湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

DON'THINK, FEEL!

2006年08月02日 | Weblog
「阿の猿に訊ひて御覧、百頭女つて誰?教父のやうに彼は応へるだらう、ひやく頭女をじつと見詰める唯で、猥には阿れが誰なのか解る。駄が君が説明をもとむれは其れ唯で、猥には其の答が解らなくなつて仕舞ふ」~エルンスト「百頭女」

(某コミュニティより転載)
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ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

2006年08月02日 | アメリカ
〇リスト(P)ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD

曲のよさというべきか、この色彩的なオーケストレイションにジャズ的なソロの見せ場の多さが(こちらのリストは録音の明瞭さもあり細部まで聴かせる)、派手にぶちまける力技の邁進力とぎちっと纏まった堅苦しいアンサンブルぶりとあいまってミスマッチな、一種雑然とした賑やかさを醸し有無を言わせずとりあえず聴かせる魅力をはなっている。飽きるほど聴いた曲でもまだこのように楽しめるものだな、と思った。緩徐主題あたりの雰囲気も(そこまででお腹いっぱいになるような密度なのだが)いいのである。リストのクラシカルな技術も申し分ない。まあ、録音技術の勝利という感もあるが、押せ押せ演奏の最右翼として価値は認められるだろう。〇。派手にぶっぱなすブラスが耳に痛い。
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ガーシュイン:ピアノ協奏曲

2006年08月02日 | アメリカ
〇リスト(P)ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD

超即物的な演奏で、まったく一直線に感情のなめらかな動きは一切なくただドライに高速で突き進む(ピアニストも同じだ)。あまりにきっちりしすぎており、反してオケはあまり上手くなく、正直まったく惹かれなかったのだが、全くジャズではないながらもクラシカルな趣も皆無な独特さと単純にデジタルな力強さ、クライマックスの畳み掛けるような迫力だけを買って〇としておく。ある意味大人の味わい。
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ネット交流の限界について

2006年08月01日 | Weblog
死んだら、埋めて下さい
百年待っていて下さい

~口にしなくてもいいようなことを、電脳指は喋る。電脳指同士の争いは物理器官の指示より離れ、仮想次元で事の解決をみようとする。それは虚偽の争いだ。争いを突き詰めたところで破局しかない。本来的にネットは終局を内在した関係性しか作り得ず、仮想空間を離れたレイヤで交流することなくして長期間の交流は有り得ない。9年は長すぎた。

人間という複合感覚端末を通して認識するこの実世界の何と「美しい」ことか。芸術を論じあうならやはりリアルでやるべきなのだ。音楽を語るなら音の出る場所で音を相手に論じないのはナンセンスである。つたない言葉で表現できる代物ではない。

大多数の音楽愛好家にとってネットは結局単なる外部記憶装置の拡張機能の範疇に帰結している。ほんとうに重要なことは、みんなリアルでやりとりされる。ただで提供される情報なんて、何らかの「下心」があるのが寧ろ当たり前なのだ。

・・・
冒頭は漱石「夢十夜」より。夢に仮想空間をかけてる、てことで。某音楽系老舗サイトの閉鎖によせてひっそり書いたまでで、わからないかたは当たり前のことです。仮想空間からの消滅は(匿名巨大掲示板でよく見られる痛い人の断言するところの)現実での死をちっとも意味しない。たんに薄い関係性を築くレイヤから一旦のいただけにすぎない。消滅サイトはきっと「別の形」で残るだろうが、積極的に手をあげ後継を宣言し構築維持運営する労すら担わない受身参加者だらけの状況において、今の形態で再開などあるはずもない。

百年待てば、あるかもしれないけど。

(某コミュニティより転載)
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