穴にハマったアリスたち

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ぼくプリと男子プリキュアとプリキュアらしさ

2023年10月27日 | Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)
今週末の「Dancing☆Starプリキュア」(ぼくプリ)に備えて、今の内に私の現時点の考えをまとめておきます。

[追記]
観劇したので一部追記します

【プリキュアらしさ】
私は下記の3点が「プリキュア」を構成する大事な要素だと思ってる。
今のところ「オールスターズF」「オトナプリキュア」とも整合しており、それなりには確からしいはず。

(1) 玩具(詳細)
コレクターマニア的な観点ではなく、「子供時代の象徴」「メーカーからの信任」などなどを反映してる点で重要だと思う。

(2) 世代交代(詳細)
「F」の言葉でいえば「繋ぐ」。プリキュアは登場人物を総入れ替えしながらシリーズを継続していくのが特徴で、番組内でも次世代や周囲に「繋ぐ」のを重視している。

(3) 変身願望(詳細)
仮面ライダー等と違い、素の自分が成長したかのような姿をとり、ままならない現実を打破するきっかけや大人への憧れを反映しています。

前情報を見る範囲では「ぼくプリ」にはこれらがない。故に「プリキュアではない」が今の気持ちです。
※「プリキュアではない」と「面白くない」は無関係。あくまで「プリキュアなのか」の観点のみの印象で、舞台としては面白そうだと思っています。

「面白ければ良い」「小難しい定義に拘るのは本末転倒」もまた真実だとは思うのですが、鷲尾さんも「プリキュアとしての挑戦」と語っています。
自分にとっての「これはプリキュアなのか」は抱えた上で感想は持ちたい。
ひいてはそれが、既存のプリキュアの新たな魅力の発見にも繋がると思っています。

[追記]
実際に観た感想として、上記3点はやっぱり厳しかった。
特に「変身願望」が否定されてしまうのはかなりきつい。

【男子プリキュア】
私の考えでは、初代のキャッチフレーズ「女の子だって暴れたい」とセットなのは「男の子だって大人しくいたい」。
ままごとや絵本が好きな男の子だって認められるべきで、決して軟弱ではない。

ただこれはコンテンツとして見た場合、かなり難しい。
好みは当然あるので、「守られている男よりも、守る男が好きだ」も否定されることではなく、傾向としてはそちらが多数派と思われます。

実際にキュアウィングはこの問題に直面しています。
本編では比較的大人しめで、それを否定的に見る人も一定数いる。それだけなら好みの問題ですが、「F」では果敢に「男気」を見せて絶賛されてしまっています。
キャラクターとしてブレてしまっている。

これが歪なのは、他の例に置き換えると分かると思う。
スカイが泣き出し、完全に戦意を喪失したのを見て「やっぱり女の子は守られてるのが似合うね。可愛い」と絶賛されたら、「変だ」と感じるんじゃなかろうか(弱い側面も見れて人間描写が深まったといった観点ではなく、「女子は泣くのが似合ってる」の観点)。
あるいはルミナスが床を殴り壊して黒白キュアを逃がしたら、キャラ崩壊と言われるのでは。過去にあったかもしれませんが。

そもそもでいえば「大人しい」と「プリキュア」が両立する概念なのかも疑問です。
(ルミナスやエコーのような例もあるとはいえ、かなり特殊な立ち位置なので参考にしづらい)

一方で「ぼくプリ」は練習動画などを見るに、とてもパワフルで見ごたえがあります。
とても良いことで好感度も高いのですが、上記の面倒くさいことを思うと、とにかくひたすらに面倒なことになる。

「パワフルだからプリキュアらしい」のであれば、「男の方がプリキュアに適している」という歪な結論に至ってしまう。

現実の問題として、生身で演じるとなると男性の方が「プリキュア」的には有利だろうとは思います。筋肉や体格の差はどうしてもある。
また、女性演者がフリフリのスカートで格闘をすると、そんな意図はなくても性的な要素がでかねない(男性演者でも性的な要素は出ますが、本題ではないので割愛)。

では「プリキュア」は「男子」がやるべきなのか?となると、もはやコンセプトの自己否定でコンテンツの死です。

・大人しい男子だと魅力を感じない
・パワフルな男子だとプリキュアとして認めがたい

これでは詰んでしまう。
「ぼくプリ」は舞台としては面白そうなので、何か突破口となるアイデアがあると願いたいのですが、私には思いつきません。

[追記]
腕力で勝てない敵幹部に、ダンスで挑むのは男子プリキュアとして納得できました。
失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、舞台ではそこまでパワフルさオンリーではなく、しなやかさ(可愛さ)もあったので上記の懸念はあまり当てはまらなかった。

【プリキュアではないもの】
プリキュアとは何かを描いた「F」で、紛い物のプリキュアが出てきます。

・変身シーンはあるが、プリキュアではない
・強いがプリキュアではない
・弱い民衆を守り、邪悪な敵と戦うがプリキュアではない
・破壊と創造だけでは、プリキュアではない

