湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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マーラー:交響曲第6番

2005年05月25日 | マーラー
○ラトル指揮ベルリン・フィル/ウィーン・フィル(放送)2005/5/4合同演奏会LIVE

参考。ふたつのオケに、より融合がはかられた反面まろみを帯びた演奏になっていて鋭さが更に後退したように感じられる。短くリズムを刻む場面でも記譜どおりに音符の長さを保たせるためにせっかくのキレがなくなるという現象がここでも頻繁に見られる。ウィーン側のアバウトさとあいまってだらしなかったり鈍重になったり。だが、そこがこの演奏の面白さでもあるのだ。

一楽章、弦の刻みの鋭さなどバーミンガムとは比較にならない迫真味があるのだが、アルマの主題での弛緩、特に繰り返しのときの音色のバラバラ感は気になる。前回よりウィーン側に自己主張が強く感じられ、いっそウィーンだけでやったら音色均質化の問題など解決なのにと思ってしまった。録音の問題もあるのだがパワーやアンサンブルの面では前回に劣ると感じる向きもあると思う。

アダージオではヴァイオリンの音色の不統一感がいっそう明確になってくる。一部奏者の突出、フレージングのばらけ具合が気になる反面、こりゃまさにウィーン・フィルの芸風だ、とニヤリとさせられる。弱音部の美しく艶っぽい音色にボウイングはまさにウィーンのそれである・・・本数は少ないけれども。この演奏はそのせいかいつになく激情の感じられるものになっており、アマチュアリスティックなまでに奏者の感情が出てしまっており、遅いテンポでねっとりじっくり世紀末絵画が描きあげられるさまとあわせてかなり意外に感じられる。じつはこの演奏、スピーカーで何度か聞いて、掴みどころのない、特にこの楽章はなんともすっとぼけたのっぺりした演奏だな、と思っていたのだが、今回ヘッドフォンで細かく聞いて、音色と荒々しさという面における意外な面白さを見出だした次第である。テンポだけでいえばこの演奏全般に大人し過ぎるし、期待からすれば精度も低い。粗い。でもミクロに聞けば、小技の中に充分に面白みを見出だせよう。これはヒストリカルなトンデモ盤を聞くような少々邪道な聞き方かもしれないが。

スケルツオは意外と大人しい。ラトルにしては、と付け加えておこうか。アタックが甘めなのを除けばしっかりしているし音響バランスもいい。ウィーンらしさが後退しやや硬質さが出ているものの、テンポが余りにゆっくりすぎる。印象が薄い。

終楽章はオーソドックスだ。ラトルにしても大人しい感じがする。このメンツならもっとできるだろう、という感覚と、でもこれは充分マーラーだ、という感覚が交錯する。録音バランスがそれなりにいいので、気持ち良く聞けてしまうということもある。豊饒なひびきはしばしば気持ちを揺さぶってくる。感情が荒さとバラケになってほとばしってくるのが好悪分かつところだろう。ペットなどに疲弊感が漂うが、弦の空回りや暴走が面白い。行進曲になると急に揃うのもまた楽し。コンマスソロは音色はあいかわらずだがこなれている。このあと見せ掛けの勝利のあたりの豊饒感はなかなかのもので、祭りの終わりへ向けてオケが喜びのやる気を出しているようにも聞こえる。最後の挽歌は意外とよかった。拍手は穏やか、殆どブラヴォ無し。○にしておく。

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