは、納得と感動を持って受け止められ、そのことが情勢の分析や未来を語る要にもなっていますね。


ジェンダー平等の理念について、深める討論がされました。
ただ単に女性に限った問題ではないこと、誰もが人権を認められ、自分らしく人間らしく暮らせる社会を目指すことなんだ、と。



アメリカでは、社会主義に好感を抱いているのは、30代以下の若ものだとの新聞記事も紹介されました。


貧困と格差の広がり、ごく一握りの富裕層のために99%の国民が働き犠牲になっている矛盾、地球温暖化問題、そしてジェンダー平等の考えの広がり。

資本主義で行き詰っているなら、新しい体制を。社会主義も悪くない。

それが世界の潮流になってきているのですね。


私がとても感動しているのは、LGBTを認めなかった共産党がその考えを克服前進させたことから学んだ、民主主義は発展するという事実です。

一人一人が考えを克服発展させる努力が必要だなあと思います。正直、私の中でも、LGBTの人は、特別なんだとの意識がありました。

その意識が消えたのは、シャンソン歌手の佐々木秀美さんに会ってからですね。もう4~5年前になるでしょうか。


佐々木秀美さんは三味線もやっておられ、やはり三味線をやっている娘と交流していたことから、私も知り合いになりました。


理念ではわかっていても、感情まで納得し当たり前になるのは簡単ではないけれど、真実の考えは広まってゆくし、だんだん当たり前になってゆく。

女性参政権が、今では当たり前になったように。

ジェンダー平等が実現する社会は、資本主義から脱却していることでしょうね。












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早すぎる春の花たち

2020年01月26日 22時16分37秒 | 活動日誌
スノウドロップが咲きそうになっているのを発見、「これはまずい」と、花を見ても喜べなくなりました。

数日前には、エビネの花芽を見つけました。

花芽をつける時期が、どちらも1か月以上早い。

雪で暮らしを成り立たせているスキー場にも雪が降らない。学校のスキー教室は中止せざるを得ないところも出てきています。

市内では雪の多い私の住まいのある上野区も、今年の雪かきは2回だけ。それも、かくというほどの積雪量でなく、昼には溶けてしまうほどでした。

まずは目の前の今年の夏、水不足にならないか、心配します。


そして孫二人の姿を見ていると、この子らの将来はどうなるんだろう。
この子らの子たちが生きていく地球はどうなっているんだろうと、考えざるを得ません。

とても恐ろしい。

昨年秋には、私の住んでいる住宅地に隣接する豊野、長沼が水害にあった。
災害は全国あちこちで毎年のようにおきて、規模を大きくしています。オーストラリアの火事も世界を森閑とさせました。


国会での安倍答弁を聞いていると、ああ、だめだとわかっていても、なお腹が立つ。

党山下参議院議員の質問に答えて、「ニーズがあれば火力発電も導入する」とし、温室ガスを減らそう、2050年度までにゼロにしようとの戦略つくりにも背を向けた。


温暖化が言われ始めたとき、私は思った。

「高山植物の花が咲く場をなくしてしまう。そんなことがあっていいのか。そのうち長野はリンゴではなくみかんの生産地になる」と。

でもまだまだ余裕で、冗談半分の気持ちで言っていましたが、もはや笑って話すそんな状況ではありません。

とりあえずは安倍政治をやめさせることだ。
資本主義の末期的症状の中で、私たちは暮らしているんですね。

今からでも、間に合う。
スノウドロップ








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子どもの要求のエネルギー

2020年01月24日 23時10分37秒 | 活動日誌
保育園の発達相談日。
 
発達検査後のカンファレンスで「この頃は新しい環境になじみにくい子が多いなあ」が話題になりました。
 確かにね。
 
育児休暇をとると、昔と違ってお友達と接する機会が減ってしまう。子育て支援のグループは救いですね。
 
特に10か月ごろというのは、自分のすべてをゆだねられる大人を媒介に、人も場所も新世界を開拓してゆくエネルギーに満ちたときです。
 
この時期に十分な環境があるか、ということです。
 
その重要な一つが、大人同士のつながりではないでしょうか。
 

大人が仲良しなら、子ども同士も仲良しです。でも、忙しくて、つながるのは容易じゃないのが現状。
 

だけど今日一緒に遊んでくれた2才のYちゃんに、私は子どもの強い要求をみました。
 
親指をしっかり口に入れてしゃぶり、毛布も握って離せない状態で、唯一心許せる担任に抱っこして、先生の胸に顔をうずめています。
 
やっと担任とつながってきたんだという。
 
今日はだめだなと思いました。
 
ところが、課題を話したあと、知らんふりして先生と話をしていたら、さっと手を伸ばして課題に挑戦し、さっと先生の胸に顔をうずめ、様子をうかがってまた同じ行動をとり、結果、課題をやり遂げました。
 