この4つだけではプリキュアらしさに繋がらない。
(上述の「パワフルさ」もこの文脈で既に否定されています)

「ぼくプリ」さんからすれば雁字搦めで、「プリキュア」として認識され得る要素がないように思う。

[追記]
最も感動したのはこの変身シーンでした。
脈絡なく現れたダンサーと一緒に変身するんですが、着替えの手伝いをすると共に、傘を開いたり舞ったりで華やかに盛り上げ、かつ「1人ではない」が伝わってきました。
この「1人ではない」で、シュプリームの偽変身シーンとはきっちり区別できた。

リアルでは不思議パワーが使えないのを逆手に取り、本来なら足枷になる「黒子」を見事に昇華していました。この解決策は全く思いつかなかった。素晴らしい。

【現時点の私の気持ち】
「男子だからダメ」といった単純な話ではなく、プリキュアファンとしては「やっぱりこれは厳しいな」と思う。
おそらく感想は「舞台としては面白かったが、これはプリキュアではない」か「プリキュアだと感じた。理由はパワフルさだ。これはコンテンツの死だ」のどちらかになりそうな気がしています。どっちも好ましくない。

20周年の「挑戦」である「F」や「オトナプリキュア」は、今までにない要素があるにも関わらずちゃんと「プリキュア」だと感じました。最初に3つの要素をあげたように、なぜプリキュアだと感じたのかの言語化もできる。

「ぼくプリ」さんもそうであって欲しい。
個人の主観の好き嫌いはさておき、公式に「プリキュア」を冠している以上は、「プリキュア」ファンとしては成功して欲しいと思います。

今までにも、比較して「好きではない」プリキュアも「好みではない」シリーズも勿論ある。80人弱もいて20年もやっていれば、好き嫌いの濃淡はある。
でもその子やシリーズを嫌悪して、「プリキュアではない。黒歴史として無視しよう」とは思わないように、「ぼくプリ」もプリキュアの一員として認識されるものであって欲しいです。


この種の全プリキュア本でも扱うべきだろうし、反発を予期して避けるのであれば、準備が整うまで「ぼくプリ」を企画すべきじゃなかったと思う。
(ぼくプリ公開前なので、今回は載せないことに言い分は立つけれど)

一つ明るい要素を挙げるなら、「全員男子」は「男女混合」よりプリキュア的には有利だと思います。
男女混合だと、異性同士の関係が発生してしまう。意識すると「接触を避ける」など描写に制約が出る。無視すると「年頃の男女が同棲する」など違和感のある展開になる。

一般にはこの制約や違和感を物語に組みこむのですが、未就学児とその親が見るコンテンツであるプリキュアでは、どちらも避けたい空気がある。
(「ドラえもん」のようなお風呂ネタは(覗きはもちろん男女別行動の動機づけなどの使い方でも)「プリキュア」では好まれない)

「ぼくプリ」は男子だけ。言い換えると「同性のみ」のチームなので、物語の制約的には従来のプリキュアにむしろ近い。
男女混合よりも「プリキュアらしさ」のハードルは下がるんじゃないかと思ってます。

本当に、いざ始まったら「確かにプリキュアだ。こんな見せ方があったのか!」と絶賛し、この記事を書いたのが的外れで恥ずかしくなるような、そんな舞台を期待しています。皮肉ではなく、本心から。

[追記]
残念ながら、悪い意味で的外れの分析でした。
舞台はとても面白かったのですが、上記のごちゃごちゃした理屈以前の問題で、私はこれをプリキュアとは認識できなかった。

夢や希望やプリキュアを、悪に利用されたまま終わる。そんな次元の心配は完全に想定になかったです。
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「子供向け」と「ぼくプリ」論議について

2023年06月14日 | Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)
「Dancing☆Starプリキュア」(ぼくプリ)が未就学児の観劇禁止だったことを受けて「子供向け」のワードをあちこちで見かけたので、自分なりの解釈をまとめてみます。

【子供向けとは何か(1)】
この言葉はかなり曖昧で、そのせいで擁護・批判のどちらも話がかみ合っていないように見えます。
私の考えとしては、この言葉の背景は主に2つある。

まずストレートに「子供を大切にしよう」という「大人」としては当然の思想です。
子供席がなくても、自然と子供を前に誘導して譲っている光景は、プリキュアイベントでは頻繁に見かけます。
この感覚が(そうでない人もいますが)共有されているので、子供を優先しないことに大きな違和感を持ってしまう。

「仮面ライダー」等よりこの感覚が強く表れるのは、「プリキュア」の対象年齢が短いことが理由の一つかと思います。
保育園・幼稚園の年中・年長さんが最盛期で、小学校に上がると徐々に恥ずかしさを覚え、フェードアウトしていく。これが一般的なイメージでしょう。

