吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

あっという間の

2007年12月29日 13時51分42秒 | インポート

 10月4日に開業してあっと言う間に3ヶ月・・・・。今年の診療は今日で終了です。まだまだ損益分岐点にはいっておらず苦しい状況です。でも大きな事故もなくここまでこれたのはスタッフのおかげでしょう。自分はただ御神輿の上に座っているだけのようなもんですから・・・。

 ブログも日曜祭日を除いて毎日更新しております。こんなに自分でも持続性があったかなと不思議です。でもあまり書きすぎると筆がすべってオフレコの話まで書きそうで怖いです。古くはムード派歌謡の大御所やら、カリスマ的ロック歌手やら、あるいは地下鉄サリン事件やらオウム事件やらいろいろ経験しましたので・・・。あっ 内緒です。でももし聴きたければ当院受診後に発行するパスワードでログインできるようにしましょう。さて営業、営業と・・・(嘘です!)。

また新年は4日から書き始めます。


血圧 その2

2007年12月28日 07時31分50秒 | インポート

 医学部時代の同級生だったが、当時から若年性高血圧で降圧薬を時々服用していた奴がいました。別にメタボ体型でもないし、どちらかといえば痩せ型のスポーツマンでした。ただよく酒は飲んで塩分の多いものを好んでいたのも原因かもしれません。当時、降圧剤を服用しながら「俺は将来は高血圧がたたってアポって(脳内出血)死ぬんだろうな」といっていたのが印象的で覚えています。あれから随分たちました。数年前、同級会からの連絡網で彼の訃報を聞かされました。ところが死因はアポではなく不慮の事故でした(合掌)。なんかとても複雑な思いでしたね。


血圧 その1

2007年12月27日 06時58分24秒 | インポート

 大昔、医学生時代、生理学の教授に講義中、「え~血圧とは動脈圧か静脈圧のどちらか?」と聞かれ、一瞬わけが分からなかったので、ままよ確率1/2とばかりに「静脈圧です」と答えたら、思い切り「バカモン!」と怒られた。まあ教授が馬鹿だというので本当に自分は馬鹿だったんだろう・・。ただ卒業してしばらくして気がついたが、血圧の測定は動脈内の圧力ばかりでなく中心静脈などの静脈内の圧力をはかることもある。本来は血管の中の圧力が血圧であるのだから、それは動脈か静脈のどちらでもいいという理屈になるはずだ。しかし確かに習慣上、血圧といったら動脈圧のみをいう。静脈圧の場合だって血圧なんだろうが、こちらは「静脈圧」と分けて呼称される。理屈からいったらどっちも「血圧」なんですけどね・・・。

でもいまだにこんなこと言ってるのだからやはり自分はずーっと「バカモン」のままなんだろう。


M-1グランプリ

2007年12月26日 07時31分29秒 | インポート

 最近の笑いのつぼは今ひとつ自分にはあわない。でも先日、漫才の頂点をきめるM-1グランプリというのを息子とみた。すべてをみたわけではないが、やっぱり自分の波長にはあわないようだ。今年の決勝では3組の漫才コンビが残ったが、3組とも見終えてから自分では「これが優勝」と思ったコンビがあった。結局それが優勝したが、何故かというと他のコンビよりも比較的ゆっくりとしゃべり「何をいっているのか」聴き取れた。ほかの2組は早口すぎて何を言っているのか分からないし聴き取れない。まさに笑いのつぼ以前の問題。最近の漫才では、テンポが早く乗りがいいのと、マシンガントークとを勘違いしているのではないのか? 笑いの「間」をとったりウイットなんてものは現在では通用しないようだ。 まさに崩壊寸前の現代の医療に通じるところがありそうだ。


喘息 その4

2007年12月25日 07時22分44秒 | インポート

 さて、開業するにあたり、喘息の救急治療などの準備をするかどうか悩みました。つまり喘息患者がこなければ準備をしておいても準備倒れになるので・・・。で、結局はネブライザーと吸入用の気管支拡張薬だけは用意しましたが、まだ1回も使用していません。しかし喘息発作の患者さんも軽症ならともかく中等症以上がこられると困ります。点滴用の注射薬だとか酸素などの準備がありません。救命センターに勤務時は意識のない呼吸停止間際の患者さんもたくさん診ました。あらゆる医療機器と大人数のスタッフと集中治療室がありましたから診療していて怖くはなかったですね。でも今ではちょっとでも重い患者さんが来たなら研修医のようにドギマギしそうです。自分の意味のない自信は以前は「戦艦」に乗っていたからであり、「手漕ぎボート」に乗り移った今では怖いことばかりです。


