プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吉岡邦広

2021-11-30 20:42:37 | 日記
1967年


吉岡投手は左腕からシュート、カーブをうまく投げわける。けんせいはうまいが、やや制球に欠けるのが不安。昨秋こわした肩も復調した。

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中村善之

2021-11-30 20:35:58 | 日記
1997年


巨人から6位指名を受けた中村善之投手(新日鉄八幡)は、「プロは自分の夢だったので、前向きに考えたい」と喜びをかみしめた。身長182㌢、右の本格派。佐賀工時代は右ひじの故障に泣いたが、最高144㌔の直球と切れを増したフォークを武器に成長。全日本メンバーの候補に名前を連ねるまでになった。今月十五日に結婚式を挙げ、前日にハネムーンから帰ってきたばかり。新居に訪れたビッグニュースに、「早くゴールデンタイムに登場できるようになりたいですね」と笑った。


バランスの良いフォーム、回転のいいストレート、各種の変化球が魅力。


巨人が6位指名した新日鉄八幡の中村善之投手(23)=佐賀工出身、182㌢、70㌔、右投げ右打ち=の入団が三日、決まった。契約金六千万円、年棒八百四十万円。背番号は十八日、東京都内で行なわれる新人選手の入団発表で明らかになる。中村投手は、最高144㌔の直球と切れのある変化球が魅力の右の本格派。「腕の振りがいい。できるだけ早く一軍のマウンドに立ってほしい」と末次スカウト部長から激励を受けた。小さいころから巨人ファンという中村投手は、「あこがれだった桑田さんや清原さんと一緒にやれるなんて、思ってもみなかった」と笑みをこぼした。


「夢みたいですね。僕は甲子園で活躍する清原さんや桑田さんを見て育った。一緒のチームにまさか入団するなんて」中村はあこがれの巨人入りに、喜びを隠せない。江口孝義(元ダイエー)の剛速球に魅せられて佐賀工に進んだ。高校二年の秋、チームを県大会準優勝に導き、九州大会に出場。だが、この時の無理が響き右ひじを故障した。日々治療に終われ、高校最後の夏の大会は背番号「10」、1イニングだけの登板だった。「高校三年の思い出が全くない。これでは終われなかった」実績に乏しい中村だったが、九州社会人ナンバーワン新日鉄八幡の選考会で140㌔の復活の快投。荒削りだが、秘められた可能性に周囲はつばをのんだ。同期の十人が甲子園優勝投手の森尾(福岡・西短大付)ら、高校や大学の一流選手ばかりという厳しい競争の中、「社会人に進むからにはプロを目指す」と自らを奮い立たせた。そして、社会人五年目の今季、チームの中心投手に成長。自慢の直球に加え、決め球フォークはさらに切れを増した。全日本メンバーにも名を連ね、「来年は世界選手権で投げてみたい」と夢を膨らませていた矢先の巨人の指名だった。ドラフト1週間前に結婚。来年四月には第一子が誕生予定。家族への責任を背負ってのプロ入りとなる。高校時代は剣道部で活躍した妻の環さんは、「不安はありますが、プロは彼の小さいころからの目標でしたから」夢の共感者を伴りょに得て、巨人の星を目指す。


中村善之 最高144㌔の直球とフォークが武器の右の本格派。今年のドラフトで巨人が6位指名した。182㌢、70㌔。右投げ右打ち。佐賀工高ー新日鉄八幡。小城町出身、23歳。

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加藤隆行

2021-11-29 23:26:33 | 日記
2000年


プロ注目の右腕加藤が投打の中心。打線の奮起次第では同校初の甲子園出場も夢ではない。昨夏からマウンドを守るエース加藤は、185㌢の長身から打者の手元で伸びる最速142㌔の直球を投げ込む。三月末に足首を骨折。投げ込み、スタミナ不足が懸念されたが、前哨戦のNHK杯で復活をアピール。周囲の懸念を振り払った。


看板に偽りなし、といったところか。「今大会屈指の豪腕」と呼び声高い長崎工・加藤が小浜から毎回の16三振を奪った。五十八回大会で酒井圭一投手(海星高ーヤクルト)が記録した1試合最多奪三振18個に迫る快投。加藤見たさに詰め掛けた観衆の期待にこたえた。この日は最速138㌔をマーク。速球に加え、切れ味鋭いスライダー、縦に割れるカーブを織り交ぜ、小浜の打者に面白いように空を切らせた。だが、当の本人は「四球が多過ぎ。三振を狙ったため、上体だけで投げてしまった。あと、4、5㌔は出るはず」と頭をかく、松竹監督も「本来の球の切れがない。変化球でかわした」と不満顔。だが、阪神、西武などネット裏に陣取ったセ・パ8球団のスコアラーは加藤に熱い視線。阪神の永尾スカウトは「腕、特に肩関節が柔らかい。マウンドの躍動感もいい。まだ、荒削りだが、大器の片りんを見せている」と評価した。三月末、体育の授業中に右足首を骨折するアクシデント。ブルペンに捕手を座らせたのは五月末。投げ込み、スタミナ不足は否めないが、加藤は「起伏のあるコースで走り込みを重ねた。リハビリ中も遠投は続けていたので不安はない。次は本来の投球を見せる」ときっぱり。この日の快投が本来の投球でないというのだから頼もしい十七歳だ。長崎工の甲子園出場はまだない。長崎ナンバーワン右腕加藤が、夢の実現のカギを握っている。

