吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

飲酒運転4人死亡 その2

2018年10月31日 05時43分04秒 | 日記
 またまた飲酒運転による死亡事故である。こんなに法規を厳しくしてもまったく抑止力になっていないようである。これは厳罰に処しても意味がないことなのであろうか?
 それにしても本人、飲酒運転は認めているが、一般道を130km/hr.で走行し、4人も死亡させておきながら「正常に運転できた」と言っていることに、この容疑者の幼稚性が見える。
 高速道路ならまだしも片側一車線の一般道を130km/hr.走行である。まともなら走行不可能と気づくはずである。しかもそれで4人も死亡させているのである。どこをどうしたら「正常」という言葉が出てくるのであろうか?
 逆に飲酒していなければ片側一車線の一般道で他に車がいるなら130km/hr.は出せるはずがない。

 現在の世の中では飲酒運転は厳罰に処せられるということは知っているだろう。酒を飲んだら事故を起こしやすいということも知っているだろう。
 もし万が一(やってはいけないが)、飲酒運転したとしても「事故起こしたら行けない」と考えて普段より安全運転を心掛け他人を巻き込まないようにすべきであった。

飲酒運転4人死亡 その1

2018年10月30日 05時50分12秒 | 日記
 青森・つがる市で9月、酒酔い状態で車を暴走させ、4人が死亡する事故を起こした疑いで逮捕された男が「酒を飲んで運転したが正常に運転できた」と供述していることがわかった。

 高杉祐弥容疑者(32)は9月22日、つがる市森田町の国道を酒酔い状態で、時速およそ130kmで車を運転し、前の車に追突するなど車4台が絡む事故を起こし、男女4人を死亡させた危険運転致死傷の疑いで逮捕された。
 警察の調べに対し、高杉容疑者は、酒を飲んで車を運転したことを認めているが、「正常に運転できた」と話し、危険運転致死傷容疑については否認している。 (以上ネットより)

沢田研二ライブ キャンセル その3

2018年10月29日 05時49分06秒 | 日記
 ファンは異口同音に言う。「機嫌を損ねるといつコンサートを中断されてしまうかもしれない怖さがあるが、それは彼ならではのことでありそれが魅力なのである」と・・・。会場周辺の女性ファンはなかば「このことは当然」とまで納得しているのである。納得と言うよりむしろ魅力として感じているようである。通常の芸能人に対してとは極めて趣を異にしている。
 とにかくこれら女性陣の言を聞いていてものすごい違和感を覚えた。まるでなんだか新興宗教の教祖さまのお話を聞きに行く信者のようにも思えたのである。教祖様の言うことなら・・と妄信しているような雰囲気なのである。

 しかし、ふ~ん、それでいいんだって・・・せっかく行ったのにライブのドタキャンされたり、ステージから自分に向かって「お前帰れ」って言われたりしたなら自分は二度と行かないけどな。それでも窮屈な思いをしてライブに行く感覚が不思議なのである。
 あっ、そうか、わかった。昔、「君だけに愛を」を唄う時、観客に向かって指をさしたのだが、指をさされたファンは喜びのあまり失神してしまうことがあったが、きっとこの延長なのだろう。
 「お前帰れ」と直接いわれたファンはきっとものすごい恍惚感に酔いしれているのだ。

沢田研二ライブ キャンセル その2

2018年10月27日 05時29分27秒 | 日記
 とにかく本人はキャンセルしたことは「今後もある」ということで自分の姿勢は曲げていないし反省はしていない。とにかくその会場が満席でないと気分が乗らないようなのである。その空席が目立つことを「酷な事」と言っている。でも開演1時間前にライブをドタキャンしても、なお集客能力があるのだから本人は今後ライブ活動を続けることで困ることはないだろう。

 しかしである。気になったのは、次のライブ会場付近でのファンと思しき女性の答えである。
 なにやら客席にはルールがあって「MC中は声をかけない」「ペンライトは使わない」「○○(曲名)を唄って~などと声掛けしない」などがある。
 何だか観客にはルールがあるってまるで歌舞伎鑑賞みたいである。歌舞伎と違うところは、彼の気に障るとるとステージから「イヤなら帰れ」といわれるそうである。

