プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

水沢薫

2022-12-18 12:13:53 | 日記
1982年
春先、継投で切り抜ける試合が多かったが、大会に入って水沢投手が一本立ちした。滑らかなフォームで、181センチの長身。右上手から投げ下ろす直球、カーブが特徴。初戦の増田戦で二ケタ安打を浴び、五回で降板した後、続く秋田中央戦では見違えるような球威で、1安打に完封。以後、金足農、秋田南と、得点を与えていない。制球にやや難がある。

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大場隆広

2022-12-18 12:10:40 | 日記
1966年


大場投手は身長180センチ、体重71㌔の大柄な体から手もとでホップする速球をビシビシ決める。速さは県下一だろう。三振奪取も1試合平均10個以上。最近はカーブの切れもよくなった。春の九州大会県予選では、カーブのコントロールの悪さがみられた。カーブを投げなくても、速球一本で十分通用すると思うのだが…。

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秋元肇

2022-12-18 12:07:07 | 日記
1964年
主戦投手の秋元は184センチの長身から投げおろす快速球が得意。ますますさえて最近はシュートも織りこみ安定している。毎試合平均本の三振を奪える力がある。

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中村利男

2022-12-11 16:07:25 | 日記
1954年
中村投手は終始ノンプロ愛知産業で野球を学んだ。社長宮下悟氏が野球の育ての親というわけである。今度の国鉄入りにも宮下社長もずいぶん骨を折ったものらしい。昭和二十三年三月名古屋の東海高校を卒業、その後瀬戸市の軟式野球瀬戸クラブにはいった。東海高出はほんの一試合か二試合の登板、むしろ卓球の選手としての名が高かった。ところが瀬戸の軟式時代に現中日木下選手らにすすめられて愛知産業入りしたのである。その頃の彼は荒けずりではあったが、球速もあり、カーブもよく将来を非常に楽しませた。この年の都市対抗名古屋予選では五試合を完投してわずか一点を与えただけ。しかしその後足踏み状態が続き、ようやく二十七年ごろから再びみごとなピッチングをするようになった。二十七年の都市対抗では愛知産業は第一戦に東京代表熊谷組に0-1で負けた。この時宮下社長はむろん彼を登板させる腹であったらしいが、どういう風の吹き回しか東海電通から補充した黒柳を登板させたのである。これが黒柳投手が今日大昭和製紙のエースとなった契機である。中村投手はこの試合には代打で出たに過ぎない。二十八年は愛知産業が戦後初めて都市対抗名古屋代表を名鉄にゆずった年である。しかし中村投手は名鉄にピックアップされ第一戦に東北代表の釜石と対戦、鋭いドロップを武器として釜石の小武方、高田両新鋭に投げ勝ち2-0とシャット・アウトした。第二戦の岡鉄に対しては彼は途中からリリーフしたが五回の登板で安打4。二十三歳、五尺八寸五分、十九貫と恵まれた身体で真っ向から戦いをいどんでいく右投げの大型投手である。大体上手投げで、ウィニング・ショットはドロップ、時に外角へのスライダーをまじえる。難をいえば腰が弱い。ランニングで腰を強くすることが必要である。精神面では少し気の弱いところがうかがえる。投手としてはもっと線の太いことが大切。彼は打撃もよくしばしば快打しているが、あくまでも投手として大成してほしい。堂々相手打者と正面からぶつかり四つに組むピッチングこそ彼の本領であるべきだ。


中村は高校を出てから五年間私の手もとで育てたが、性格が非常に素直、野球選手としてはこれがマイナスする事もあるほどいい人間だ。おとなしくそれにまた若いのでピンチに急に崩れるようなことがあった。最近はだんだんその欠点が改められてはいるが競争の激しいプロのこと、まず気を強く持っていくべきだ。身体が細いとよく人にいわれるが肩幅が広いので投手として最適のスタイルだと思う。技術的には小細工に走らず真っ向からスピードボールを投げこみ、シュート、スライダーも投げ分けられるのでこのままのびていくべきだ。打者の欠点をすぐのみ込むなど研究熱心もおう盛なのですぐ国鉄の中堅投手として活躍するものと期待している。

