緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

2トラック・38センチ・オープンリールテープ復刻シリーズ「ヨハンナ・マルツィ演奏 バッハ部伴奏ヴァイオリン」を聴く

2024-01-19 21:15:23 | バイオリン
今日、注文していた、オリヴァー・ヴルルという企業(GRAND SLAMレーベル)が製作した、2トラック、38センチ、オープンリール・テープ復刻シリーズの、ヨハンナ・マルツィ演奏「J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」のCDを聴いた。



ヨハンナ・マルツィ(1924-1979)を知ったのはいつ頃だろう。
過去の記事を調べてみたら、2016年の12月頃のようだ。その時の投稿記事にこんなことが書いてあった(2017/1/15)。

「最近、ヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy 1924-1979)という女流ヴァイオリニストの存在を知った。
Youtubeでしか未だ聴いていないが、彼女の弾くバッハのシャコンヌやメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調の音に釘付けとなった。」
「今まで聴いたヴァイオリニストの誰よりも力強く、生気に満ちた音、演奏であった。
幸いバッハのソナタとパルティータの全曲録音が出ており早速注文したが、楽しみだ。
ギターのセゴビアのように、楽器の持つ音の神髄を真に熟知した演奏家かもしれないと思った。
これもいつか記事にしようと思っているのであるが、Youtubeでセゴビアのドキュメンタリーがいくつか投稿されており、その撮影の中で生演奏されるセゴビアの音が物凄いのだ。
これだけの音を楽器から引き出す能力はまさに神業といっても大袈裟な言い方ではないとその時思った。
ヨハンナ・マルツィの音も同様な感じがした。」

そして2017年9月23日の記事でメンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲ホ短調を聴いたときの感想として、こんな感想をコメントしていた。

「今、こうしてマルツィの演奏を何度も繰り返し聴いていると、楽器の音って人間の感情そのものなんだな、思ってしまう。
そのくらいマルツィの音は精神的、感情的なものに満ちている。
聴いていると、心の底に眠っていたものが意識に上がってきて、力が出てくる。いろんな感情が湧き起ってくる。
こんな演奏をできるヴァイオリニストが何人いるのだろうか。」

この後、マルツィのセットもののCDなどを集めては聴いてきたが、特に素晴らしいと感じたのは今日取り上げる「J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」の録音(1954、1955年)である。
これは韓国のユニバーサルというレーベルから発売されていた13CDのセットもので聴いたが、古い音源(モノラル)であるにもかかわらず録音状態は良く、彼女の格調の高い、合わせて清冽で感情に満ちた演奏に感銘を受けた。



このマルツィのバッハ演奏をきっかけに無伴奏ソナタとパルティータの全曲録音している奏者のCDを買い集め、聴き入った。5年くらい前のことだ。
今日数えてみたら35枚種類ほどの数であった。
これだけたくさん聴いても、心に強く刻まれる演奏というのはそうあるものではない。
バッハに限らず、クラシックの録音で数千枚の中でも生涯聴き続け、自分の人生に影響を与えてくれるほどの出来の録音というものはせいぜい十数枚というところであろう。
バッハの無伴奏ソナタとパルティータの全曲録音に関しては、上記マルツィの録音と、潮田益子の1971、1972年の録音の2つしか強いインパクトを与えなかったようである。

韓国のユニバーサルレーベルでの録音を聴いた後、Profilというレーベルから発売されていた、アナログ盤(LP)から録音されたいうトランスファーCDを買って聴いてみた。
その時はユニバーサルレーベルよりもインパクトがあると感じた。これがよりオリジナルに近いのか、と思った。



そして、今回、GRAND SLAMレーベルから「2トラック、38センチ、オープンリール・テープより復刻! これぞ決定盤といえる大注目盤! !」というキャッチ・フレーズに惹かれて衝動買いしたのが冒頭に記載したCDである。
ライナー・ノートの解説を書いている平林直哉氏によると、「マルツィのバッハはCDだけでも複数の復刻盤が存在する。そこに新たな2枚組を加える意味があるのかといぶかる人もいるだろう。しかし、従来の復刻CDについて、不満を抱いて人が意外に多いのに気がついたのである。使用した、2トラック、38センチのオープンリールは、幸いにして保存状態は非常に良好だった。ひととおり聴いてみて、これならば市場に出す価値はあると判断した。もちろん、手に取ったすべての人がもろ手をあげるかどうかはわからないが、かなりの高い確率で賛同を得られるのではと思っている。」とのこと。

今日、上記平林氏の解説のとおりか、下記4推類のCDの聴き比べをしてみた。

①韓国ユニバーサルから発売されたセ13CDのセットもの
②EUのTHE INTENSE MEDIAというレーベルから発売された10CDのセットもの



③Profilというレーベルから発売されていた、アナログ盤(LP)から録音されたいうトランスファーCD
④今回購入したGRAND SLAMレーベルの復刻CD

全曲全て聴くのは長時間を要するので、下記の曲で聴き比べした。

1.ソナタ第1番より、フーガ
2.パルティータ第1番より、アルマンド、ドゥーブル、終曲ドゥーブル
3.パルティータ第2番より、ジーグ
4.パルティータ第3番より、ブーレ