沢田研二ライブ キャンセル その1

2018年10月26日 05時26分22秒 | 日記
 ジュリーこと歌手 沢田研二が、さいたまスーパーアリーナでのライブが9000人に満たず「これ契約だから」と7000人の観客にもかかわらず当日ドタキャンした話である。あれからネットでは「とんでもない」「7000人も入っているのに」とか「一人でも観客がいたらやるべきだ」と彼に批判的な意見が多数みられた。
 本人の記者会見では、「7000人の人には申し訳なかったが自分の意地を通させてもらった」と言っている。でも次にこのような事があったらという問いには「同じことだと思う」と自分の行動を反省する気はないようである。

 まああの年齢で7000人集客できるのも凄いことであり、しかもあんなことしても観客がくるのであるからやはり彼は希代のスーパースターなのである。しかも曲目も懐メロにしないでほぼ新曲を唄うそうである。
 昔のヒット曲をつなげて、所謂過去の栄光だけでステージをつなぐようなことをせず、今でも現在進行形でライブをしているのである。確かにこれはすごい。すべて含めてすごいとしかいいようがない。


実業団対抗女子駅伝 その2

2018年10月25日 06時21分46秒 | 日記
しかし当の選手はきっとここで制止されても本人は絶対やめる気はないだろうし、這ってでも襷をつなごうとするだろう。今まで過酷な練習をして自分が代表選手の一人になったのである。自分が襷をつなぐということの重要性は身に染みて理解しているはずである。
 実際、役員によって制止されたならその選手の「一生の悔い」になるかもしれない。
 その後、入院して骨折と診断されたのであるが、たぶん本人200mを這いながら襷をつないだことに少なくとも後悔はしていないと思う。

 しかしながら江戸時代の飛脚の意味として始まったのであろうが、今となってはあの薄い襷が「人の想いをつなぐ」という精神性の高いものに替わってしまって、それが逆にとてつもない重荷になっているということに駅伝と言う競技の特殊性を感じたのである。
 これが団体競技としての駅伝の残酷な部分なのである。今回の大会での対応、つまり競技役員の判断でこの選手を止めたほうが良かったのか、このままでよかったのかどうも判断しがたい。
 駅伝というのは、バトンリレーとはまた趣を異にし、競技の中で類をみない特殊なスポーツである。

実業団対抗女子駅伝 その1

2018年10月24日 06時04分41秒 | 日記
 先日行われたこの大会で岩谷産業の2区の選手が襷を渡す中継地点200m手前で転倒した。
 その後、四つん這いになりながら(両膝はひどい擦過傷をつくりながら)、3区の選手にタスキをつないだ。
 まあ必至の形相で這いつくばって中継地点まで向かうな姿はアスリートの凛々しさもなく見ていて悲惨な映像でもあった。

 これが襷をつなぐという駅伝(団体戦)の、ある意味感動的な所でもあり、逆に酷な部分でもある。もし優勝すれば全員で分かち合える。喜びも倍加する。しかし自分の遅れで負けたり、襷をつなげなかったりしたらその選手はものすごい責任感を感じ自分自身を責めることになる。
 この場合、仲間の窮状をみれば他の選手全員はその選手の身を案じ、試合が棄権となっても容認するだろう。また今回監督も、選手が転倒し立ち上がれなくなった時点ですぐに中止を関係者に申し出ている(結果的に現場には伝わらなかったが)。
 監督の指示があれば本来であればその時点で中止となるのがプロスポーツであろう。野球であれサッカーであれ監督が選手の試合続行の権限をもっている。今回の場合、監督が直接選手と話ができない状況であったことが原因である。他の駅伝大会では車などで監督は並走しているはずである。
 大会運営に問題がある。

健診予約 その2

2018年10月23日 06時44分59秒 | 日記
 まあそんなにトラブルになるわけではないけど、こちらの周知徹底不足と言われればそれまでである。待合室にも予約の件はポスターで周知しているし、毎年ホームページでも「予約のお願い」はしているのである。しかも通院中の方には診療時に「健診は予約を」といつも話している。まあこれでもご本人が気が付かなければこちらの「周知不足」ということになる。
 ということでさてどうしたもんかと頭を悩ませている。もし予約の方が全くいない時にいきなり飛び込み受診者がこられた場合、笑顔で「はい、どうぞいいですよ」と簡単に受けてしまうことで誤解が生じているのかもしれないと感じる。
 それならば一度顔を曇らせて「う~ん、予約制なので・・・、ちょっとお待ちください(といって数秒、予約状況を確認するふりをしてから)・・・あ・・は、はい、じゃあ、今はだれも予約入ってないので、お受けします。来年からご予約してくださいね」と、そこまで芝居しないと周知できないのかとも思ってしまう。
 
