吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

先代院長と祖母

2007年10月31日 13時36分33秒 | インポート

Img114 やはり昭和35~36年ごろの写真です。

新築直後の和室ですが、当時祖母は火鉢の鉄瓶でよくお茶を沸かしていました。いつも咳をしていたのでお茶は欠かせませんでしたね。

龍角散などもありました。いたずらして自分も飲みましたがあの細かい粉が喉に入りよく咳き込みましたもので、当時は「咳止めの薬とは咳がよく出るもなのだ」と誤解していました(笑)。


AEDの続き

2007年10月30日 13時41分14秒 | インポート

Dscf0472 もうすでにご存知とおもわれますがAEDです。これのおかげで多くの突然死から救命できる可能性がひらけてきました。

最初これをみたのは8年前の1999年2月、厚生省の調査研究事業で米国に調査に出張しているとき、ボストン消防の人がこの器械の講習会に連れて行ってくれたのが最初でした。受講者は医療関係者だと思っていたら全員市民であり「え~除細動を一般市民がやるのかぁ~?」と半信半疑でした。当時米国では14州のみ行われていたようです。

 帰国してこの件も報告書には「少しだけ」記載しましたが、次第に国内にも展開されてきて正直「してやったり」です。


AEDつづき

2007年10月29日 13時36分36秒 | インポート

Dscf0471 クリニックの玄関にAEDを設置しております。

本来であれば24時間365日いつでも近所での心肺停止に対し市民の皆さんが用いられるよう、外部に設置しなければならないのですが、風雨などによるメンテナンスも考え屋内設置にしてしまいました。

 とはいえ診療時間内(休憩時間も含め)は鍵がかかっていませんので、朝8時ごろからほぼ12時間ぐらいは外部の方がすぐに搬出できるようオープンになっております。近隣の方はご利用下さい(といっても利用しないでいいように普段の健康管理もご留意ください)。


閑話休題(AEDについて)

2007年10月28日 19時53分30秒 | インポート

 ブログは日記的なものなので、本当は日常的なコメントが本来の姿なんでしょうが、ここまでは過去の写真館みたいになってしまいました。

 さて昨日は高岩寺さん(とげ抜き地蔵)の主催で、近くの仰高小学校でAEDを用いた心肺蘇生の講習を行ってきました。受講者のみなさんはとても熱心で、こちらもやりがいがありました。巣鴨にも当クリニック設置分をいれると、7台ほどのAEDがあるようです。

 いざというとき住民の方が用いることによって突然死を救うことができるので、心肺蘇生を含めた幅広い普及を行う必要があります。


今昔物語その5

2007年10月26日 07時31分56秒 | インポート

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クリニック玄関側からみた兄の写真です。

向かいの燃料屋さんは店の脇にいつも薪を積み上げていました。この上によじ登ってはよく落ちて怪我をしたものです。

 その向こう側にはブリキ屋さんがあり、拍子木のような打ち木で「トントンカンカン」とブリキを加工していました。

  それにしても、、いたるところにゴミ箱がありますね。。


今昔物語その4

2007年10月25日 14時49分08秒 | インポート

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クリニック横の道路です。この道の一番奥には竹屋さんがありました。

写真は3歳年長の兄(現:相模原在)です。当時自分は白鳩幼稚園でしたが、兄は朝日小学校に通っていました。

この頃は道端のいたるところにゴミ箱がありましたね。あの地下鉄サリン事件以来、街角からゴミ箱が消えてなくなりました。


今昔物語その3

2007年10月24日 14時12分03秒 | インポート

Img234 Dscf0469

左の写真は新車購入時の得意満面の父です。そして(なんと)それからおよそ半世紀後の写真が右側ということになります。

 車といってもこんな「おもちゃ」みたいなものでしたから、当然人間が月に行く時代よりもっと前の話です。また医療内容も今よりもっと単純で易しかったかもしれませんが、当時の診療時間は朝9:00から夜9:00まで休みなしでした。しかも夜中にもよく手術をしてました。いつ寝ているんだろうと当時は思いましたが。