「仮面ライダー」等より対象年齢が低く、「アンパンマン」等ほど記号化されていない。
だから短い期間を精一杯楽しんで欲しいという気持ちが、他より強く出る。

もう一点、対象としてイメージするのが「女児」なのも影響していると思います。
これに関しては正直あまり良いことではないのですが、「女の子は(男の子より)守るべきだ」が出やすい。男の子は我慢しろ。
完全に差別ですけど、是正すべきは「男の子は我慢」の方だと思うので、これ以上は触れないことにします。


(「スイートプリキュア♪」ラブギターロッドのCMから引用)

やや蛇足になりますが、このラブギターロッドのCMは個人的にとても好きです。
なりきり遊びを楽しむ女児(小学生ですが)と、それを受けてお姉さんやオッサンが楽しく踊りだす。中心に子供がいて、周囲が盛り上げる。
この項でいう「子供向け」の精神が現れていると思う。

【子供向けとは何か(2)】
もう一つの背景は、「子供向けに相当する内容が好きであり、それをプリキュアらしさと認識している」。

「(プリキュアにおける)子供向け」としてすぐ思いつく要素だと、とりあえずはこのあたりが代表例かと思います。

・恋人がいない。過度の恋愛描写(例えばベッドシーン)がない
・性的な強調をした入浴や水着などがない
・腕が切断されたり、メインキャラクターが死んだりしない
・バッドエンドで終わらない
※例外もある。例えば夢原さん。絶対の条件ではなく傾向と捉えてください。

これらは、同じ「子供向け」でも「仮面ライダー」等にはあてはまりません。
逆に「アンパンマン」等だと、もっと厳しい制約がある。

つまりは「子供向け」とは「プリキュアの基本方針」「プリキュアのレギュレーション」を言い換えている面がある。
「プリキュアは子供向けだから」とは、「プリキュアは過度の恋愛描写がなく、お色気シーンがなく、グロシーンもなく、ハッピーエンドで終わるものだ」と、この点ではほぼ同義です。

そのため「子供向けではない」と言われると、これらのレギュレーションが撤廃されたように感じてしまう(後述しますがこれは誤認)。
言い換えると、「プリキュアらしい」と感じていた諸々の要素の撤廃ですから、「プリキュアらしくないなら、そんなのプリキュアじゃない」となります。

【批判側の誤解(と私が思うもの)】
次に、批判側が誤解していると思うことに触れてみます。

(1)の「子供向け」については、逆に言えば「卒業してしまう小学生を捕まえるために企画した」とも考えられます。
「(いわゆる)腐女子狙いだ」のようなレッテルが先行し、擁護側も「大人向けなんだから子供は騒いで迷惑」のような反応をしているせいで、影が薄くなっちゃっていますが、小学生や中学生をターゲットにしていても何らおかしくはありません。

その場合も「未就学児が見られない」ことは何も変わらないんですけれど、印象は大分違います。
アニメのプリキュアに恥ずかしさを覚え始めたら、次はステージのプリキュアへ。
例えば公式のキャッチコピーが「プリキュアを卒業した子供たちへ」などだったら、子供向け(未就学児)から子供向け(小学生)への拡張ですから、反発は減ったと思う。

(2)については、プリキュアらしさ(過度な恋愛シーンがない等)を捨てるとは発表されていません。
「挑戦」「大人向け」を強調して擁護しすぎているせいで、ありていに言えばBL的要素や露出が増えるんじゃないかのような懸念があるのですが、現時点では被害妄想の域です。
その視点で見ると、発表されているコスチュームは露出度が低く、もしかしてこの懸念を事前に防ぎたかったのでは?とすら思えます。

【擁護側の誤解(と私が思うもの)】
一方、上記の「子供らしさ」の言葉の背景を踏まえると、擁護意見の幾つかは「反論」になっていないのが分かるかと思います。

「小学生も子供だ」は、この文脈でいう「子供」とは、コアターゲットの未就学児のことなのでずれている。
「小学生になってから見ればよい」は、「小学生になったら卒業」とかみ合わっていない。
「映像化してから見ればよい」は、「子供に譲る」精神に反するし、そもそも見せられる代物なのかの疑問が残る。
「仮面ライダーにも子供お断りがある」は、「ここでいう「子供向け」とはプリキュアのレギュレーションのこと」なので、他番組は関係ない。
「未就学児は騒ぐから」「楽しめないから」は、「そこを放棄したらプリキュアじゃない」。
「新しいことへの挑戦、多様性を認めよう」は、「プリキュアらしさを全否定するなら、ただの破壊だ」。

深夜放送予定の「まほプリ」続編については、見ようと思えば未就学児も見られますから、前提が異なります。
オトナプリキュアの発表の際に「子供向けなのは変わらない」とのコメントも出ていたので、(2)の要素にも反しない。

【公式サイドに望むこと】
反論は多々あるかと思いますが、以上がひとまず今の私の認識です。

その上で公式様にはできればお願いしたいこと。

とにかくさっさと情報を出して欲しい。

これらの問題は、あらすじが発表されるだけでもそれなりに解消します。
舞台稽古の様子がアップされれば、どんなノリかもある程度は分かります。

「ああそうか、プリキュアのレギュレーションが全撤廃ではなく、ここを変えるだけなのか」のように分かれば「子供向けじゃないからプリキュアじゃない」は薄れるはず。
「小学生の子供を連れて行っても大丈夫なのか?」を懸念している親御さんもいるんじゃないかと思います。

現状だと擁護も批判も誤解が先行してしまい、深刻な分断を引き起こしているように見えます。ぶっちゃけ、「あいつらに賛同したくないから反対(賛成)」の域に達してしまいかねない。だから早く情報を出して欲しいです。

実際の「ぼくプリ」が小学生にも見せられない内容だった場合は、また別途考えてみる。
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「ぼくプリ」から思うプリキュアのキャッチコピー:「男の子だって守られたい」?

