吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

池袋暴走母子死亡「車の異常で暴走した」 元院長が起訴内容否認 東京地裁初公判 その5

2020年10月31日 06時00分21秒 | 日記
 もちろん、そうは言え、自分自身も今回の被告の発言は腑に落ちない。「私にはアクセルを踏み込んだという感覚はなく、自動車の不具合で暴走したのだ」と。
 その可能性はゼロではないかもしれないが、でも限りなくゼロに近い。数々の検証で乗用車サイドにおける故障や不具合は見つかっていないそうである(それも誤報や偏向報道の可能性もあるが)。それにもかかわらず「車が故障だった」と言いはるのであれば、製造しているメーカーも面子をかけて声を上げてほしい。
 また事故後の初のTVインタビューでこの加害者は「高齢者が安心して車を運転できるようにメーカーにお願いしたい。そういう世の中を作ることが重要」と言った。これは間違いなく加害者本人の「ありがたい」発言である。これで国民すべてがカチンときただろう。
 この発言は無責任きわまりなく、事件を他人事にすり替えているものである。あの発言は高級官僚そのものであり、あの場面では加害者が発する言葉ではない。
 被告が責任を回避しようとする態度をとれば残念ながらマスメディアが誘導するまでもなく国民感情は被告に全く味方しないであろう。
 とにかくよくまあ弁護団も無罪が主張できるなと。どうも彼らには科学とか正義とかいう言葉はないようである。
 昨今多発している悪質な「煽り運転事故」であるが、こちらの加害者のほうがまだ法廷ではしおらしい態度をとっている。今回の暴走事件の加害者はそれ以下と言うことになるのかも。

池袋暴走母子死亡「車の異常で暴走した」 元院長が起訴内容否認 東京地裁初公判 その4

2020年10月30日 06時22分50秒 | 日記
 事件の性質は異なるが、あの「光市母子殺人事件」ですら夫君の怒りのパワーはものすごいものがあった。一度だけ夫君は「被告を極刑にしないのであれば無罪にして早く加害者を世の中に出してくれ。そうしたら自分が彼を極刑に処するから」と常軌を逸した発言をした。
 しかし以後はその発言を撤回し、いつも淡々と主張をのべて、世の中を巻き込むような加害者厳罰化の署名活動などは一切行わなかった。しかしながらそれでも夫君のその後の活動で、初犯で犯行時未成年の被告を極刑にもっていった。
 時代は異なるが、現代はネット社会であり、容易に無責任な大衆がすべて「裁判長」になりうるという恐ろしさがある。しかも今回の事件はマスメディアの誘導的な雰囲気づくりで社会感情が徹頭徹尾、加害者を悪者に仕立て上げている。
 別に自分は加害者の刑を軽くしろと言っているのではなく厳罰化は必要なものと考える。しかし何となく誤報や偏向報道のメディアに乗せられた感情のまま、厳罰賛成署名のサイン数がふえるのならば、これはもう「人民裁判」であり法治国家のものではない。こんなメディアの偏向報道は好ましいものではなく、本来万人は法の下に平等であるはずだと思う。

池袋暴走母子死亡「車の異常で暴走した」 元院長が起訴内容否認 東京地裁初公判 その3

2020年10月29日 05時47分59秒 | 日記
 なんとも痛ましい事件である。事故後、加害者に対する世間からの怒りは凄まじいものがある。しかし加害者に対してではなく、その家族に対するネット上でのバッシングはまったくのお門違いである。別に家族が悪いのではない。加害者は別に認知症の診断を受けていたわけではない。そして報道されていたような「医師から運転しないよう」言われていたという事実も存在しないようである。そのような加害者に家族が運転注意を助言する同義的責任はあっても禁止までさせる義務は生じない。
 また被害者家族が加害者個人への厳罰を求める署名を集めてそれを裁判所に提出するというのも如何かと思う。確かに間違いなく自分自身も心情的に加害者の厳罰を望むものである。
 しかし方法論的には極めて違和感がある。厳罰に処する対象は特定一個人である。世間の一般大衆から個人がつるし上げられて、まるで見せしめのように罰せられているように思われる。
 家族感情の強さを示すパフォーマンスとしては効果的かもしれないが、日本は法治国家であり、現存する法律で裁かれるのである。「素人」の裁判員裁判であるため、国民感情で量刑が変わるかもしれないというのも違和感を覚える。