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吉川健

2022-12-11 14:55:29 | 日記
1953年


江戸ッ子の吉川投手は郡山に疎開中廿五年間同市の工業を卒業し日東紡郡山第一工場に入社したのである。昭和四年秋の早慶決勝戦で劇的本塁打を放ち、早稲田に勝利をもたらした佐藤茂美氏が監督として育てた選手で、高校当時抜群のスピードを持っていたところから、フォームを直せば将来大投手になれる可能性ありと見込んで手がけたものである。以来佐藤監督の薫陶をうけ、フォームの矯正に専念したがなかなか直らずコントロールに悩んでいたのであるが、一昨年小川正太郎氏(早大OB)のコーチを受けてヒントをつかみ、それからは2-3のカウントで平気でドロップを決められるような自信を得たという、この年、練習試合に上京して早大と対戦した際など彼のスピードは早大選手をアッといわせ、当時の末吉投手(現毎日)をして嘆声をもらさせたほどであった。要するに彼の身上はその速球にあるわけで、いつの試合にも彼を登板させることをさけ、つとめて彼に自信をつけさせるべく相手チームを選んでいたことは佐藤監督の思いやりであろう、従って大試合にはあまり出ていない、一昨年の都市対抗本大会には東北代表で日東紡は出ているが、常盤炭鉱からの大沢投手が、また昨秋の産別大会には寺本投手が登板している、昨夏の都市対抗東北予選では一回戦に秋田鉄道を12-1で破り、勝利投手になっているが、二回戦には出場していないかくの如く日東紡在籍中はあまり出場していないので最たる球歴はないが彼のシュートやドロップはともに威力があり、最近はシンカーを会得している。ただ彼は内気というか、気の弱いところがあるのでその面の鍛錬こそ彼の今後を決するものとなるのではないかと思う、もちろんプロ入りした以上いままでとは心構えが違うであろうから案ずるほどのこともないだろうが、何分にも女の人と話しをするのに顔を赤らめて恥ずかしそうにしている姿など、どう見ても純情すぎる青年であるとしか思われない。家庭に対してもまことに両親弟妹思いで、チームの遠征などには土産物は欠かしたことがないという、最近はカメラに熱をあげてその技術も捨てたものではないというからいい趣味であるスポーツマンの持つカンのよさが短時日に写真技術を上乗せしめたものであろう。五尺五寸、十六貫といえば標準的な体格ではあろうが、野球選手としては、殊に野球を職業とするには小さい方かも知れない、幸い非常に柔軟な体の持主であることはスポーツマンとして喜ばしい、上背がなければ上背がないなりの投球術を会得することが肝要で、特に彼の不得手のコントロールをマスターせねばならない。コントロールとはストライクを投ずることのように考えられるが、そうでなく自分の思うところに思う球をドンドン投げられることであることを記憶せねばならない、廿一歳の若さであるし、よき指導者を得れば、完投

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木村義光

2022-12-11 14:11:56 | 日記
1954年
雲に埋れた旭川のアイヌ部落からはるばる夜の上野駅に着いて「いやアもう人多いの…」とびっくりした木村少年も岡山のキャンプに一ヶ月すごせば身も心も背番号38に捧げた有力な新人だ。永田総裁の一声で生れた高橋球団はいわば球界の混血児だが、そこにアイヌ選手第一号が生れたのも妙である。顔のソリあとは青々、裸になるとすばらしい剛毛、毛深いのでは世界第二とアイヌ族はいわれる。十九歳、五尺四千、この世界では小男の部類だが胸の厚いのと筋肉の盛上がりは驚くばかり。「そのくせ身体は柔らかで腰のバネが強いんです。阪大病院で身体検査を受けたとき上背があったらミスター・ジャパンだね、といわれました」なにくれと世話をやいている木戸マネジャーも目を細めている。木村がボールを握ったのは十五歳のとき、速い球だとほめられて夢中になった。「家業の木彫業を手伝おうと思って旭川北見中学を退学したのですが、野球ばかりやって父によくしかられました」という。六人兄妹の末っ子、父の徳一さんと兄たちは「イヨマンテの夜」の歌などで知られている熊狩りの名手。「家族やアイヌ部落の人たちから岡山のキャンプにたくさんの激励文が来ましたし、なんとかモノにならねば故郷へ帰れません」と漆黒のひとみをキラリとさせた。昨年七月四日、帯同遠征中の大映藤本監督と林投手がノンプロの旭川協会にアイヌ人のピッチャーがいると聞いて好奇心から投げさせてみたら球質はノビがあってとてもいい。これが運の開き始め。大映入りの話がウヤムヤなのにシビレを切らした木村は野球団結成のニュースを知って岡山にかけつけた。そこは義侠の浜崎監督、その熱意に感じ入り、練習をさせて見ても素質があるのですぐ採用した。「浜崎さんは走れ、走れといってます。腰をうんと強くするつもり、ストレートに自信がついたらカーブをマスターしたい」と熊彫り時代の傷アトがある手はボールがかくれるような大きさである。その手で大きくワインド・アップしながら「旭川の大先輩スタルヒンさんが親切に教えてくれます」とうれしそう。北海道から出てきて一層うれしかったのは岡山キャンプのとき池田牧場で部落の濠りの人が捕らえた熊と久しぶりに対面したことだそうだ。


未知数の選手だが、馬力はまずパ・リーグ八球団随一ではないかとさえ思われるほどだ。走っても村社さんがびっくりするほど持久力があった。野球は素人のようなもので、いま監督さんがピッチングの基本を教えている。肩がすばらしく強いし、体力もあるので球は重いし、スピードもある。しかしただ力だけで投げているだけだ。あれでピッチングを覚え球に変化が出てくればたのしめたものだ。性格もまじめでねばり強い。