2023年06月12日 | Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)
以前に「プリキュアの原点は、私としてはこの3点だ」として、「玩具を売ろう」「世代交代」「変身願望」を挙げてみました。
次は有名なキャッチコピー『女の子だって暴れたい』を考えてみる。


(2023年開催の全プリキュア展から引用)

このコピーが素晴らしいのは「女の子は大人しい」「男の子は手がかかる」という、特に育児経験者なら一度は聞いたことがある偏見を射抜いたところだと思います。

「女性だって暴れたい」ではない。
「子供だって暴れたい」でもない。
「女の子だって暴れたい」です。

現在では「暴れたい」は社会進出などにも拡張されていますが、大元はもっとシンプルな「女の子だって動き回りたいんだ」という活発な行動欲求でしょう。
これが「変身願望(なりきり遊び)」や「玩具」と結びついて爆発的にヒットし、「世代交代」で続いていった。

ではこれを男子に当てはめたらどうなるかといえば、「男の子だって守られたい(≒大人しい)」です。
実際にハグプリでエールさんもおっしゃっている。「男の子だってお姫様になれる」。

現実世界を見ると「女の子は大人しい(家にいればよい)」の偏見は以前よりはかなり減ってはいますが、逆の「男の子は暴れたい(働くのが本分)」はかなり根強い。
女性の社会進出の最大の障害のひとつは、男性の家庭進出が進まないことです。男性が家庭を拒絶しているというより、男性に対する偏見が障壁になっています。いまだに「男性の育休はありえない」の会社/家庭は少なくないです。

※「家庭で働く」と「大人しい・守られている」は異なりますが、「暴れたい」を「社会進出」に拡張している背景があるので、便宜上つなげています。家庭にいることだって、戦場が違うだけで本来の意味では戦っています。

よって男子をプリキュアに組み込むのなら「男の子だってプリキュアになりたい(暴れたい)」ではなく、「男の子だって守られたい」が正統に思えます。
少なくともジェンダー問題の観点で言うなら、男がプリキュアになれないことより、男が守られる立場になれないことが深刻でしょう(そもそもジェンダー問題を取り扱う必要性を私は感じませんが、あえてそれを言い出すのであれば)。

「プリキュアの正体を知っていて(決戦間際のような例外を除く)、非レギュラーの民間人枠ではない、守られてばかりで居ることを良しとする男性キャラ」は、長いプリキュアの歴史でも意外といません。

例えば「プリキュア5」のココ・ナッツは守られていることをずっと悩んでいました。
彼らの場合は「自分の国の問題で、しかも国王なのに、無関係な年下の子供を戦わせるのは申し訳ない」の背景があり、性別に関係なく真っ当な感覚です。「男なのに情けない」のような演出はされてはいません。
(「デパプリ」のマリちゃんも同様)
ただ「申し訳ない」が描かれているのも事実です。

「ドキプリ」のジョナサンや「ハピネスチャージ」の誠司くん、「ゴープリ」のカナタ王子たちはプリキュアほどの戦闘能力はないものの戦っています。
「フレッシュ」のタルトのような精霊、「スイプリ」の音吉さんのようなご老体、異世界にいる国王たちは、見るからに格闘に向かないので別。

では該当するキャラクターはといえば、代表格は「ハピネスチャージ」のブルーです。
そしてブルーは(ファンの方には申し訳ないですが)かなり不人気な部類です。

※「フレッシュ」のカオルちゃんは扱いが難しいので除外します。
※「ハグプリ」のハリーは、戦えない事情がある。本人としてはむしろ戦いたがっている。

ブルーは、ストーリー上「捨てた元カノが復讐にやってきたので、若い娘たちをけしかけて迎撃した」ように見えるので、守られる云々以前の面はあるのですが、こういった背景が明らかになる前から「お前も戦え」の声は見かけたように思えます。

では「戦わない女性キャラクター」はというと、これも意外といないのですが(大抵はプリキュアになってしまう)、すぐに思いつくのは「ゴープリ」の七瀬さんです(ここでいう「戦う」とは格闘戦のこと。絶望に抗する・プリキュアを支えるという意味では、七瀬さんは勇敢に戦っています)。
そして彼女の好感度はとても高い。「プリキュアにならなかったからこそ良かった」とも称賛されています。