池袋暴走母子死亡「車の異常で暴走した」 元院長が起訴内容否認 東京地裁初公判 その2

2020年10月28日 06時13分47秒 | 日記
 関係者によると、飯塚被告の車に設置されていたドライブレコーダーの映像などから、車は現場手前のカーブで速度を上げ、縁石に衝突した後、さらに加速し、赤信号の交差点に突入したという。現場の道路の制限速度は時速50キロだった。
 飯塚被告は事故で重傷を負ったため入院し、19年5月に退院した。警視庁は逮捕せずに在宅で捜査を続け、19年11月に書類送検。東京地検が20年2月に在宅起訴した。飯塚被告は事故直後に「アクセルが戻らず、ブレーキが利かなかった」と話したとされるが、検察側はブレーキの性能に異常はなかったとみている。
 松永さんの夫拓也さん(34)は、被害者参加制度を利用して初公判を傍聴した。今後も傍聴を続け、遺族として法廷で意見を述べ、飯塚被告に直接質問することも予定している。判決期日は決まっていない。
飯塚被告は東大工学部を卒業後、1953年に旧通産省に入省し、89年に退職した

池袋暴走母子死亡「車の異常で暴走した」 元院長が起訴内容否認 東京地裁初公判 その1

2020年10月27日 06時02分44秒 | 日記
2020年10月08日 10:35 毎日新聞
 東京・池袋で2019年4月、近くの主婦、松永真菜さん(当時31歳)と長女莉子ちゃん(同3歳)が乗用車にはねられ死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)は8日、東京地裁(下津健司裁判長)で開かれた初公判で起訴内容を否認した。運転の操作ミスとする検察に、被告が争う姿勢を示して審理が始まった。午前10時、東京地裁104号法廷。飯塚被告は黒色のスーツ姿で車椅子に乗って法廷に現れた。冒頭、「(遺族の)ご心痛を思うと言葉がございません。心からおわび申し上げます」と謝罪したが、起訴内容の認否を問われると「車の何らかの異常で暴走したと思っております」と述べた。弁護側は過失致死傷は成立しないとした。
 起訴状によると、飯塚被告は19年4月19日、東京都豊島区の道路で乗用車を運転中、アクセルペダルをブレーキと間違えて踏み続け、時速約60キロから約96キロに加速。自転車で青信号の横断歩道を渡っていた松永さん母娘をはねて死亡させたほか、通行人ら9人を負傷させたとされる。全治約1年の負傷者もいた。

「脱はんこ」へ法改正 全省庁で行政手続き見直し 規制改革会議 その6

2020年10月26日 05時58分38秒 | 日記
 三文判もその使用方法において「これは、うちの村(課)の掟じゃあ! よそのこと(窓口)は知らん。従わない奴はうちでは受け付けん」というような前近代的な風習に見える。そして少しでも型にはまらなければ何回でも書き直し(押なおし)させられる(これを申し訳ないと思わないところが凄い、しょうがないけど)。
 でも行政の窓口で見かけた光景だが、明らかにクレーマーと思われる男が恫喝気味に文句言ったら「はぁ、じゃぁあ今回はこの書類でいいです」って・・・。へえ恫喝すれば書き方(ハンコだったか?)はなんでもいいんだぁと思ってしまう。そう・・・『今回はいい』って言うのなら、他に何回も書類を書き直させられた人にはこの『今回』をどう説明するんだろう?
 とにかく今回の菅政権の威光がここまで届くかないと意味がない。高級官庁内でのハンコの有無なんて我々「低級国民」にはどうでもいいことである。でもきっと無理だろな。こんなどうでもいい細々した仕事させているから公務員が沢山必要なんじゃない?って勘ぐるのである。

「脱はんこ」へ法改正 全省庁で行政手続き見直し 規制改革会議 その5

2020年10月24日 06時02分34秒 | 日記
 自分は実印制度はそのままでもいいと思う。問題としているのはどこででも買えるし、しかも個人がばらばらと何本か所有している三文判のことなのである。登録すれば印鑑の重要性の意味はあるが、一方なくしたら買い替えればいいという程度の三文判が書類についていないとその書類に実効性がなくなるというのがおかしいと思うのである。
 しかも行政の窓口では、この書類では印鑑は不必要でサインだけでいいとか、サインのかわりにゴム印で名前をおしたら、その横に印鑑がないとダメとか、また印鑑おしたらは関連書類もそれと同じ印鑑を押せとか、まったく書類によって手続きが異なるのは不合理である。
 また行政の窓口によっても、まるでそこの「村の掟」(ローカルルール)のように三文判でも細かく押し方のルールが異なる。つまりどこででも買える三文判なのにまるで押し方の統一性がないのである。