喘息 その3

2007年12月22日 07時51分10秒 | インポート

 昔、南房総の病院に勤務していましたが、このあたりは気候が温暖なため、東京の区の保養所やら養護施設がたくさんありました。喘息の子供で転地療養に来ている子供もたくさんいました。ところがどっこい、結構杉の木などが多いかったため、スギ花粉によると思われる発作が頻発してました。転地療養ならぬ転地発作でしょうか? ここでもよく点滴などの救急治療をやりましたが、何人か重篤な発作で亡くなった子供も経験しました。今でこそステロイド吸入療法で普段からきちんとコントロールできていたでしょうが、当時は突発的で突然死みたいな病態もあったでしょう。とにかく子供の死亡だけは嫌です。「孫を殺したのはどこのどいつじゃ!」と祖父が怒鳴り込んできたこともありました。だから自分は小児科は標榜したくありません。自分のトラウマでしょう。


喘息 その2

2007年12月21日 07時35分55秒 | インポート

 喘息発作のコントロールの画期的な予防法とは、ステロイド(副腎皮質ホルモン)の毎日の吸入です。今までは気管支拡張剤などを服用し、それでもよくなければステロイドを内服していました。しかしながらステロイドの内服は合併症や副作用が多く、なかなか継続的内服に難渋する例が多かったです。ところが10年位前からこのステロイドを吸入させる方法が確立されました。直接気管支粘膜にのみ作用し、全身的な副作用は軽減することができました。これでぐっと喘息発作死が減ったようです。

 大昔、市中病院で当直していると、必ず1人は喘息発作で来院してましたね。今は市中病院で当直してないので知りませんが、軽症~中等症の喘息発作も減ったのではないでしょうか? あ 歌手のテレサ・テンも喘息死だったようですね。


喘息 その1

2007年12月20日 07時20分00秒 | インポート

 昔は喘息発作による死亡が年間60008000人くらいいました。しかし78年前くらいからぐっと重症な発作をおこす例が減少してきました。救命センターに勤務していますと肌で感じます。昔は重症な発作で意識もなく呼吸も停止しそうな(停止した)症例がたくさん運ばれてきました。喘息重積発作の呼吸管理は難渋します。ですので当時の喘息死を食い止めていたのは、内科の先生ではなく救急医だという自負はありましたけどね。

 でもなぜ喘息死ががくんと減少したかというと、発作の出現をしっかり予防できる方法が確立されたからです。つまり発作を起こしてからの救命処置より、発作を起こさないための予防治療が近道だったんですね。でもそんなの当たり前か。


オタク

2007年12月19日 07時11分15秒 | インポート

 「オタク」という名称はあまり、世の中では称賛の言葉としては使われない。でもそれは違う。世の中の新しい分野を切り拓いて進歩していくには、まさに最先端の馬鹿みたいな「オタク」が研究を進めていっているからだ。だいいちノーベル賞受賞者だってみんなオタク集団でしょう。

 自分のもと同僚に「ミニカー収集オタク」がいた。確かに日本の中でのミニカー価格を左右するだけの渉猟的経済活動はしているらしい。自分はこのようなオタクの存在を称賛し畏敬の念でみている。でも昔この医師と当直していたとき患者がきていても出てこないので見に行くと、ヤフオクで目当てのミニカーの入札競い合いをしていた。「あっ 先生、今だめです。入札中ですのでいけません」と。このバカたれ!(泣)


保険請求の仕事

2007年12月18日 07時14分02秒 | インポート

 今でこそ電子カルテと保険請求業務が連動したものの、コンピューターのない時代はみんな手作業でした。個々の患者さんに対して診療した内容すべてに値段が設定されています。それを全部拾い上げて請求するわけです。だからすごい労力。

 大昔、先代の父の時代には月に何日かは診療が終わった夜から家族、従業員総出で徹夜し、そろばんかかえて明細書の計算をしていました。この時ばかりは、大きな寿司桶に握りずしが配達されてきており、仕事をしない子供はただ食べるだけなので月1回の楽しみでした。でも昔はみんな算盤ができたんだなぁ~と隔世の感があります(私はソロバンできない)。

 後年、父はレセプト電算化に関する日本医師会の委員を務めました。レセコンの開発に関与していましたが、もし今、カルテまで電子化されたと知ったら驚くでしょうか? ここ10年のIT革命にはついていけませんわ。


昔の教師

2007年12月17日 07時20分46秒 | インポート

 「教師に殴られた」といえば、昔の学校の先生は、よく生徒を殴っていました。自分もよく殴られました。今、考えると些細なことや「濡れ衣」や「人身御供」的な体罰もありました。でも中学生くらいのものの道理がよくわからん世代を統括するには、力でねじ伏せるのが一番手っ取り早いでしょう。自分は体罰を否定しません。

