湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2006年05月12日 | ドビュッシー
◎ヴェーグ弦楽四重奏団(ORFEO)1961/8/19モーツァルテウムLIVE・CD

これぞ荒れ狂うドビュッシー。マイクのそばでぶつかり合い火の粉の飛び散りまくるアンサンブル。尋常じゃないギチギチな集中力。雑音もいとわない弓遣い。弦が悲鳴をあげている。ハーモニー?そんなんどうだっていい。セッションとはこういうもんだ、という見本。カルテットをロックバンド的な激しいグルーヴの中に昇華させた、唯一無比の絶演。この即興的な機知と気合いに任せたキ○ガイ踊りに狂え。◎以外にありえない。血まみれドビュッシーは、こちらだけになります。ライヴって、こういうもんだ!
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ボロディン:弦楽四重奏曲第2番

2006年05月12日 | ボロディン
○ハンガリー弦楽四重奏団(columbia)

有名でプロアマ問わずよくやられている曲にもかかわらず、録音がなかなかなされないのはどうしてでしょうか。古い団体は割合と録音を残していますが(復刻は進みませんね)、SP時代になると楽章抜粋が常のようで不完全燃焼。1楽章こそボロディンらしい韃靼人テイストの名曲なのに、すっきり短い2、3楽章が多いですね。1楽章はファーストヴァイオリン(とチェロ)がやたらフューチャーされるので通を気取るかたがたには好まれないのかな。同曲思いっきり国民楽派ですからデロデロ演奏というものがあってもよさそうなのに、何故か率直な解釈でハーモニックに整然と組み立てられた演奏が好まれるようで、個人的に物足りなさというのを感じることが多いものでもあります。この演奏もまさにあっさりスマートでそつのないもので、ひたすら颯爽と直進していきます(フレージングに起因する揺れはともかく)。なめらかにいささかの断絶もなく息の長い旋律をかなで続け、セーケイの音は(私は余り好きではないのですが)万人受けする赤銅色の輝きをはなつ鋼鉄の響きを持っています。

特色有る音というのは最初は受けますが、あとあと飽きてきます。個人的にはコーガンあたりこの類と感じますが、セーケイ始めハンガリー四重奏団のメンバーはそういう意味ではちょっと中欧、ドイツ的耳なじみのよい模範的な音を出す、裏を返すと「正当派」で安定しまくってるがゆえに、何度聞いても飽きることはない。プロの演奏は録音にすると何度聞いても飽きないが、アマチュアの演奏は例え最初はプロより面白く感じても、録音で何度も聞けたものじゃない(無論一回性のライヴで楽しければそれで立派に成立するのが「音楽」なのですが)。これが単に技術的安定性という話でもないのだな、と最近思うようになりました。何なんでしょうね。

とにかく余りにあっさりして綺麗なので(ハンガリー四重奏団はそういう団体ですけど)最初無印かなと思ったんですが、何度も何度も聞けて、聞くたびに(とりたてて深くはないけれど)同じように楽しめる、これは素晴らしい長所なんじゃないかなと思って○つけときます。この単純化された曲で技術うんぬんは論じ得ないがために、演奏団体の本当の実力が出るといってもいい、その意味では早々とヴェーグが抜けたこの団体も(殆ど録音もない大昔のことなのになんでいつもヴェーグと結びつけて説明されるんですかねこの団体)、長大なキャリアなりの素晴らしい実力を持っていたと言えるのでしょう。初めにこれを聞くと他が生臭くて聞けなくなる恐れアリ。自分で演奏するかたは参考になるかとも。

あとやはり2楽章第一主題が遅いなーと思ったんですが、実は私の体内時計が早すぎるような気がしてきたので、そこは敢えて評価とは別にしときます。ワルツ主題とのコントラストをつけるためには譜面表記にかかわらず速めにスケルツォ的な情景を演出したほうがいいと思うんですけどね。ワルツ主題もあんまり遅くなりません。奇をてらう場面の一切無い演奏です。
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プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第1番3楽章(合奏編曲)

2006年05月10日 | プロコフィエフ
○ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA他)CD