「脱はんこ」へ法改正 全省庁で行政手続き見直し 規制改革会議 その4

2020年10月23日 05時57分16秒 | 日記
 もっとも末端行政の官吏に文句言ったってこの伝統的な悪習が改まるわけはない。彼らには生殺与奪の権限は何もない。
 「同じ印鑑おせって言いますけど三文判ですよね。どこででも買えるシロモノなのになんで同じ印鑑じゃないとダメなんですか? 三文判なんて机の中にバラバラとたくさん入れてあります。どれを押したかなんていちいち覚えているわけないでしょ? そこまで何故同じ印鑑じゃないとダメってこだわるんですか?」といいたい。
 しかしそう文句言ったところで下級官吏である。「あの医者なに~? 感じ悪い、威張り腐ってさぁ」と陰で言われるだけである。彼らは手続きが悪習だろうと無意味なものであっても、そんなことどうでもいいのである。ただその課に伝わる掟をそのまま区民に強いればいいのである。手続き自体が正しいとか正しくないとかではなく、掟をただ行使するだけが仕事なのである。別に彼らを云々言っているのではない。彼らの仕事の内容の非合理性、非生産性を言っているのである。

「脱はんこ」へ法改正 全省庁で行政手続き見直し 規制改革会議 その3

2020年10月22日 06時14分05秒 | 日記
 昔はシャチハタ不可というのもあった。しかし徐々にシャチハタもその存在が末端行政の窓口で、書類によっては認められるようになった。もう流動的にでも印鑑でもシャチハタでもなんでもOKにしているくらいならいっそ印鑑廃止にしてほしい。
 某都立高校に毎年健診に行っている。事前にそこから「出動承諾書」が送られてくる。そこにサインして印鑑おし事前に返送せよとある。そこまではまだ我慢できる(本当はもう今の時代我慢できないけど)。それならまだしも「健診に来た時に事務室にある出勤簿に印鑑を押せ」という。しかもそればかりか「承諾書に押した印鑑と必ず同じ印鑑でないといけない」とまで言ってくるのである。これはもう無意味と言うか「いじめ」に近い。怒りを通り越して笑止である。

「脱はんこ」へ法改正 全省庁で行政手続き見直し 規制改革会議 その2のつづき

2020年10月21日 06時11分32秒 | 日記
 実印以外の三文判は無意味である。それでも「ハンコは日本の文化であるので大事」というのなら、それはそれで残せばよい。例えば免状や表彰状などにつける角印も文化である。また落款も文化である。これはこれでそのものの価値がある。つまりハンコそのものが唯一無二のものであるため押したものに価値や証明性が付与されるのである。
 廃止すべきは、一見してほとんど区別がつかない三文判である。三文判よりも署名のほうがまだ見分けがつく。その書類に信頼性を付与するのが目的ならば、自署よりもさらに区別できない三文判に重きを置くのは極めて合理性に欠ける。そんな三文判のトラブル、それは役所の窓口で「押し方が悪い」「押す位置が少し枠にかかっている」「捨て印がない」「訂正印がおしてない」など多々あるが、これで何回も窓口と家の往復をさせられるのは合点がいかない。

「脱はんこ」へ法改正 全省庁で行政手続き見直し 規制改革会議 その2

2020年10月20日 05時29分46秒 | 日記
 ようやく無意味なハンコ強要に終止符が打たれようという方向に動き出した。でもこの省庁での脱ハンコも結構だが、末端の我々のところまで事務手続きが簡略化されないと意味がない。
 すでに人生の終焉を証明する死亡診断書でさえ、ずいぶん昔から医師のサインがあれば印鑑は省略になっている。人間の存在を証明する重要な書類においてでも印鑑不要なのである。
 それにもかかわらず我々が接する末端行政では、大したことのない書類にどこででも買える三文判を押せと制約をつけてくるのである。
 なにも実印について言っているのではない。その辺ですぐに買えるどこにでもある三文判が書類にあるかないかで、その書類の実効性が変わるというのがおかしいのである。こんなこと、もうやめてほしい。