私の正直な気持ちとして、ブルーと七瀬さんを単純に比較するのはどうかとも思うのですが、「直接の格闘戦をしない」という共通点があるのに、印象に差があるのも確かです。
ジェンダーの観点からいうのであれば、「男の子だってプリキュアになれる」よりも「男の子だって戦わなくて良い」の方が「挑戦」だったのではと思えます。
少なくとも私の感覚ではそうなので、だから「ぼくプリ」を「挑戦」と言われることに違和感がある。

※但し、大前提としてジェンダー問題を扱わねばならない理由はないし、殊更に見たいわけでもない。「男の子だってお姫様になりたい」をプリキュアで扱わねばならない理由はなく、やりたい他のコンテンツでやればよい。

※各人が特定の憧れや理想像を持ち、そこに性別の要素があったとしても非難される筋合いはない。「守られてる男より、戦う男が好きだ」は、「守られている女より、戦う女が好きだ」と同軸であり、作品の好みとして異常とは思わない。
現実世界で「〇〇はかくあるべきだ」と自他に強制するのが問題であって、創作物での好き嫌いはあって当然であり、その集合として特定の傾向の作品が増えるのは当たり前です。

以上から、本当に挑戦するのであれば(その必要性はともかくとして)、プリキュアになるにしてもルミナスのような立ち位置がポイントを押さえていたように思えます。
精霊を抱っこして逃げるのが役目。基本的には防御技と支援技のみで、前線で殴り合いはしない。
見た目も「年下の華奢な少年」ではなく、「体格の良い年上の青年」だとテーマは強調されると思う。

そう思うと、ぼくプリの面々が高校生で、体格的にも女子中学生より「戦闘向け」なのは、期待できる要素なのかもしれない。
文字通りにダンスで戦う(アラモード以上に格闘はしない)のであれば、肉弾戦をしないのが(中学生女子より向いているはずの)男子高校生というのは特徴的です。
格闘をするにしても、演者の方には失礼かもしれませんが、アニメよりは控えめな表現に当然なるでしょう。まさかステージ上でビルを爆破したりはすまい。

よって「最も非力なプリキュアが男子プリキュア≒男の子だってお姫様になれる」が、意外と成り立つのかもしれない。
多分それもあるので、本家プリキュアに戦闘力では負ける描写を望んでしまうのかも(前々回の記事のラストを参照)。

「女の子だって暴れたい」およびその対となる「男の子だって守られたい」に、ぼくプリは反しているのか合致しているのか。
意外と判断は難しいのかもしれない。
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「ぼくプリ」から思うプリキュアの原点その3:変身願望

2023年06月06日 | Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)
「Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)」から整理した「私は何をもって『プリキュア』と認識しているのか」の第3弾。

「プリキュア」の特徴として、第1弾「玩具を売ろう」、第2弾「世代交代」を挙げてきました。
では同じくこれらに該当する「仮面ライダー」さんや「戦隊ヒーロー」さんとは何が違うのか。

特徴的なところの一つは「変身がパワードスーツではない」点だと思います。

例えば仮面ライダーファイズの中身が、乾巧でなくてもそれほど問題にはならない。普通にある。
ですが、キュアドリームの中身が夢原のぞみでなかったら大問題です。

仮面ライダーのオールスターズで過去ライダーが出てきても、中身が誰なのかはボカされています。
キュアドリームは夢原のぞみだ。夢原のぞみ以外が変身しているとは、誰も思わない。

変身後の姿は変身前の人物と不可分であり、ライダー等ではしばしば見る「幻影キュアドリームを呼び出す」のようなこともされていません。

※幾つか例外はあります。以下、その例。
・アンラブリー:ファントムがキュアラブリーを模して変身している
・キュアフローラ:先代と当代では変身者が別
・キュアアース:ヒープリ本編に登場しているのはオリジナルの複製。どこまでがコピーか不明だが、元の変身者は風鈴アスミではない

あくまで大原則は変身前と変身後は同一人物。
一方で、変身前と変身後で大きく姿が変わります。特に髪が。

 
(「キラキラ☆プリキュアアラモード」第7話より)

「プリキュア」パロディの多くや、大先輩の「セーラームーン」や「どれみ」等は、変身前後で髪はそれほど変わりません。
キャラクターの同一性・識別性を考えれば当然の配慮です。

ですが「プリキュア」さんは爆発的に毛量が増えたり、髪色が変わったり、人によっては成長したりすらする。

 
(「HUGっと!プリキュア」第20話より)

・強化スーツではない
・本来の自分から大きく「育つ」

一言でいえば「変身願望」を体現してくれる。
心の力や真の力。あるいは大人になった自分の先取り。
そういったニュアンスが強く出る。

これは「メイク」「ファッション」などにも通じる話で、「ひみつのアッコちゃん」の時代から言われている要素です。
みんな変身願望をこっそり持っている。服を変えることで変わる自分もある。だからプリキュアさんの変身に沸き立つ。
パワードスーツが欲しいんじゃない。変身したいんだ。普段の素の自分なら決してしないであろう格好をし、勇気を貰って前に進みたいんだ。