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国頭光仁

2022-12-11 13:47:22 | 日記
1954年


昨春村上専務は「来シーズンは新人をウンととるつもりだ選手を集めるには時期が心配さ」と自信あり気に語っていた事実新人総員13名は名古屋の空谷、巨人の広岡のようにポピュラーな選手がいない点、相変わらずの地味型と一言に評される懸念なしとしないが、一人一人の顔をみれば昨夏以後文字通り東奔西走して頑張った丸尾スカウトの努力は立派に現れている。その筆頭というべきものがここに登場する国頭投手といえよう「まず第一に身体がいいのに惚れこんだ」と丸尾氏がいう通り十九歳で上背七寸を優に越す十九貫五百の体格は本格派投手として文句なく甲種合格である「どうせ野球をやる以上は徹底的に出来るプロに入ろうと思っていた、また入る以上は一流選手にならなければいけないと決心しています」と強く芝生を蹴って走り、石渡トレーナーの指導でグラウンドに坐り屈伸運動に精を出す姿も若さがみなぎって頼もしい。昨夏の都市対抗の府下予選では第一次で大鉄局は姿を消したが松下電器に編入されて後楽園の土を踏んだのが中央球界へのデビューとなったわけ、このときは僅か2イニングしか投げず余り評判にならなかったが狙っていた丸尾氏はただちに口説き落としに成功、帰阪してから全鐘紡を2-0でシャット・アウトにし、他の球団も色気をみせ始めたが遅きに失したという次第、「後楽園へ行けたときも嬉しかったが、あのときは本当に嬉しかった」と述懐しているが天下の鐘紡にグウの音も出させなかったのだから余程痛快だったに違いない。出身校は米子東高、大先輩に毎日の元監督湯浅氏中先輩に土井垣とゴツイのが二人並んでいるが最近はパッとしない、だから「この二人を目標にして三人目になりたい」との心掛けもよくわかる、武器は投げおろしの速球とシュート、現在でもそのスピードは相当の威力があるが「まだまだスピードを増すようにしたい、それとコントロールを覚えること」を春のキャンプの課題としている、野口コーチも「見ていないので今どうこうとはいえないが気質もいいし第一体力があるから楽しみだ」と期待している。エース・№18に応じぬ活躍と努力を願っておこう。

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野中靖矩

2022-12-11 12:57:39 | 日記
1954年


五尺九寸、十九貫の投手野中が放つ直球は益々みがかれ最近はシュートボールもよくこなし異彩を放っているものの気が弱いのが難点。

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田名部嘉悦

2022-12-11 12:55:03 | 日記
1954年


エース田名部(右投)はコントロールも良く、恵まれた身体からくり出す球にはノビもあり、ドロップを極め球とし、県下投手陣ではAクラス。

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常盤佳久

2022-12-11 12:51:39 | 日記
1953年
最近までコントロールがなかったサウスポーの常盤にコントロールのできたことは強味でチーム全体に安定度が高まった感じだ。しかし常盤はスピード、ボールも切れのよいドロップもなくただ水平に曲るカーブがあるだけなので、ある程度の失点は免れない。

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金沢秀彦

2022-12-11 12:49:18 | 日記
1958年
春の県地区リーグで六戦全勝し今年は全く充実している。まず安定した投手力が原因だろう。主戦金沢はカーブ、外角速球に威力があり、投げるにつれて球が重くなるので容易に打ち込めない。

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丸山義久

2022-12-06 15:26:30 | 日記
1953年
主戦の丸山(義)投手は五尺六寸余の恵まれた体格。左腕からくり出す鋭いカーブに加えてドロップに最近メキメキ進歩をみせてきた。コントロールもほぼ完全で十日須坂西との練習試合では四球はわずか一回だけで三振五本、四安打無得点におさえている。

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越野通晃

2022-12-06 09:47:24 | 日記
1953年


投手越野の手首もようやく回復。インコースに切れ込む直球、アウトシュートなどにカーブ、ドロップを混えて、昨年より多彩になったが、球速に昨年ほどの威力はない。試合中途で越野が陥る制球難から昨夏の対高岡西部などの大事な試合を失ったが、これからの練習でどれだけ堅実さを加えるかがこのチームの運命を決するだろう。


1954年


左投げで球速もあり、シュートを武器とした越野(今春卒業、現電通投手)を送り出し、投手難で弱っている。

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鳥井源義

2022-12-04 18:14:04 | 日記
1955年
投打に断然光っている鳥井投手を中心にこじんまりとまとまっている。鳥井は同じフォームで繰出すサイドからのインシュートとカーブを有効に使い、最近はドロップが非常に鋭くなってきた。筑豊高校野球で余りに酷使したのがたたって腰を痛め、心配されていたが、どうやら明るさをとり戻した。

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下山輝夫

2022-12-04 17:29:28 | 日記
1956年
主戦下山投手は六尺余長身サウスポー。昨年も甲子園で今泉をリリーフし、今春の選抜大会にはエースとして登板、ヒノキ舞台でのピッチング経験は十分である。左腕独特のインコースに切れ込む速球にもスピードが加わり、アウトコースへのシュート、大きくわれるインドロの威力、制球力も増して快調。

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