「脱はんこ」へ法改正 全省庁で行政手続き見直し 規制改革会議 その1

2020年10月19日 05時50分42秒 | 日記
10/7(水) 10:00配信 JIJI.COM
 政府は7日、規制改革推進会議(議長・小林喜光三菱ケミカルホールディングス会長)の会合を首相官邸で開いた。 菅義偉首相は全省庁の行政手続きを対象に、押印廃止や書面・対面主義の見直しに向けた方針を速やかに策定するよう指示した。関係省令・告示を年内に改正し、来年1月召集の通常国会に関連法案の提出を目指す。
 首相は行政手続きについて「書面・押印・対面主義の見直しを抜本的に進めている」と脱はんこの必要性を強調。河野太郎規制改革担当相が既に「押印の原則廃止」を打ち出したことに触れ、「その方針を前提として近日中に全省庁で全ての行政手続きの見直し方針をまとめてほしい」と述べた。 

予防接種後の注意事項 その6の続き

2020年10月17日 06時02分22秒 | 日記
 実はその続きがある。これは伏兵だった。やはり前回とは別のお子さんであるが、同様に冷やしたら子供の穿刺部位が腫れてひどくなったとお母さんが連れてこられた。
 みると冷えピタこそ張っていないが、筋肉痛に用いるテープタイプの湿布が張ってある。お母さん曰く「冷えピタだめとは聞きました。でも湿布ならいいんでしょう?」と・・・。
 もうこうなるとモグラたたきのようである。「冷えピタやシップなどのようなものは張らないでください」と言う文言をまた追加せざるを得なかった。 
 なんだか文言が天文学的に増えていくんじゃないかと心配なのである。
 30~40年位前、米国留学帰りの医師からの話で「アメリカじゃあすべて話をしないことでトラブルがあったら説明義務違反で訴訟に負けるぞ」と・・・。病院に入院する時の説明用紙が冊子になっていて雑誌の厚さ位あったそうだ。それだけ注意事項や注意文言が多いということである。それを読んでもらい説明しサインしてもらわないと話が進まないらしい。当時、多民族国家のアメリカならまだしも、日本じゃそんなことは起こりえないだろうとおもっていた。しかし数十年して何のことはない全く同じになった。日本も多民族国家になったようだ。
 「1を聞いて10を知る」と言うことはもはやありえない。むしろ「10を聞いて11を要求する」ような世の中になっている。

予防接種後の注意事項 その6

2020年10月16日 06時02分43秒 | 日記
 「もし刺したところに変わったことがあったら冷やしてください」と言っている。しかも保冷剤やアイスノンなどで・・・とも話している。
 あるお子さんにインフルエンザワクチン注射を打ったら物凄く腫れたので、冷やしたら余計にひどくなったとお母さんが連れてきた。みると穿刺部位に冷えピタを張っている。その張った部位はものすごい発赤と腫脹がみられ局所熱感もひどい。明らかに接触性皮膚炎を起こしている。
 自分は「物理的に」冷やせ・・・というつもりでいった。しかも保冷剤、アイスノンなどでとも言った。でもお母さんには「冷やせ」としか伝わっていなかったのである。
 冷やすんだったら冷えピタと連想したのであろう。局所反応を起こして過敏になっている皮膚には浸透性の強い化学物質はだめである。しょうがない。ここで「冷えピタはやめてください」と言う文言を追加せざるを得なかった。トホホ もうモグラたたきのようだっての。

予防接種後の注意事項 その5

2020年10月15日 06時12分14秒 | 日記
 刺したところが局所反応を起こせば穿刺部は熱くなるのである。これは冷やしてあげることが効果的である。やはり、「何かあったら保冷剤などをそこに当ててくださいね」と言ってあるのだが、ある患者から、言われた通り保冷剤を当てたけど全然腫れが弾かなかったと、言われた。
 よく聞いたら「服の上から保冷剤を当てて」冷やしたそうだ。そんなことしたって局所冷却なんかできやしない。・・・とお分かりいただけるのかと思っていたのだが、やはりここでもくどいくらい説明しないと「説明義務を果たしていない」といわれる世の中である。
 なので「皮膚に直接じかに当ててください」と言う文言も追加せざるをえなかった。