 
(「ハートキャッチプリキュア!」第43話より)

※もうしばらくシリーズが続けば「大人になる」以外に、「若かりし頃の全盛期のエネルギーを取り戻す」方向の演出も増えてくるのかも。過去作でいえばキュアフラワー。また、メイクには若返り方向の変身願望の意味もある。

※例外はある。元祖である美墨なぎさ/キュアブラックは大きくは変化しない。

さて、では「ぼくプリ」はというと、この要素はかなり薄く見えます。
確かに一般では珍しい髪色や長髪ではあるんですが、見慣れているプリキュアさん達の爆発的な変化と比べると控えめに感じる。
衣装についても、特別感があまりない。街中で見かけたら二度見するかもしれませんが、まぁ「いそう」な範囲に思えます。
だから「プリキュア」っぽく見えない。

ただこのポイントは、実写には不利すぎます。あまりにも変身然とした格好は、現実世界では厳しい。
アニメなら映えるデザインも、現実世界では物理法則の壁がありますし、アクションの邪魔にもなる。今までにもキャラクターショーはやっていますから乗り越えられはするのかもしれませんが、生身の顔出し&激しく動くとなると難しそう。

そこをクリアしても、早着替えの問題も出てくる。実際、どうやって変身するんだろう?
多分、露出度を上げる形の変身(他作品で恐縮ですが、スターライツのような)の方が、特別感と着替え易さを両立できたんだと思いますが、どちらかといえば逆の方向性です。

裏を返すと変身シーンを上手く演出してくれれば、一気に「プリキュア」らしさが増すように思えます。
変身前としっかりと落差をつけつつ、いつ着替えた!?と驚くような間隙を縫った変身とか、その手があったのか…と感動するような手法とか。

変身シーンは「プリキュア」の見せ場の一つですから、何某かはあるはず。せっかくならやっぱり楽しみたいので期待しています。

以上、「何をもってプリキュアと認識しているのか(ひいてはプリキュアの原点)」を3つ挙げてみた。

・玩具を売る
・世代交代
・変身願望

この3つを満たすのは、ほぼほぼプリキュアに絞られてくるんじゃなかろうか。
性別やバトルは、実は必須要件ではなかったのかもしれない。

現段階では私は「ぼくプリ」にはネガティブな感情の方が強いのですが、いざ見た後に、

(1) 好意的な感想+上記3つが登場した
→やっぱり「プリキュア」のコアはこの3つが関わっている

(2) 好意的な感想+上記3つが登場しない
→何を好意的に感じたかを整理できれば、「プリキュア」を「プリキュア」たらしめる要素が分かる

(3) 否定的な感想+上記3つが登場しない
→やっぱり「プリキュア」のコアはこの3つが関わっている

(4) 否定的な感想+上記3つが登場した
→何を否定的に感じたかを整理できれば、「プリキュア」を「プリキュア」たらしめる要素が分かる

このように「プリキュア」を再認識できるはず。
(逆は必ずしも真ではないので、上記4つはあくまで「可能性が高まる」でしかないですが)

私が抱いた3点が絶対の真とは思いませんし、人によって重視するポイントは違うとは思います。
ただ、自分なりに事前に整理しておけば「公式が言ってるんだから正しい。とにかく挑戦が大事」や「男だからダメ。考えるまでもない」のような肯定・批判よりは、公式様のおっしゃる「破壊と創造」「挑戦」に応えられるんじゃないかと思ってみます。
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「ぼくプリ」から思うプリキュアの原点その2:世代交代

2023年06月03日 | Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)
「Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)」を受けて整理した「私は何をもって『プリキュア』と認識しているのか」の第2弾。
※第1弾「玩具を売ろう」はこちら

前回は「玩具を売るのが至上命題な点が、他の番組と異なる」と書きました。
ですが大先輩にあたる「セーラームーン」を初め、他にも玩具を売る番組は数多あります。
では「プリキュア」は何が違うのかといえば、ひとつには「世代交代」です。
(特徴の話であって、優劣の話ではないです。他の番組を貶すつもりはなく、優位性を主張する意図もありません)

「プリキュア」最大の転機の一つは、美墨なぎさ・雪城ほのかを降板し、新たに「SplashStar」を始めたことだと思います。
当時の評価としては散々で売り上げは激減、嘘か本当かシリーズ終了の噂まで出たほどです。

実際、その次の「プリキュア5」は2年続投です。新しいシリーズに切り替えるのには勇気がいった。
それでもそこを乗り越えて、今では当たり前のように1年で交代し、昨今では「次はないかもしれない」の声はあまり聞かなくなりました。
今や「プリキュア」は普通名詞であり、美墨なぎさ・雪城ほのかを指す固有名詞ではなくなっています。

この構成は番組のコンセプトにも反映されていると(私は勝手に)思っています。
特に15周年以前までに顕著だった「未来は破綻している」「必ず終わりが来る」の思想は、1年で終了する彼女たちの状況とマッチしていて納得感を高めていました。