 しかし現代では教師は体罰をしないようです。昔は「学校の先生」といったら怖い存在だったのに時代は変わったものです。自分は昔、教師から自分が悪くないときにもよく殴られましたが、この時は「理不尽・不条理・不公平」ということを学びました。でも社会人になってからはこんなのよりもっとひどい理不尽やら不条理を嫌というほど経験し続けてきました。この資本主義の世の中で生き抜くには、理不尽を受けるよりも理不尽を強いることができる肩書きについた者勝ちだと時々感じます。それだけ社会の組織の中における不条理なんて当たり前になっています。

教師の生徒への体罰は社会に出る前の通過儀礼として少なくとも自分には必要でした。だから今ではあの時の教師に自分は感謝の気持ちで一杯・・・・な訳ないだろーーー。


下痢

2007年12月15日 07時17分24秒 | インポート

 自分は小さい頃から下痢体質です。通常、下痢は食べあわせや緊張するとかの精神的ストレスが関与するとかよく言われますが自分はあまり関係ありません。突然はじまる腹痛に引き続いて鉄砲水がやってくるのです。困ったものです。この体質を理解してくれたのはただ一人もとの職場のS検査技師だけでした。彼も通勤途上でウンコできる場所を必ずチェックしていました。

 大昔、中学時代、休み時間にこの鉄砲水に襲われ厠の人になりました。次の授業時間に遅れて教室にはいったら教師に「ばか者! どこにいっていたんだ! 言え!」とみんなの前でカミングアウトを迫られました。言い出せずにいたら殴られました。だって下痢でウンコ行ったって皆の前でいえないですよね。言ったら翌日からあだ名は「ウンコマン」になりますもの。


糖尿病で足腐る?

2007年12月14日 07時46分13秒 | インポート

 糖尿病を治療しないで放置すると、末梢血管の血流が悪くなります。足の血の巡りが悪くなると、足指の小さな傷が治りにくく化膿しやすくなります。このまま放置されると糖尿病性壊疽(とうにょうびょうせいえそ)になります。また時にガス壊疽(皮下にガスが貯まる全身的な重症感染症)も併発し生命が危うくなります。今までこのように「糖尿病? 痛くも痒くもないよ」といって長年放置された人が命はたすかったが足を切断するはめになったのをたくさん見てきました。

 昔、足を切断した患者さんがベッドの上で「あ~ぁ、こんなことなら糖尿病の治療しておけばよかった・・・」とつぶやいたのを覚えています。だから以後外来で他の糖尿病の患者さんにこの話をすると「先生は、大げさなんだから」とか「人を脅かして嫌な先生だよ」とか言われました。マイルドに言えば効き目はないし、強めにいうと嫌われるし・・・。じゃあ、どうすりゃいいんだヨ~~~。わしゃ、もう知らん。


陰性告知

2007年12月13日 06時54分04秒 | インポート

  「喉もと過ぎれば・・」で思い出しましたが、昔、某病院のHIV(エイズ)の講習会プログラムに参加したことがありました。そのカリキュラムの中で、HIVに感染しているんじゃないかと心配している人が採血検査をして、後日その結果を聞きに来たときのその人の思考・行動様式を学びました。

 「結果ですが・・・陰性でした。HIVに感染していません。でも今後の感染防止対策は・・・」などと話し始めても、目の前の本人が聴いているのは「陰性」という言葉だけで、後に続く話はほとんど聞いていないそうです。せいぜい聞いていて30秒間程度だそうです。ですから陰性告知では「伝えたい内容は30秒以内にまとめろ」といわれています。まさに喉元すぎれば何とやらでしょう。それにしても話を聞いていない間は、いったいどんなことを考えているのでしょう。 

 え? 決まってるって?


エイ オコゼ クラゲ

2007年12月12日 13時19分31秒 | インポート

 標記の海洋生物に刺されると、ものすごく痛い。まさにビリビリする。南房総の病院ではこんなのに刺された人をしょっちゅう診た。内服の鎮痛剤出しても効かないし、軟膏なんか塗っても効かない。一番効いたのは刺されたところで一番痛そうなところにめがけて、局所麻酔薬を20mlほど皮下注射してやること。これはてきめんに痛みがなくなる。でも1時間ほどで麻酔がきれるとまたビリビリ痛み出すのが難点。

 七転八倒していた患者さんにこれをしたら、けろっとして歩いて帰った(入院すすめたのにもかかわらず)。しかししばらくしたら、またイタイイタイと泣きながら?再来院してくることもよくありました。「また痛みは必ずぶり返しますよ」と念をおしたのに、人間とは痛みが一度消えてしまうと、もうこちらの話を本気で聞いてもらえないのかなあ? 「喉元すぎれば・・・なんとやら」でしょうか? だからいったじゃないの~。