結果は以下のようになった。
まず①と②の差は感じられなかった。殆ど同じと言っていい(もしかすると同一の音源かもしれない)。
③は他の音源と比べて、かなりの有意差を感じた。恐らく、LPの再生音に、ホールのような反響効果を人為的に付加して後加工したと思われるような音であった。
反響音がかえって音をぼやけさせ、輪郭の不明瞭な音として感じられた。
では肝心の④と①(②)の違いはどうか。
2のパルティータ第1番より、アルマンド、ドゥーブル、終曲ドゥーブルと3.パルティータ第2番より、ジーグでは大きな差異は感じられなかったが、1.ソナタ第1番より、フーガと4.パルティータ第3番より、ブーレは大きな差を感じた。
その違いとは、④の方がより楽器の生の音がリアルに再現されていたのと、これは最も重要なことであるが、奏者の感情エネルギーがより強く感じられたことである。
音はより清冽、瑞々しく、聴き手の感情がより刺激される。
バロメーターは聴き手の感情の動きである。より感情が強く沸き起こってくるかである。
今回判明したもう一つの重要な側面は、③の音源のように、後から人為的に電気処理された音というものは、「肝心の奏者の感情がシャットアウトされてしまう」ということであった。
演奏というものは、奏者の感情が楽器を経由して音に変換されて放出されるものであることは疑いのないことであろう。
しかし、人為的に生の音を後から電気処理を施すなどして別物に変換してしまうと、演奏で最も重要な要素である奏者の感情が遮断されてしまうのである。
だから③の音源を聴いても何も感情的は変化が起きなかった。
このCDを買った当初は反響音の心地よさに感覚を胡麻化されていた、ということではなかったかと思うくらいだ。
LPレコードのCD化も注意を要するということだ。

しかしモノラル録音で1950年代の磁気テープでこれほどの再現能力を示している録音は極めて貴重だ。奇跡に近いといっていい。
元々のオリジナルの録音が極めて優れていたからこそと言える。
昨今の電気処理された録音と比べても雲泥の差だ。比べること自体が論外と言っていい。
当時の録音技術者の思いがこの録音を通して伝わってくる。
恐らく、彼らは、まさに今この奏者が弾いている音そのものを100%忠実に再現することを究極の目標として仕事をしていたに違いない。
そこが現代主流の、オリジナルに人工的な味付けやお化粧を施して、別物に仕上げてしまうような安易な製作精神とは全く次元の異なる信念を感じさせるのである。

古い音源というのはたいていマスターテープが劣化してオリジナルの音のままでは商品化出来ないから、リマスターによって手を加えられるのであるが、これも技術者の主観によりオリジナルとは別物になってしまうことは避けられないだろう。
今回聴いた音源のように奇跡的に劣化せずに保管されていたのであれば、現代の高度化された機器によりオリジナルに忠実な音源の再現も可能なのかもしれない。

電気処理されたり、オリジナルがゆがめられたリマスターのCDをいくら高額のオーディオ機器で再生してもあまり意義を感じられない。
高額のオーディオ機器で聴くのあれば、お金はかかるが、初プレスのレコードを買って聴くことのみ意味があるようにも思える。
再生機器も例えば、ヘッドフォンの違いでも音は大きく違って聴こえるものである。
このように考えると、コンサートの生演奏、出来ればベストの位置で実際の本物の生を音を聴くのが最も優れた鑑賞方法ではないかとさえ思える。

【追記】
過去の記事を調べてみたら、こんなことを書いていた記事が見つかった(2018/2/4)。
以下抜粋。

「聴き手と演奏家との相性は絶対あると信じている。
マルツィの表現、音楽に対する考え方は私の普段求めているもの、感じているものと合致する。
ヴァイオリン協奏曲ホ短調の冒頭の演奏からそれを感じる。
この曲に私がこうして欲しいというと思うことが、彼女の演奏が実現している。
そして偶然の機会に出会い、その一致を感じた時、その瞬間にたとえようもない感動と共感を覚える。
演奏家が死んでこの世の中にいなくても、その人と触れることができる。

彼女はある根拠の無いスキャンダルが原因でキャリアに大きな傷が付き、病気に苦しみ最後は癌で54歳の生涯を閉じた。
彼女が亡くなった時には、その存在がすっかり忘れ去られていたという。
こんな素晴らしい演奏家なのに信じられない。」

上記のスキャンダルとは何かの本に書かれていたと記憶している(図書館で借りた本だったようだが)。
先の大戦に関わることだったと思う。
ちなみにウィキペディアには殆ど情報が書かれていない。
しかしタワーレコードで彼女の録音を検索すると、2017年の頃に比べて、発売されている録音が大幅に増えている。
中には完全新規製作限定のLPレコードも何種類かあった。
現在、彼女の功績が正当に評価されてきた証であろう。



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