プリキュアさんが謳う「永遠」も、金属的な絶対不変の永遠ではなく、種を生んでまた育っていく植物の永遠。
ちょうど今公開されている「GoGo」は正に好例で、永久保存のエターナルに対し、ローズガーデンは命の継承を重視しています。
これらは「1年で終わって、次に託す」番組構成と非常に嚙み合っている。

10周年のハピネスチャージや15周年のハグプリ等々は、代替わりするシリーズでなければ成立していません。
オールスターズのような直接的な連携はもちろんのこと、テーマの面でも脈々と連なる「プリキュア」としての連続感がある。
だから「プリキュア」だと感じる。

では「ぼくプリ」はというと、現時点では何も見えません。

発表があった当初、「まぁミュージカルだし、完全パラレルであって欲しい」と思いました。
巷の感想を見ても「パラレル扱いにして、抵抗のあるファンにも配慮されている」のような声をちらほら見ます。

ただ改めて考えてみると、むしろ逆に「パラレルではない」方が受け入れられるように思えてきました。

例えばを挙げると、

・子供の頃にテレビで見たキュアドリームの活躍に憧れていた少年が、妖精を守るために変身(歴代「プリキュア」はフィクション扱い。私らと同じ目線)

・ニュースでキュアラブリーの活躍を聞き、自分もこの街を守るぞと奮起(プリキュアと同世界設定)

・大ピンチ時に、回想シーン的に歴代プリキュアの雄姿が流れ「俺たちはひとりじゃない…!」と立ち上がる(デパプリ的演出)

(「デリシャスパーティ♡プリキュア」第29話より)

こんな感じで、何らかの形でプリキュアと関わって欲しい。
もちろんここまで直接的でなく、テーマの根底が通じ合ってるとかでも良い。とにかく「プリキュアの血脈だ」「これは第21シリーズだ」と思えるような演出をされた方が、受け入れやすいです。私としては。

これを書いている6月3日時点では、二次元と三次元の1枚絵ぐらいしか情報がなく、特段に繋がりを云々するだけのものが公開されていません。
「パラレルであってくれ」の声も大きいし、理解もできるのですけれど、私としてはしっかりと地続きであって欲しいなと思います。
まぁそうはいっても、「歴代プリキュアと共闘」とか「アニメ本編に客演」とかはちょっと勘弁してほしいなとも思うので、色々と複雑ですけれど。

最後に、個人的に見たいのはこういうの。

『プリキュアに憧れているダンス部員たちが、ふとした偶然で妖精を保護した。
よし、俺たちで守るぞ!あの憧れのプリキュアたちのように!
そしてステージ衣装を改造し、キュア●●を自称しながら、追手を敵に回して大立ち回り。

生身なれど奮闘し、遂には妖精を守り切った…のだが、最後の最後にハプニングで絶体絶命に。
それでも諦めない!と奮戦していたところに、「よく頑張ったね」と声が。
憧れのプリキュアが影からそっと最後の一押しをしてくれ、窮地を脱し、めでたしめでたし。

やっぱりプリキュアは凄いな!俺たちも負けないぞ!で幕』

2時間枠(?)でやるオリジナル劇としては一つの着地点だと思うのだけど、どうだろう。

長々と書きましたけど、要はリスペクトが欲しいのかも。
「今までのプリキュアは多様性がなくて古い。これが新時代のプリキュア!」のように扱われては欲しくない。
これまでを継承している姿勢が大事かなと思う。
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「ぼくプリ」から思うプリキュアの原点:玩具を売ろう

2023年05月02日 | Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)
「Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)」等々の絡みで、「プリキュアとは何か」を自分なりに整理してみたところ、私としては「玩具がある」がかなり大きな要素を占めていたと気づきました。
「玩具が大事」というと幼稚な原理主義者のようにも聞こえそうですが、一度フラットに見つめなおしてみたい。

【ご覧のスポンサーの提供で】
常に言われる「プリキュアは子供向け」。では「子供向け」とは何なのかといえば、一つには「玩具を扱っている」ことでしょう。なりきり遊びが原点です。

プリキュアに憧れる。プリキュアになりたい。だから玩具を買って貰い、一時の空想と共に楽しく遊ぶ。だから「子供向け」と言われる。


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第1話より)

この前提があるからこそ、各種バンクでは燦然と玩具が煌めきます。
販促のために「仕方なく」登場しているとも言えますが、繰り返されることで様式美に昇華されています。
玩具がドンと出てくる。だから盛り上がる。

例えば「プリキュア5」のココが、キュアモを掲げて「プリキュア!メタモルフォーゼ!」と叫んで変身したなら、割と違和感なく「プリキュアだ」と思えるんじゃないでしょうか。
仮にキュアモが存在せず、変身アイテムなしがデフォルトだったなら、夢原さん達がキュアドリームに変身してもプリキュア感が著しく減りそうです。
玩具が全く存在しない「プリキュア」は、もはや「プリキュア」と認識できないのでは。