 ご本人が十分把握できるまで確実に周知徹底する必要はあるのだが、でもそれもしすぎるとかえって気分を損ねられてしまう恐れもある。
 気分損ねて「もう健診なんか行かない」と思われたらこれが一番困る。区民に健診を受けてもらうのが一番の我々の使命である。
 こればっかりはどうしたらいいのか難しい。

健診予約 その1

2018年10月22日 06時23分46秒 | 日記
 開業してから当院における区の健診受診については全員の方に事前ご予約を頂いている。もちろん予約制なのだが飛び込みで来られた方も受け付けている。もちろんこの場合、予約された方が優先されるので一番最後か、あるいはご予約された方が途切れた段階でそこの枠に滑り込ませるようにしている。これは至極当然である。しかし面倒なこともある。
 毎年、いつも予約されずに飛び込みで健診を受けに来られる方が少なからずいらっしゃる。
 もちろん予約優先である旨、承知の方はいい。
 しかし毎年、飛び込みで来られる方の中には、その時はいつも他の予約が入っておらず、すぐに健診を受けられることが数年続いた方もいる。
 しかしたまたま今年は来られた当日は健診予約がすべて入っていたので「予約制ですのでお待ちいただくか、別の日に・・・」と告げたところ、「え~? 何?いつから予約制になったの? いつも、すぐやってくれたじゃないの? 知らないわよ~  いつから変わったの?」と言われる方もいるのである。

抜歯 続き

2018年10月20日 06時05分16秒 | 日記
 今日で親知らずの抜歯後4日になる。今まで自分は虫歯になったことはなく、小中学校時代も「健歯優良児」として表彰されたことがあった。そのくらいだから、よく皆が「虫歯は痛いんだよな~」と言っていたが、その感覚はまったく理解できなかった。
 そしてこの年齢になって親知らずの歯痛である。当然、歯周病であると思っていた。この痛む歯の外観は別に鏡で見ても何ら変化はない。綺麗な歯なのである。尚更歯肉のほうの疾病だと勘違いしていた。そして「自分は虫歯にならない伝説」も信じていた。
 抜かれた歯を見せられて、確かに隣の歯と並んで死角になる歯の側面に虫歯があり、それが中心に穿通していた。これでは外から確認できなかったわけである。

 それにしても、ここ数年来のあの耐え難い不快な痛みから解放されて本当に楽になった。こんなことなら早く抜歯してもらうんだった。しかし虫歯ってこんなにも痛いんだってこの齢で初めて知ったわ。www

抜歯

2018年10月19日 06時07分39秒 | 日記
 先日、久しぶりに歯科治療にいった。永久歯になってからは虫歯になったことは1度もなく歯科には通院したこともなかった。しかし数十年前に親知らずの生え方が悪く歯肉に食い込むため3本だけ抜いてもらったことがあり、今回はそれ以来である。
 今回は数年前より水が浸みたりしていたが、最近食事をすると激痛に替わってきた。歯科にいってX線をとってもらったら「ああ、最後の1本の親知らずは虫歯ですね」と。
 確かにX線所見では歯に破壊像らしき陰影欠損がみられた。今まで永久歯になってから虫歯になったことはなく、「え?虫歯? この自分が?」と思いつつも、あまりに痛みがひどいので抜いてもらうことにした。

 そして抜けた歯を見せられて確かに虫歯があって穿通しどうやらこれが神経を刺激していたであろうことが確認できた。
 これであの鬱陶しい痛みから解放されるのかと思ったらホッとした。でも・・・当日は抜いた痕が痛むは、顎が腫れて痛むはで・・・。さすがに晩酌はできなかった。ま~しょうがないか・・・。