初対面の私ですから、すごいなあと思いました。
 

身も心も許せるようになった心の基地の先生を支えに、誰だかわからない私と課題という、二つの難問に向かってくれたのです。
 
こうした勇気とエネルギーを、いかに伸ばしてあげられるか、それがカンファレンスの話し合いの重要なテーマになりました。
 
競争や比較、叱咤激励だけでは子どもは縮んでしまう。
 

保育園の先生は、子どもも保護者も丸抱えて、つながっていこうとがんばっている大きな存在だと思います。
 入園してしばらく給食を食べない子どもがいると「なぜ?」と話し合い、新しい食器に抵抗があるのかな、と、おうちから普段使っているものを持ってきてもらう・・・そんな細やかな心使いもしているのですよ。
 すごいですねえ。

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決定学習で支部は燃えていると!

2020年01月23日 22時16分12秒 | 活動日誌
昨夜、東北日新聞2月号の最後の原稿が入った。
 
今日は朝のうちに、800文字の原稿をバッサバッサと容赦なく削って500文字にする。
 
いつもならビフォー・アフターで承諾してもらうのですが、もう、タイムリミット。
 
締め切りを過ぎての入稿だし、私の一存で許していただくことにしましょう。鬼の編集長です。
 
印刷に入れることができた。やれやれ、2月号もセーフだ。
 

これで今日は空く。
 
「原田さん、空いてない?」「今日は厳しいな」
 
あらま、そうですか。
 私は今日はあえなく撤退しました。(*'ω'*)


 明日は中野市のH保育園の発達相談日です。
 土曜日ははくちょうクラブ、日曜日は新婦人班会と合唱団レッスン、月曜日は党の県委員総会、火曜日は医療生協・・・・
 

月末にはどこかで時間をとろうということに。
 
26日には支部での計画も立てるというので、それをまちましょう。
 大会決定の学習で、支部は燃えているということです。

いいですねえ。私も、燃えます。


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嫌でも見据えよう、安倍首相の言葉

2020年01月22日 23時36分08秒 | 活動日誌
夜、用事を終えてテレビの前に座る。ちょうど帰宅した夫とニュースステーションを見た。
 
国会での野党と安倍総理のやり取りをちょっと見たら、「気分が悪い。消そう」という。
 
気持ちはわかるが「見ようよ」と。
 
朝ドラの八郎と喜美子の危うい関係を心配して見るよりずっといい。モデルになった方が、離婚して苦労して陶芸の道を開拓したんだと知っているから、ハラハラなんです。
 

安倍総理、これだけの批判があっても平然と居直っていられる神経は、やはり立脚点が全く違うのですね。
 

ちょうど、今日は韓国のチョン・ドゥファンに関する資料を読んでいたので、恩赦になったものの死刑宣告を受けたことのある身にもかかわらず、その後の行動でも体質(思想)は変わらないものだと思っていたところです。
 

今日は合唱団のレッスン日でしたが、歌は歌詞とともにメロディがある。直接的に感性に訴えられる武器だなと思います。

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今日の重要なしごとはふたつ

2020年01月21日 22時16分21秒 | 活動日誌
本日の大事な仕事は二つ、まず、東北部新聞は今日が締め切りです。原稿の催促をしなければなりません。それと紙面つくり。
二つ目は、歌のボランティア。
 

原稿というものは、ずいぶん前から連絡してあるにですが、皆さん忙しいから忘れてしまうのです。まあ、当然ですね。
 
厳しい催促は大事。相手が忙しいだろうと、温情をかけてはいけない!
 
それと、私が担当の原稿の手直しもありました。
 
原稿というものは、一回で書きっぱなしにはできない。私の場合ですが。
 
母が俳句をやっていて、一度書いたら寝せて置いて見直していました。すると、もっといい表現が思い浮かぶ。
 
それで私も、マネしています。
 
たしかに文字数が限られた短い文章ほど、熟考は大事ですね。
 
昨日は「東北大震災を忘れない3・7コンサート」の、合唱団の紹介の文章を書きましたが、175文字。
 175文字で、サークルの紹介となぜ震災を歌うのかを伝え切るのは、苦労ですね。
 
俳句は5・7・5.
 だから俳句は、文章を研ぎ澄ませて書くための、とてもいいレッスンなんだと思っています。
 

実は、一時、母の誘いで俳句をやっていた時期があったのです。でも、続かなかった。(*'ω'*)
 
ジャーナリストはすごいですね。新聞のニュースは熟考などしていられませんね。
 
さて、もう一つの仕事は、老人ホーム松寿荘で歌のボランティアでした。
 4名のメンバーの「アンサンブル春風」が、月一度訪問しています。
 今日は、今までムスッとして歌わなかった方が、マイクを持て歌ってくれました。
 嬉しいことでした。

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「世界を変えた100人の女の子の物語」の魅力はジェンダー。