※2023年秋予定の「オトナプリキュア」は続編ですから、玩具が出てこなくても受け入れられると思う。

必ず玩具をクローズアップせねばならないのは、本来は物語作りにおいてかなりきつい制約ですが、制約があるが故に感動にも昇華されています。
好例は15周年映画「オールスターズメモリーズ」の「リワインドメモリー」のシーン。


(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より)

今まで頑張ってきたことが、理不尽に踏みにじられたその時。立ち上がる勇気をくれたのは、子供時代に大切にしていた「玩具」。
客観的にはガラクタに過ぎず、現実の不幸の前には無力です。それでも思い出せる。子供の頃のあのキラキラした想いを。
ガラクタを必死に握りしめ、思い出を振り返り、これまで歩んできた道のりの矜持にかけて立ち上がる。
この感動は、「玩具」があってこそです。


(「スター☆トゥインクルプリキュア」第19話より)

何かを集める系はストーリー導入の定番で、もちろん玩具にも反映されている。
私的には特に「スタプリ」のスターカラーペンが印象に残っています。劇中で宇宙を巡って探し回ったように、子供と一緒にお店を回って入手しました。
ビジネス戦略と合致してる一体感は、まさしく本領発揮と言ったところ。

「プリキュア5」のトラウマ回として有名な23話も、発端はビーズです。窮地に陥る中、交渉に使ったのもドリームコレット。
映画「鏡の国」での起死回生の一打は、ピンキーキャッチュの仕様のおかげです。


(「Yes!プリキュア5」第23話より)

玩具が最優先だからこそ、玩具が無力化される展開は殊更に胸を締め付けられます。
プリキュア(玩具)の限界を描いたハピネスチャージ、コスチュームが崩れ行く「DX2」等、これらのシーンは深刻さがまざまざと伝わってくる。


(「ハピネスチャージプリキュア!」第41話より)

逆に、そんな玩具が粗雑に扱われたら、それはそれで盛り上がります。キュアベリーの「ベリーソードは囮よ!」が語り草なのは正にこれ。支給された玩具を投げ捨てるなんて…!


(「HUGっと!プリキュア」第37話より)

このようにプリキュアは玩具と不可分であり、玩具のないプリキュアはプリキュアだと認識し難い。

では「ぼくプリ」はといえば、5月2日現在で公開されている一枚絵を見る限りでは、玩具らしきものが映っていません。
通例であれば、腰あたりにぶら下がっている不自然にデカいアイテムが見当たらない。
だから反射的に「プリキュアっぽくない」と感じたんだと思う。


(「ハートキャッチプリキュア!」第17話より)

※まほプリの2人はモフルンが変身アイテムなので未装着。フェリーチェも着用はしていない。なお、東映アニメの公式ページのトップ絵ではプレシャスブレスを強調している。
※スカイたちは通常戦闘時はアイテムをどこかに収納していますが、公式ページのトップ絵などではしっかり握りしめている。
※キュアエコーも一応はキュアデコルを使っており、映画の入場特典にもなっている。
※他、非レギュラーキュアの皆様を初め例外はあります。

上記のように例外はあるので、ぼくプリの5人も実は何か玩具要素を身に着けているのかもしれません。例えば靴が変身アイテムとか。ダンスがテーマならあってもおかしくはない気がする。
ただ5人で共通したデザインのものが見当たらず、現時点では「それらしきものがない」が、公平な感想だと思う。

改めてハグプリのアンリくんを思い出してみよう。
彼は変身アイテムを使わずにキュアアンフィニになりましたが、もし変身アイテムがあったなら?
「ハート!キラッと!」から始まって変身していたら、プリキュアらしさが劇的に上がりませんか?
キュアウィングが、いざ始まってみたら意外に違和感がなかったのも、これが一因に思えます。

故に「ぼくプリ」が受け入れられるかどうかは、かなり真面目に「玩具の有無」が重要になると思います。
適当な思い付きで言いますと、特製パスケースとかペンライトで変身するならグッズとして展開もしやすいのでは。

あるいは、なぜかビーズメーカーやドレッサーを使いだし、かつそれを物販においてくれたら、一気にプリキュアらしさが出ると思う。
場面転換の暗転時にCMが流れるとか、OP映像(があるかもわかりませんが)の最後に提供スポンサーが出るのでも良いかも。
とにかく何かこういった、「我々は玩具を売るんだ」という想いをぶつけられたら、「なるほど、プリキュアだ」と認識しやすくなるはず。

もちろん玩具を売ってる番組は他にも数多ありますから、これが唯一絶対の条件ではないです。
それは分かった上で、それでも私としては「性別が男か女か」よりもデカいファクターではないかとすら思えます。

正直に言って「ぼくプリ」には懐疑的な立場です。とはいえ「プリキュア」に失敗作はあって欲しくない。「なんだこりゃ。やっぱプリキュアじゃないよ」で終わるより、「いざ見たら、なるほどこれはプリキュアだ」と称賛できる方がいい。
なので玩具については力説して期待したい。
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