さくら・ことのは~川柳の部屋

言の葉はこだまことだまものおもひ…五七五の部屋へようこそ。

年賀状と訃報

2015-12-26 | つれづれに

毎年毎年、わかっていることなのに
この時期になっていつもあわてて書いている、年賀状。
ひどい時は、大晦日になってもまだ書いている。
書けたぶんから家族に頼んでピストン投函したり。

毎年送る年賀状のなかには、
何年も会っていない、
もしかしたらもう一生会わないかも知れない人あての
ものもある。

年賀状をやめてしまえば、
つながりがなくなってしまいそうな人もいる。
だからこそ送るべきなのかな、と思う。
ふだん顔を合わせる人以上に。

昨年は父の喪中で年賀状は書かなかったが、
いつものようにあわてて書く年賀状が必要ないのも、
それはそれでさびしいものだった。

こちらから送ることもなく、
届く年賀状もごくわずか。

喪中はがきが数多く届く年は、
親しい友人・知人たちにとって身近な方たちとの
お別れが多かった年。
避けられないこととはいえ、こころが痛む。

今年の喪中はがきの中に、
遠方に住む、学生時代の親しい友人のご主人からのものがあった。
この12月に亡くなったのは、
もう何年も会っていない、その友人だった。

毎年の年賀状だけが、ここ何年もの彼女とのつながりだった。

病気だったとも何とも聞いていないので、
事情がまったくわからない。
共通の友人たちにたずねてみたが、誰も知らないという。
ご主人は、12月に入ったこの時期のことでもあり
遠方であることもあり、
葬儀のタイミングでの連絡を遠慮なさったのかも知れない。

2年前の、母の入院時にも、
わたしは学生時代の親しい友人をひとり亡くしている。
それも、彼女にはもっともふさわしくないと思える、
いまも信じたくない、自殺というかたちで。

その彼女とは、何人かの友人たちとともに
年に1、2回は会っていたのだが、
彼女が来られなかったある時の理由が

 「今はみんなに会いに行く余裕が、とてもないので」

という内容だったので、
気になりながら過ごしていたところだった。

術後のトラブルで入院の長びいた母の回復にも
光が見えはじめてほっとした、
その年の夏が終わろうとする頃。
そんな時に届いた、突然の訃報だった。

覚悟しながら日々を過ごすお別れもあれば、
予期もせぬ突然のお別れもある。

いつどんなかたちでその時が訪れるのかは、
誰にもわからない。

これがさいごになってもいいように、という思いを
いつもこころのどこかにとどめておかなければ。

あえない日々が続くのもしかたのないことがあるが、
だからこそあえる時には感謝して、
悔いのない会いかたを、別れかたをしたい。

笑顔でありがとうの気持ちを伝えたい。



  不精さを悔いる疎遠の友が逝く

  だしぬけの訃報が時を凍らせる

  友が逝くいつもとおなじはずの朝






   
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