緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

勤め先の先輩に20年振りで再会した

2024-03-23 21:19:17 | その他
今日のお昼に、私の勤務先の会社で若い頃によく飲みにいった8歳年上の先輩と約20年振りで再会し、東京某町の居酒屋で3時間ほど飲んできた。
13時から16時までという時間帯で、居酒屋で飲んだ、という記憶はちょっと無い。

今から1年前のことであったが、それは去年の2月下旬に母校マンドリンクラブ55周年の記念演奏会の合奏練習のために実家に帰省していたときだった。
実家の居間のソファでうつらうつらしていたら、携帯の着信音の音で目が覚めた。
電話に出ると意外な人からであった。
もうすでに退職されていたが、あの先輩の声に相違なかった。
あまりにも懐かしく、30分くらい近況などを話した。
電話が終わってから、携帯にショート・メッセージを送ってくれた。昔私が出した年賀状も捨てないでとっておいてくれたようでその画像も送ってくれた。

先輩とは一度も同じ職場にならなかったが、何のきっかけで知り合ったのだろう。
多分、私が新入社員の頃、組合の行事の帰りに飲みに誘われたのが最初の出会いだったとかすかに記憶している。
物静かで出しゃばらないダンディーな方で、私の話をよく聞いてくれた。
私が、20代半ばごろ、うつ病で苦しかった時代でも飲みに誘ってくれて、先輩と何度か飲んだ記憶がかすかに蘇ってくる。

うつ病の薬が効かず、薬を止めたらその反作用で、食事を受け付けず、眠れなくなり、もう親も兄弟も誰も信じられなくなり、その苦しさのあまり、年末の仕事納めの翌日だったと思うが、先輩に電話したこともあった。

私はその後うつ病から回復し、工場に転勤になり、それ以来先輩と顔を合わせることはなくなった。
工場勤務になってから5年くらいたった頃であろうか。先輩が本社から出張で工場に来たことがあって、私の席のところに来てくれた。私が35歳くらいの頃のことだ。
そして飲みにいこうという話になり、工場の最寄りの駅前の居酒屋で飲んだことがあった。
その居酒屋にはすでに先客の、勤務先の資材部の部長と課長がカウンター席に座っていた。資材課長が高橋和巳の「悲の器」を絶賛し、熱弁をふるっていた。

私は30代の終わり頃から仕事が忙しくなった。
そんな折、先輩が工場の敷地内にある、子会社の運送会社に出向になり、何かのきっかけで先輩が私の仕事場の席まで来てくれて、今日、飲みにいかないかと誘われたが、仕事が忙しかったので断った。
それ以来、今日までの間に先輩と一度も会うことはなかった。

先輩は出向が解除されてから、神奈川県某町の機器解体・リサイクル部門の工場に転勤となった。
たくさんの派遣労働者の管理を行う業務であった。
私の所属する事業本部内の組織でもあったので、先輩と仕事で何度か電話で話す機会があった。
そしてそのころだと思うのだが、休日に新橋駅で電車を待っていたときに携帯に先輩から突然電話がかかってきた。
今度飲みに行こうという話だったと思う。私が40代前半の頃だったと思う。

先輩は60歳定年後、雇用延長となったが、2年ほどである理由で退職した。

今日の昼、東京某町で先輩と20年ぶりで再会したが、年をとっても顔や姿はあまり変わっていなかった。先輩も私が殆ど昔のままだったのですぐに分かったとのことだった。
先輩は退職されても、昔の仕事時代の仲間と、それもかなりの人数の方と交流を続けていることがわかった。
それらの方々の中には私の同期もいた。飲み会の写真を見せてくれた。
機器解体・リサイクル部門時代の仲の良かった派遣社員の方と海外旅行に行ったこともあったそうだ。
そう、物静かそうで、目立たないけど、何故か意外に人望がある、先輩はそんな方なのだ。

今日の先輩は饒舌だった。
機器解体・リサイクル工場勤務時代の派遣労働者の中には、一流企業を辞めた方や、学校の先生だった方もいたと話してくれた。
先輩は、様々な事情で日払いの勤務形態でその日暮らしの生活をするようになった人たちの気持ちが分かる方だった。

酔いも回ってきて、モリカケなどの時事の話題になったりもしたが、突然先輩が「〇〇(私のこと)はどこまで出世したんだ、名刺を見せてくれ」と言ってきた。
私は「工場勤務時代に人の倍働いたせいで、それなりの地位まで行きました」とよれた名刺を渡して答えた。
すると先輩は嬉しそうに「そうか、良かった、良かった、すごいじゃないか」と言って一瞬声を詰まらせてから、涙を流したのである。
あまりにもの突然の展開に私はとまどった。しかし私も感極まって涙が出てきてしまった。
先輩は、若い頃のうつ病だった私が、不器用で、話下手の私がそこまで行ったことを心から喜んでくれたのである。

16時でお開きになった。
帰りにアメ横の雑踏を歩きながら、駅に向かった。
先輩は私の帰路とは全然違う方向であったが、遠回りでも私と同じ電車で帰りたいと言い、結局、私の最寄り駅までの路線まで乗ることになり、居酒屋の続きの会話が始まった。
先輩と分かれたのはあの私鉄の駅だった。

私はこの3月でサラリーマン生活の節目を迎えることになったが、勤め先には本当に様々な人たちがいたことが今更ながらリアルに分かってきた。
部下が自分のために一生懸命身を削って仕事をしていることが分からず、それが当然と思っているだけでなく、そのような人を平然と踏みにじるような方も残念ながらたくさん見てきた。
案外、中間管理職で終えた方の方が、サラリーマンの悲哀を身に染みて経験していると思う。
残酷な仕打ちをされても、生きていくために、家族を養うために忍耐する、という経験は、結果的には人間に対する深い理解力、共感力を深め、その体験が最後には自分を成長させてくれた、と感じることができる日が必ず訪れるものだと思っている。
今日、先輩と久しぶりに話をしてその思いを強くした。
コメント