 今の自分から見ると驚愕に値する労働時間でしたね。


吉田外科 診察室

2007年10月23日 20時53分17秒 | インポート

Img116 昭和35~36年の先代「吉田外科」の診察室です。ちょうど父の座っている机のあたりが、今のクリニックの受付付近になります。

写真の左側には手術室があって結構、父は頻繁に盲腸(虫垂炎)などの手術をしてました。自分が医者になった頃も結構、虫垂炎はあったのですが、最近はとんと発症しなくなりましたね。自分は今でも「一番難しい手術は何でした?」と聞かれたら、間違いなく「虫垂炎」と答えます。結構この手術の時に冷や汗をかくような修羅場を経験してきました。

 


自家用車来る

2007年10月22日 13時11分50秒 | インポート

Img209 前回の投稿ととちょっと時代が前後して、また昭和33~34年ごろに戻りますが、車好きの父は開業してすぐ新車を購入しました。もちろん乗用車なぞ持っている家は近所にはなかった時代です。たぶん今の価格にするとベラボーに高かったのではないでしょうか?

自分は幼稚園に通っている頃でしたが、近所で遊んでいて遠くに行って迷子になったことがありました。その時、父が車で迎えに来てくれたのがこの車をみた最初でした。自分は助手席に座りたかったのですが、母が占拠?しており後部座席に座らされたのを不満に思った記憶があります。へんなことは特に覚えてますよね。


今昔物語その2

2007年10月21日 10時10分16秒 | インポート

 おそらく昭和35~36年ごろの先代「吉田外科」新築当時の写真と思われます。同所の名義が完全に父のものになったので、間借りしていた医院を取り壊し新築しました。当時はこれまた法規制もいい加減で、まったく防護設備もないままレントゲンの透視などもしておりました。ずいぶん散乱線を被爆していたんだろうなーーと思います。

 横の写真は今年10月のクリニックの全景です。今の時代は昔と正反対で、いろいろな法規制でがんじがらめです。ここまでくるのに何十枚もの書類を書きました。Img111_3 B102007_3


今昔物語

2007年10月20日 17時13分54秒 | インポート

Img017 A102007 昭和33年と現在(平成19年10月20日)の同場所での対比写真です。

 どうも当時は舗装されていなかったみたい? でも自分が物心ついたときには道路は土ではなく舗装されていたはずだが・・・。

 当時は医院の向かいは燃料屋さんで、夏になると大きな氷室から氷を出してきて大きなのこぎりで切ってました。あの「シャッシャッシャッ・・」という氷を切る音を聞くと夏がきたと思いました。

 当時の夏の風物詩です。


先代開業当初

2007年10月19日 21時23分15秒 | インポート

Img156 先代「吉田外科」開業当初の亡き父です。

その右側は母ですが、現クリニックの2階で悠々自適状態です。その右側の利発そうな?子供が現クリニック院長であります。

 当時は医院とはいえ入院も随分かかえて結構多くの患者さんが出入りしていました。開放骨折など整形外科的なこともずいぶんしてましたし、いわゆる盲腸、痔、脱腸なども盛んにやっていたようです。父はお産以外は本当に何でもやっていたようでした。


昭和33年院長4歳

2007年10月18日 20時49分03秒 | インポート

 ちょうど父(先代院長)が上京して吉田外科を開業したときの写真です(昭和33年)。写真の後ろに「吉田外科」の看板が見えます。

 現在のクリニックは同地にありますが、周囲の景色は、やはり何となく昭和30年代であり映画「三丁目の夕日」という感じです。まあ自分の中では懐古的な風景かもしれません。この時は 数十年後にここで開業しているなんて夢想だにしてませんでした。

 あ 乗っている自転車はその後、巣鴨警察の少年柔道に通っているときに、巣鴨署の駐輪場で盗まれました(泣)。Img045