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預言者伝20

2011年03月15日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
64.マスジド・クバー、マディーナにおける初めての金曜礼拝:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はクバーに4日間滞在し、そこにマスジドを建立し、金曜日には、サーリム・イブン・アウフ家の人たちと共に、彼らの礼拝所で金曜礼拝を捧げました。その礼拝は、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がマディーナで捧げた初めての金曜礼拝でした。

65.アブー・アイユーブ・アル=アンサーリーの家で:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がマディーナに入って行くと、多くの人々が彼に会うために姿を現しては、自分のところに泊って貰えるよう懇願しながら話し掛けました。:「ぜひ私の家においでください!人が多く、準備は万端ですし、お力になれます。」と。皆が預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の乗ったラクダの綱を握るのですが、「ラクダを放っておきなさい。どこに腰を下ろすかはラクダが決めるでしょう。」と預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言われるのでした。このようなことが何度も起きました。
  ナッジャール族の居住区に立ち寄った預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の傍で、少女たちが太鼓を叩きながら「私たちは、ナッジャール家の乙女。ムハンマドが隣人になってくださったらどんなに好ましいことか。」と口ずさんでいました。
  マーリク・イブン・アル=ナッジャール家の邸宅に着くと、ラクダは現在の預言者マスジドの門のある場所に腰を降ろしました。当時はナツメヤシを乾かす場所で、ナッジャール家に属する二人の孤児の少年たちがそこを所有していました。彼らは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の母方のおじでもありました。
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がラクダから降りると、アブー・アイユーブは彼の荷物を運び、自分の家に置きました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はアブー・アイユーブの家に留まり、アブー・アイユーブは寛大に彼をもてなしました。またアブー・アイユーブは、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を下において、自分たちが上階にいることを嫌ったため、一階で生活することを望み、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に二階を使ってもらえるようお願いしましたが、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、「私と、私と一緒にいる者、私たちの周りの者達にとっては、一階の方が都合良いのです。」と言ってお断りになりました。
  アブー・アイユーブは決して裕福な人ではありませんでしたが、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が彼の家に滞在してくれることに、多大な喜びを感じていました。アブー・アイユーブは、アッラーから頂いたこの恩恵に深く感謝し、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)への愛情によって、彼がくつろぐための様々な手段や奉仕の方法を生み出しました。アブー・アイユーブは言っています。:「私たちはアッラーの使徒(平安と祝福あれ)に夕食を準備し、召し上がっていただき、食べ残しが返って来ると、私とウンム・アイユーブは、彼が触れた所を撫で、そこから食べたものです。私たちはそうすることで祝福を求めたのです。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は一階、私たちは二階にいたのですが、ある日、私達の水の入った水入れが壊れてしまったため、私とウンム・アイユーブは一つしかない掛け布で急いで水をふき取りました。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)の上に水が垂れ、迷惑をかけてしまうことを恐れたためです。」

66.預言者マスジドと住宅の建立:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、かの二人の孤児を呼び、ナツメヤシを乾燥させる場所をマスジドにするために、二人に商談を持ちかけました。二人は「アッラーの使徒さま、土地は差し上げます。」と言ったのですが、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はお断りし、二人から土地を購入しました。その後、マスジドの建立に入りました。
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)ご自身も、マスジドの建立に携わり、レンガを運ぶ姿を見て、信徒たちも彼に倣いました。そんな中、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、「アッラーよ、本当に報奨は、来世の報奨のこと。ですから、アンサールとムハージルを御慈しみください。」と祈りました。
  信徒たちは体いっぱいに喜びを感じ、幸せでした。次々に詩を歌い、至高なるアッラーに感謝を捧げました。
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はアブー・アイユーブの家に7ヶ月間滞在し、ご自身のマスジドと家が完成した後に引っ越しました。
  移住者たちは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の後を追い、最終的にマッカにムスリムは一人も残りませんでした。もちろん、囚われの身にあった者などは別にして。そしてアンサールの家の人たちは、皆ムスリムになりました。
  祝福された町の改善や発展のひとつに、町の名前が変更になったことが挙げられます。かつては不愉快、悲観的などのマイナスの意味を持つ「ヤスリブ」(33/13参照)が町の名前でしたが、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、ヤスリブから「マディーナ」に町の名称を変え、古い名称を使うことを禁じたことが正しい伝承に載っています。

67.ムハージルーンとアンサールの友愛:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、心の支えとなるよう、ムハージルーンとアンサールの間に兄弟関係を作り上げました。アンサールはこぞってムハージルーンと友愛関係を築くことに努めました。アンサールはムハージルーンの家、家具、財産、土地にも援助の手を差し出し、強力にサポートし、自分たちよりも彼らを何事においても優先しました。
  あるアンサールがムハージルーンにこのように言いました:「私の財産の半分を使ってください。私には妻が二人います。離婚しますから、気に入る方を選んでください。」ムハージルーンは謙遜して、「アッラーが貴殿とご家族と財産に祝福をもたらしてくださいますよう。私を市場に案内してくださいませんか。」と言い、アンサール側は、兄弟を優先したいという態度を、ムハージルーン側は、謙遜と自尊心を現わしたのでした。
  この友愛締結は、前代未聞のイスラーム世界の友愛の基礎であり、宣教と任務を帯びた共同体の始まりでした。具体的で正しい信仰箇条と、世界を不幸・殺し合い・自殺から救う有効な目的、そして信仰・精神的兄弟愛・共同生活によって構成された新しい関係から成り立つこの友愛締結。ムハージルーンとアンサールの間という限定されたこの友愛関係は、世界に新しい命を吹き込むための一歩であり、条件でもありました。だからこそアッラーは、小さなマディーナにいるこの一握りの集団に次のように呼びかけ給うたのです:「信じない者たちも互いに守護しあっている。あなたがたがそうしないならば、地上の治安は乱れて大変な退廃が起ころう。」(8章73節)

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P197~201)


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