湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

グラズノフ:5つのノヴェレッテ

2017年09月13日 | Weblog
シシュロス四重奏団(melodiya)LP

ステレオ初期の日本輸入ボックス収録だが、表記ミスでファーストがシシュロフのショスタコーヴィチ四重奏団の演奏の可能性がある。ショスタコーヴィチ四重奏団は民族的な音、表現と均整感、整えたようなテンポでグラズノフを臭くも冷淡にもならずちょうどいいバランスでまとめ上げており、おそらく一番グラズノフの室内楽を録音した楽団だが、音程のアバウトさを含む民族主義的な音が(スラヴにかぎらないオリエンタルなものを含めて)かなり似ている。もっと表出意欲が強く感じるのは終楽章だが反面、全般にはそれほど押しの強さのない、少し耳が離れてしまうようなそつのないところもある。録音も古びている。そんなところか。25分を上回る民謡組曲なんてむしろ普通飽きるもので、グラズノフの各楽想にあわせた巧みな書法とじつは結構常套的な部分をどうミックスして聴きやすくするかというところはある。抜粋なら簡単。
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☆グラズノフ:交響曲第8番

2017年09月13日 | グラズノフ
○朝比奈隆指揮新星日響(tobu他)1992/1/18live・CD

演奏当時自主制作盤として販売されていたものを東武トレーディングが発掘再発したものでうれしい値段である。朝比奈氏はアマチュアだらけのロシア国民楽派の中ではグラズノフを「ましなもの」程度と評価していたといい、中でもこの最後の8番に興味を持っていたようだ。それはマーラーの千人を演奏したころなどと一致し、世紀末音楽の流行という世間の雰囲気も後押ししてのものだったのかもしれない。2楽章の深層まで切り込みあまやかに歌う印象的な表現はショスタコーヴィチが唯一評価した曲だという伝説と一致する。1楽章冒頭からはしょうじき重くてダレた雰囲気が「国内オケだなあ・・・」という感じなのだが、2楽章が俄然、3楽章の軽妙なスケルツォは朝比奈式にはやや重いが、4楽章のはからずもグラズノフの最後の(正式な)交響曲楽章となった偉大な変奏曲において、重々しく格調高い表現を演じており秀逸だ。これは朝比奈世界だろう。この作曲家にはきちんとしたドイツ式の演奏記録というものが少なく、中でもここまで西欧的に振れた作品にもかかわらず演奏自体されないというのは残念であり、朝比奈氏が一回であってもやったというのは記録として価値がある。○。

※2011/11/18の記事です
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☆グリエール:交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」(短縮版)

2017年09月13日 | グリエール
○ストコフスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(vibrato/DA:CD-R)1971/6(5?)/19live

NYPはともかく他の比較的軽量級の音を出す職人オケになるとストコはいささか表面的でやかましい音作りだけをする人になってしまう。アメリカ交響楽団のモノなどまさにその面で賛否あると思うのだが、この演奏録音はステレオという点で比べて1長はある。しかしどうも放送ホワイトノイズが常に入り続け、放送ならではの左右の不安定さもあって、明晰なのに印象が悪い。聴感が軽くて、イリヤ・ムーロメッツの末流ロマン派的なドロドロがひたすらドラマティックで煌びやかな音楽に昇華されてしまい、帝政ロシア時代交響曲好きとしてもマーラー好きとしてもどうも腑に落ちない。また今更の指摘だが4楽章の大カットで「一番の見せ場」となるドラマティックな弦・ブラス転調の一節(スコアがないので明示できませんが、指摘箇所がどこかはてきとうに想像してください)が上り詰める直前でカットされ陰鬱な終盤にワープするという非常に「うわああああああ」というところがあり、これってストコ、前からそうだったっけ?とか思いつつも、これじゃちょっと4楽章聴かせどころ半減だよ、と結局○ひとつに抑えておくのである。気分的には無印。vibrato盤(裏青)には5月との表記あり。未聴だが収録内容がほぼ同じため同一と思われる(同レーベルはDAとよくだぶる)。

※2006/10/31の記事です
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