2020年01月20日 21時54分05秒 | 活動日誌
お孫ちゃんが今、夢中になっている本があります。
バァバからのクリスマスにプレゼントの「世界を変えた100人の女の子の物語」です。


とても熱心に聞き入って、「もっとよんで、もっとよんで」とねだるので、「これで最後だよ」と念を押して区切りをつけています。


著者はジャーナリストのエレナ・ファビッリと、作家・舞台演出家のフランチェスカ・カヴァッロ。


世界の70を超える国の大勢の方がお金を出してくれ、世界各国の60人の女性アーチストが「100人の女の子」の肖像画を描きました。


期待されて書かれた本なのでしょうか。


初版は2018年3月。
2019年6月に4刷しています。


この本がお孫ちゃんをとらえる魅力はどこにあるのかなあと思いを巡らしました。


まずは実在の人物だということでしょうね。


100人は、探検家もいればスポーツ選手もいる、画家や声楽家、科学者、発明家、トランスジェンダーの小学生も政治家も活動家も、様々な分野で活躍した女性が出てきます。


日本語版だからかあいうえお順で編集したのか、真っ先に出てくる「女の子」はアウンサンスーチーさんです。


15才で体の熱を使ったエコなホロウ懐中電灯を発明したアン・マコシンスキーの「電気の使えない人々に、エコなホロウ懐中電灯を無料で配りたい」との夢には、お孫ちゃん、ずい分ひきつけられていたようでした。



次には構成が上手で、非常にコンパクト。一人の女性について半ページ、せいぜい1300文字くらいでまとめてあります。


読んでもらう方も疲れないのです。一まとめで頭にエキスが入る。伝記の簡単版になっています。

でも、あまり端折って簡単だから、だんだん想像力も膨らませてきます。

そして肖像画が素敵です。絵にも見入っていますね。


「わたしとおなじおんなこが、いろんなことでがんばっている!」と、わくわくするするのではないでしょうか。


夜、寝る前に読んであげるいい本はないかと探した結果、これを選んだのですが、ヒットでした。


お孫ちゃんどころか、大人が夢中になり、本を出発点にいろいろと調べ始めました。

例えば、ホロウ懐中電灯のその後など。1万円以上する、高価な懐中電灯でした。そして彼女は起業して頑張っている。



クレオパトラもいれば、海賊のグレース・オマリー、記者のネリー・ブライ、Nzの女性参政権で力を尽くしたケイト・シェパードもいる、マリア・カラスにミシェル・オバマ、オノヨーコ、そしてマララさん、ムッソリーニと戦ったパルチザンのクラウディア・ルッチェリーチ二、エカテリーナ2世、サッチャーもいる。

ほんとに多彩。


100人に絞るには大変な努力があったと思いますが、今なら、地球温暖化を防ごうとがんばっているグレタさんも入ることでしょう。


ジェンダー平等の観点に立って書かれた本ですね。だから、その真髄が、子どもの心にも届き、わくわく感を大きくさせるのではないでしょうか。

我ながら、いい本を選んだと思うに至りました。



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教えるとはともに希望を語ること、こころに誠実を刻むこと

2020年01月19日 23時22分49秒 | 活動日誌
一昨日、A保育園の職員学習会に参加させていただきました。

全クラスからレポートが出ました。

こころ熱くなったことがいくつかありました。

まずは全部が手書き。
日常の忙しさの中でがんばってメモして書き加えたんだな、と思わせるレポートでした。

まず、そのことに心打たれました。

つぎに、内容もけっしてかっこよくなかったこと。

「この劇は発表することになっていたから、私はうまくいかないことに焦っていた。みんなで楽しむ経験なしで、どうまとめるかばかりが頭にあった」

「大人が誘い過ぎていた」

或いは「大人がどこまで口を出したらいいかわからず、『どうしたい』と子どもに委ねすぎた」

などなどでうまくいかなかった例が、細かな実践内容とともに話されたこと。

職員集団が信頼関係で結ばれていなければ、こうした話はなかなかできません。失敗を話せる職員集団に打たれました。

や、実は実践に失敗などなくて、その中に光っていることがたくさんあったのですが。

そして先生方が、いつでも子どもが主人公と考え、気持ちに寄り添おうと努力して下さっていることが、なによりすばらしいことで、うれしく思いました。

私も優しくならなくっちゃ、と思いましたね。

ふたつのことが思い浮かんでいました。

一つは、「実践は後悔ばかり。その時点での自分の力量でしか子どもと向かい合えない。自分も発達している。だから、教育実践はいつも後悔が付きまとう」こと。

もう一つは、ルイ・アラゴンの詩の一節。
「教えるとは、ともに希望を語ること。こころに誠実を刻むこと」

たとえ未熟でも、一生懸命さと子どもを愛する気持ちと謙虚さがあれば、それは相手に通じるもので、一番大事なものですよね。
そして、導く方向を誤らないこと。









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