つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

れきしる企画展、津幡の獅子舞~第二弾~。

2019年11月03日 22時17分46秒 | 日記

先日、拙ブログ宛にメッセージが届いた。
差出人は「津幡ふるさと歴史館」。

『企画展示のお知らせ
 津幡短信いつも楽しみながら読ませていただいております。
 本日(10月)26日から企画展「津幡の獅子舞2」を開催しています。
 時間がございましたら取材などしていただければ幸いです。』

お招きに与り、本日、お邪魔した。

拙ブログでは、毎年9月半ば、旧津幡宿四町での獅子舞の投稿が恒例。
それは季節の風物詩であり、平和と民力と民度が保たれている証。
これからも長きに亘り続くことを願って止まない。

また、我が町には、他の地区にも多くの獅子舞が受け継がれている。
今回の企画展は「中条(ちゅうじょう)地区」~
北中条、南中条、潟端(かたばた)、太田(おおた)の獅子舞を展示してある。
4つそれぞれに見応えがあったが、個人的に惹かれたのは北中条のそれ。

製作年代は、何と「弘化4年(1847年)」。
今から170年余り前、江戸末期との事。
解説に“津幡町最古”とあるのも頷ける。
一本の木材から掘り出された獅子頭は、漆が剥げ、片耳。
頭頂部の一角から垂れる毛も、痛みが見て取れる。
しかし、大きな両眼の「八方睨(はっぽうにらみ)」は、
老いてなお眼光鋭いライオンの如き迫力。

弘化4年は、ペリー来航まで7年、維新を19年後に控えた時期。
信濃、越後方面で大地震(善光寺地震)も起きた。
・・・きっと言い知れぬ「不安」や「魔」を払おうと、
幾人もの男たちが懸命に頭を持ち、舞ったに違いない。
バックに設えた、牡丹と巻毛紋の鮮やかな蚊帳と共に、
ひとしきり眺め、感慨を深める。
そして、歴史館の方と話ができ楽しいひと時を過ごした。

企画展「津幡の獅子舞2」は、12月22日まで開催。
月曜定休だが、振替休日の明日は営業する。
機会と都合が許せば訪れてみてはいかがだろうか。
コメント
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