プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

木下勇

2018-11-24 21:51:27 | 日記
1950年

西鉄先発の木下はシュート極まらず無制球に近く、二回四点を失い救援の三投手も無力で守備陣の拙守から大量点を許し、内容希薄な試合であった。
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川上義信

2018-11-24 21:45:58 | 日記
1958年

巨人の川上義信選手(23)=京都商=は養子縁組のため今シーズン限りで退団、自由契約選手となる。
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小林経旺

2018-11-24 21:31:42 | 日記
1958年

来シーズンの陣容強化をはかっている近鉄は、このほど次の四選手を整理した。これは第一次の整理で、公式戦終了後約十名の二次整理を行う予定。

投手 小林経旺(のりあき) 青木孝夫
内野手 君野健一
外野手 伊川義則
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望月重勝

2018-11-24 21:20:37 | 日記
1954年

チームを結成したばかりのグリーンズはよくやったが、保手浜の二塁打一本ではどうしようもない。神崎、梶原両捕手が弱肩で6盗塁を許したのも痛く、まずここを補強しなければなるまい。その捕手の弱さがスライダーとシュートに切れ味をみせ、二十人の打者から8三振を奪った望月の好投を割引いていた。望月を先発させていたらもっといい試合をやったろう。阪神は広島の先発木村の立上りを攻め2四球、3盗塁、1安打で2点。四回は二塁打の横山をおいて河津が中堅スタンドへ2点ホーマーした。このとき打球が案外のびたので広島の江原は低いフェンスからモロにスタンドに落ち、唇と左膝を痛め横浜十全病院に収容された。広島の四回の一点は阪神の先発高木の乱れと捕手の一塁牽制悪投があったとき、保手浜がたった一本の二塁打を放っていれたもの。
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安田昌雄

2018-11-24 21:10:59 | 日記
1955年

小雨の中を大洋滝照、東映安田両投手でスタート、安田はゆるいドロップと外角高目の速球で三回まで大洋を無得点におさえた。
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森稔

2018-11-24 21:07:30 | 日記
1958年

福岡県築上西高の森稔投手(18)はこのほど東映に入団することに内定した。同投手は1㍍80、75㌔の大型投手でバックに恵まれず県大会では敗れたが、好投手として各球団からマークされていた。右投右打。
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上野新・那須静雄

2018-11-24 20:53:07 | 日記
1958年

福岡工高の上野新投手(18)那須静雄外野手(18)はこのほど巨人入りが内定した。上野投手は1㍍72、68㌔、左投左打。上手から投げ込む豪速球が武器で、百二十インニング無失点記録を作った。春の選抜大会に出場、二回戦で中京商に敗れたが、その実力は高く評価されていた。(夏の大会は予選で敗退)地元西鉄はじめ巨人、阪神、中日、広島、大洋などほとんどのプロ球団から誘いがかかっていた。また那須外野手は1㍍76、68㌔、右投右打で、今年までに七本塁打を放っている。両選手とも正式契約は十一月の予定。
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中野隆夫

2018-11-24 20:47:20 | 日記

1958年

東映ではこのほど中野隆夫投手(26)の整理を決定した。またさきに東映を退団した小野寺克男捕手(25)はノンプロ常磐炭鉱へ入社がきまった。
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古賀虎男

2018-11-24 19:55:50 | 日記
1958年

巨人の新人第二次テストは、十四日午前十時から多摩川球場で、第一次テストをパスした八名(二名欠席)に対して行なわれ、古賀虎男投手(20)=岩手県岩谷堂高中退、1㍍76、73㌔=が一人だけ合格した。同投手を採用するかどうかはさらにテストした上で決定される。
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神垣雅昭

2018-11-24 19:50:38 | 日記
1958年

広島では十三日近畿大のエース神垣雅昭投手(22)の入団を内定した。同投手は速球、シュートに威力を持ち、今秋のリーグ戦では三勝無敗。ただし度胸がないためマウンドにあがると威力が半減するのが欠点。広島のほかに大毎からさそわれていたが、父親がカープの後援会社である東洋工業に勤めていることから広島入りが内定したもの。呉芸南高出身、1㍍78、67㌔、右投右打。
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藤本健作

2018-11-24 19:28:56 | 日記
1958年

巨人軍では六日午後三原高・藤本健作投手(17)=1㍍74、65㌔、右投右打=と現地で宇野代表立会いで正式契約を行なった。速球と鋭いドロップが武器。広島県下で有数の投手として知られている。
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村上福男

2018-11-24 19:25:31 | 日記
1958年

愛媛県今治南高の村上福男捕手(17)=1㍍72、68㌔、右投右打=は、このほど西鉄入りが内定した。強肩好打で夏の高校野球予選では四割をマークした。正式契約は十一月末の予定。
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島崎基滋

2018-11-24 19:17:28 | 日記
1968年

二十日、リストアップ六位の大商島崎基滋内野手(18)=175㌢、72㌔、右投げ、右打ち=の入団を発表した。同選手は大商が四十二年夏の甲子園で準々決勝、同年国体では準決勝まで進出した原動力。打力、守備力、走力三拍子そろった内野手、ベース一周14秒1。
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佐々木有三

2018-11-24 19:10:02 | 日記
1958年

広島カープではこのほど益田産業高・佐々木有三一塁手の獲得に成功した。同選手は今夏の甲子園大会、対松阪商戦で左翼ラッキー・ゾーンに大会第一号ホーマーした四番打者一年のときは投手だったが、バネのある体と打力を買われて一塁手に転向。二年の秋から現在まで15ホーマーを放っている。広島、近鉄、阪急、巨人、西鉄、大毎あたりが交渉していたが、最後には広島、近鉄のせり合いになり結局地元の広島入りとなった。1㍍80、72㌔、右投右打、十八歳。

佐々木選手の祖父、佐々木美三郎さん(80)の話「有三ははじめ進学したいといっていたが、広島の木庭スカウトに熱心にすすめられて迷っていたようです。私は本人の好きなようにさせていました。しかし学校の方々にも広島入りをすすめられてやっと気持がきまったようです。広島は地元のチームでもあるし本人さえそのつもりなら私も反対はしません」
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下尾勝馬

2018-11-24 18:58:40 | 日記
1950年

早大時代は中堅手で地味に働き卒業後昭和十三年渡満、満州重工業チーム創設とともに監督となり満州球界でならした。戦後帰郷してオール唐津軍の監督となる。外角球の左翼ながし打ちに定評がある。
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