道を尋ねられる その3

2018年10月18日 06時14分41秒 | 日記
 では同じジョギングしている人でも「捕まらない」人も多い。
 自分とその違いをみたらどうやら走る速度の違いのようである。自分はかなり遅いが、捕まらない人はあっという間にその現場から過ぎ去っていくのだ。
 つまり「さて道でも誰かに尋ねようかな」と思ったシルバー世代の方は、その時に自分の視野の中にいるターゲットであれば、それはホンワカした人でも鬼の形相をした人でもだれでもいいのである。

 結局、足の速い人はシルバー世代の人の視野に入ってもすぐいなくなっているのである。そこで視野に残っている鈍足の自分が補足されるわけである。
 「その1」で書いたが「よく道を尋ねられる人は優しい雰囲気がにじみ出ているからである」と理由づける人もいたが、それは全く嘘である。
 鬼のような形相で走っている鈍足ランナーである自分が捕まっている。

 つまりシルバー世代の方は、アフリカのサバンナのごとく動物的に思い立った時に自分の視野にいる人を捕捉するのである。
 結局、自分は鈍足。鬼の形相作戦なんて通用しない・・・。(;´д`)トホホである。

道を尋ねられる その2

2018年10月17日 06時32分12秒 | 日記
 最近、スマホ世代はスマホのGPS地図を用いることで、人に道を聞くことはあまりないと思う。
 道を尋ねるのは携帯世代よりも上のシルバー世代かもしれない。

 事実、自分もジョギングをしているとこの世代の人から時々、わざわざ停止させられて道を聞かれるのである。こちらが今何をしているのかなんてお構いなく、わざわざ止めさせられるのである。自分もタイム計測していることが多いため呼び止められて中断させられるのは極めて「鬱陶しい」のだ。
 なので、ちょっと声をかけづらくなるような(わけでもないけど)、少し顔面や口元をゆがめ、いかにも走りに集中してます、今苦しいトレーニング中ですよという感じを出しているつもりである。
 前回記載した「周りからみて優しそう、ホンワカした雰囲気だから声をかけやすい」というのとまったく対極の様相なのである。
 それにも関わらず、結構、呼び止められて道を聞かれるのである。これはどうも「その人の醸し出す雰囲気」とは無関係である気がする。

道を尋ねられる その1

2018年10月16日 06時38分14秒 | 日記
 ネットでの話題。ある人の投稿であるが、なぜ自分はこんなにも人から道を尋ねられるんだろうという話。

 それは地元で、もちろん「地元民」という雰囲気を出している時ばかりでなく、時には旅行先で「観光客」であるにも関わらず道を聞かれることが時々あるという人の悩みがあげられていた。

 それに対して「アウェー感を消すのが上手いから」とか「外観がきっと話しかけやすそうだから」とかの書き込みがあった。
 そして挙句の果ては何やらネット評論家らしき人のコメント。
「きっとあなたは人が見て優しそうでホンワカした雰囲気があるんでしょうね。その人から好かれる雰囲気をこれからも大事にしてください」と・・・。

 だってこの人は、だれかれとなく自分に道を聞かれるのは少し「鬱陶しい。なんとかならない?」という意味でネットに相談しているのである。それにもかかわらず、「それがいいんです」ってのはちょっと・・・。

「幻の滝」その2

2018年10月15日 05時38分24秒 | 日記
 まあ人がどんなことで感動するのかなどは他人がとやかく言うことではないのは分かっている。分かっているけどちょっとこのご婦人の思考背景にはがっかりしたのである。
 等身大の自分の感覚を伝えてくれたほうがよっぽどわかりやすい。

 もう一人若い女性のインタビューである。「透明なエメラルドグリーンの滝つぼは神秘的できれいですよね~」と・・・。こちらのほうが正直であるし、等身大の表現は伝わってくるものがある。きっとこの若い女性も突如現れた滝自体は「え? 何、ちょっとショボい?」と思ったかもしれない。滝自体に触れることはなかった。でも確かに自分もショボい滝にもかかわらずエメラルドグリーンで透明な滝つぼにはすごいと思った。たぶん滝がショボいので水面があまり波たたず透明な色加減が強調されたのかもしれない。

 それにしてもこの前者のご婦人のトンチンカンな感想にはちょっとガッカリしたのである。通常出現しないものを今日は初めてここにきて、そして彼女は観たのである。
 でも単に観ましたということを「すごい」と思うなら、まるで心霊スポットで「本物の幽霊」を見たということと同じことになるのかも? なんだかなぁ~。