曲を知らなければ楽しめるだろう。しかし原曲の「暖炉の前で老人が子供になつかしい昔語りをするような雰囲気」を知っている者にとってはまるで「燃え上がる戦乱の町の前で昔の平和を慟哭するような雰囲気」はちょっと稀有壮大すぎる感がする。原曲はあまりメジャーではないが極めて素晴らしい傑作室内楽であり、2番よりむしろプロコらしいとも言え、もっと演奏されてもいいものである。1楽章の辛らつな溌剌から2楽章のスポーツ的感興ときて3楽章で静かに消滅していくさまが構成の妙としてあり、この楽章も非常に印象的な楽想に彩られているから決して悪くはないのだが、違和感は拭えない。ショスタコのそれと同じで、まったく別物、別の曲として聞くのがいいだろう。そうするととても感情を煽り立てられる感動的な作品として聞こえる。ロジェストは巧いが、やはり別物として演奏しており、一つのドラマとしてこの楽章抜粋編曲を描き出している。オケも力強い。○とはしておく。
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マーラー:交響曲第1番

2006年05月10日 | マーラー
○ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団(BMG)CD

非常にストレートな演奏で集中力も高く最初に聞くのに向いている。音色的な魅力がさほどなく、特に叙情主題の表現には物足りなさを感じるが、「直裁である」という特質を前面に打ち出した演奏であり、ダイナミズムにはいささかも欠けていない。考証派も納得の恣意性のなさではないか。スコアリーディング向きだけど、分析的な演奏にとどまらない迫力ある演奏ぶりは一回聞くのも損にはなるまい。すれっからしやウィーン狂には薦められない。○。
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オネゲル:弦楽四重奏曲第3番

2006年05月09日 | フランス
○タネーエフ弦楽四重奏団(melodiya)LP

短いし余り個性的でもない、いかにもオネゲルの晦渋作品といえる。しかし決して難しい感じはしない。対位法的な絡み合いもミヨーほどの複雑さをていすることはなく、どちらかといえばベートーヴェン以前の弦楽四重奏曲を目指しているような単純性を感じる。また案外和声的である。構造より縦の響きの変化を聞かせようとしているかのようで、ちょっと「ピアニスト作曲家」ふうのところがあるかもしれない(オネゲルは指揮しかしなかったのだが)。響きの重さはルーセル的だ。この時代に極めてオーソドックスなフーガ構造を不協和音で構成するというのは、ちょっとどっちつかずかもしれない。いかにもシェーンベルク後の非和声的な響きが支配するものの、ある種の法則性があるため慣れるとそれほど違和感がなく、ミヨーより素直でわかりやすい。これは特質でもあり、欠点でもある。オネゲル好きは交響曲第3番以降あたりを少し彷彿として喜ぶかもしれない。まるでミヨーふうの旋律もちらと出る。

タネーエフは掴みかねている感じもするが、元々曲自体が掴みにくい出来なのであり、しょうがない。他の盤でオネゲルを聞いても正直わけがわからないことが多いので、その点健闘していると評価して○にしておく。まあ、短い曲です。
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ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2006年05月09日 | ドビュッシー
○タネーエフ弦楽四重奏団(MELODIYA)LP

とにかくねっとりしたフレージングに苦笑させられる。しかし麻薬のように効いてくるのは設計の巧さだろう。同じくゆっくりしたテンポでなまぬるい感情を表現した旧ボロディンQに似たものを、とくに1楽章では感じるが、終楽章における(けして速くはないし余り揺れない直截なテンポ設定なのだが)独特の上り詰めかたには耳をひくものがある。ボロディンQの「独特の奏法」には及ばない個性だが、特にあけすけに力強くねっとり表現し続けるファーストの一種暴力性には他国の演奏家には求めえない何かしら「変なもの」を感じさせ、それが慣れてくると面白くなってくる、そんな感じだ。中間楽章に余り魅力がないが、4楽章の「ソヴィエト派としてのドビュッシー」の表現方法に、若干ショスタコ的なものも感じつつ、○をつけておく。旧ボロディンより私はこちらのほうが好き。正直あまりうまくない団体なので、そういう「精度」を求めちゃいけません(残響がやたら付いてるはそのせいか?)。
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