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悔い戻る者たちの道しるべ【2】-(1) 赦されない罪について

2015年01月16日 | 悔い戻る者たちの道しるべ
賞賛がアッラーにありますように。そして、最上の祈願と最上の平安が私たちの指導者ムハンマド、彼の家族、教友たちすべての上にありますように。

『罪とは』:罪の本質と、罪の出どころが何であるのかを考えてみましょう。罪とは強制されるものか、それとも任意でなされるものか。そして人間はどうすれば罪を断ち切ることが出来るのか。

アナスによると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われました:
≪すべてのアーダムの子孫は罪を犯すが、そのなかの善い罪人たちは、悔悟する人たちである。≫ (アハマド、アッ=ティルミズィー、イブン・マージャ)

私は、”人間は罪を犯すべきである”とは言いません。しかしアッラーは、人間の天性のひとつとして“欲望”を植え付け給うたことで、人間は油断してアッラーを忘れている間に己の欲望に負けてしまうことがあります。
ここで皆さんに、赦されることのない罪について説明します。それは、“アッラーに共同者を並べること”です(シルク ビッラー)。次に、“赦されるあなたとアッラーの間で犯された罪”、“放置されたままにならないあなたとしもべの間で犯された罪”があります。

クルアーン解釈の学者たちは、【まことにアッラーは彼に共同者を並べ立てられることは赦し給わない】(女性章48節)という節に続く説明として、「しもべが悔悟した場合以外は。」という言葉を付け足すことで合意しています。もししもべがシルクを犯したとしても、悔悟すればアッラーはそれを受け入れてくださるということです。多神教徒として死なないことが大切なのです。

”アッラーがしもべを赦し給わない”とはどういうことなのでしょうか。シルクを犯したしもべの罪の上にアッラーの慈悲がかからなくなることでしょうか。違います。アッラーの慈悲は、ありとあらゆるものに及んでいます。
シルクを犯すことは、アッラー以外のものへ向かって進むようなものです。病人は治療のために病院へ行かなければならないのに、病院ではなく工場へ行くようなことです。アッラー以外のもとには何もありません。恩恵も、成功も何もありません。何も持ちえない存在に進むようなものなのです。病人は工場へ行っても癒しを得ることは出来ません。
【まことにアッラーは彼に共同者を並べ立てられることは赦し給わない】(女性章48節)とアッラーは仰せですが、“おまえはアッラー以外のものに顔を向けて、一体どのようにしてアッラーから恩恵を得ようというのか。まことにおまえはアッラー以外の存在に顔を向け、彼以外の存在の満足を得ようとし、彼以外の存在を怖れ、アッラー以外の存在に願う。まことにこのような道はふさがっている。“ アッラー以外のものに顔を向けてもあなたは何も見つけることはできないし、あなたが顔を向けている存在は、あなたのために罪を赦す能力も持ち得ないのです。

かつて、あるカリフがマッカ聖域を訪れ、ある威厳ある学者に出会った時のことです。カリフは彼に言いました:「おまえの望みを言うが良い。」学者は、「アッラーにかけて、アッラーの館の中でアッラー以外の者に頼みごとをすることを恥ずかしく思います。」と言いました。館の外でカリフがこの学者に再びあった際、もう一度望みを言えと尋ねたところ、学者は「アッラーにかけて、私はそれ(現世の諸事)を持ち給う御方に頼まないのに、いかにそれを持ち得ない者に頼むというのでしょう」と言いました。カリフがしつこく言え、と言うので、学者は「では楽園に私をいれてください」と言ったのですが、カリフは「それは私にはできない」と言いました。学者はカリフに「では、私の望みはあなたのところにはないですね。私の望みは楽園への到達なのですから」と言いました。

つまり:人はアッラー以外の存在に顔を向ける時、実際は何もないところに顔を向けているということです。これはシルクを犯す者の問題でもあります。彼はたくさんの願い事をそれにし、その慈悲を願い、その懲罰を恐れ、その恩恵を待つ。しかし実際、それに到達してみると何もなかった、ということになります。心理学においてこの状況は非常に危険とみます。その名も失望です。シルクを犯す人たち(多神教徒)は常に失望状態にあり、アッラー以外のものに顔を向けるたびに失望するのです。

【たとえおまえたちが彼らに祈って呼んでも、彼らはおまえたちの祈りを聞かず、またかりに聞いたとしても、おまえたちに答えることはない。】(創始者章14節)

アッラーに祈る者は、強くその存在を信じ強く、彼が聞いてくださっていると信じ、強く己の願いに答えてくださると信じ、また強く己の願いに好んで答えてくださると信じています。

【言え、「わが主はおまえたちを気にかけ給わない、もしおまえたちの祈りがなければ。」】(識別章77節)
おまえたちがアッラーに祈るからこそアッラーはおまえたちを気にかけ給い、おまえたちを赦し、おまえたちを彼に近づけ給う。代わって彼以外に祈る者は、無に向かっているにすぎない、ということです。ここに問題があります。これは赦されない罪についてですが、この罪から悔悟出来る術はない、ということではありません。それからの悔悟は人がシルクから悔悟し、アッラーが彼を赦し給うときに成立します。しかしシルクに固執し続ける場合、悔悟はありません。

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