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福浦和也

2021-11-29 23:09:50 | 日記
1993年


主戦福浦は左の軟投派。直球にカーブを交え打たせてとる。


主戦福浦は左上手からの直球が武器。


左腕の福浦がエースで、上手から投げ下ろす直球が決め球。コントロールとスタミナにやや課題を残す。

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川藤龍之輔

2021-11-29 23:05:23 | 日記
1968年

川藤は長身から投げおろす速球と鋭いカーブが小気味よくきまり、六回二死から山崎の失策で出塁した安井を自らの暴投で三進させた以外、近鉄につけ込むスキを与えずわずか2安打に押える見事なピッチングでプロ入り初勝利を完封で飾った。


1970年

巨人の川藤は先発テストに合格した。ロッテ時代腕が下がっていたのが真上から投げるようになり、直球でも落ちたり、スライドする。阪急の各打者はバットの先に当てたり、根本に当てたり、ミートにしくそうだった。四回で宮本の二塁打(槌田の悪判断)と森本の右前打だけに押えた。

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秋本祐作

2021-11-27 13:41:09 | 日記
1958年 

入団は米田と同じ三十一年、だから三年生だ。米田の騒がれたのに反し、秋本はノンプロからいい投手が入った程度であまり注目されなかった。力のある使える投手とチーム内では認められていたけれども、一年目は上からの投球フォームに変えてみたりして思わしくなく、南海、大映に二度ずつ計五回投げて自責点四、防御率7.20の不成績に終り、二年目からいまのフォームに戻して二十二試合出場、五十七回投げて自責点二十五、防御率が3.95と本来の良さを見せだした。今シーズンは二十八日までに近鉄にシャット・アウト、何回に二度完投の勝利を含んで十四試合に出場、投球回数七十一回三分二、自責点八、防御率1.00の五勝一敗としだいに腕をふるい出した。特徴は横手からのシュートとカーブにある。西田と同様技巧派だが、スピードがあり、しかも踏み出しがクロスしているので右打者にとってはぶつけられそうな危なさを感じるいやな型の投手だ。加えてプレート度胸があるので調子を崩さない限りぐんぐん星をかせぎ、西田とともに阿部、柴田に代わる存在になる日も近いだろう。伊勢川捕手は「素質のある好投手で出てくるのが遅いぐらいだ」とも話しているが、五月十三日の対西鉄戦でバントした時右の母指に当ててしまって二針縫い、約一ヶ月休場する痛い目にあっている。常時出場できるように調子を整えるのが秋本の課題であり、これが自分を生かす道であるわけだ。野球選手で顔の色が黒くなるのはあたりまえなのに、日焼けどめのクリームを塗って練習するなど、ちょっと考えられない突飛なところもあるらしく、何事にも気取ってやる性格の持ち主でもあるようだ。こんな性格が過ぎると悪い結果を招くばかりとなって、持てる力を十分発揮するのに相当の日時がかかるのではないかと見る人もある。気はなかなか強いらしい。 秋本投手の話 母指を痛めてから球の切れが悪くなったようだ。一日も早く切れがよくなるようにと考えている。去年西鉄にめった打ちにされたことはあるが、まだどのチームも怖いと感じたことはない。この打者はいま当たっているが自分とはあまり対していないのだから・・・と思ってどんどん投げる。そのうちに打たれるだろうが、打たれているうちに良くなるだろうと思う。 伊達コーチの話 西田と同じ型だが、スピードを持っている。コントロールさえつけばそう打たれる投手ではない。際どいコースを十分衝けるようになれば一本立ちできるが、もう少しというところだ。ランニングをうんとやっているから下半身が固まってさらに安定感を増すだろう。
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松村高明

2021-11-27 12:02:31 | 日記
1986年

大洋は二十二日、東京・大手町の大洋漁業本社で新人八選手(ドラフト外三選手を含む)の入団を発表した。ドラフト3位指名の池田高・松村高明投手(18)=180㌢、76㌔、右投げ右打ち=は、背番号47の真新しいユニホームに身を包み、やや緊張気味の記者会見。しかし、古葉新監督と握手を交わし、激励を受けたあとは笑顔を見せるなどリラックス。「とにかく早く一軍に上がりたい」と、プロ入りの抱負を語る口ぶり、態度は高校生とは思えないほど堂々たるもの。がっちりした体格から投げ込む速球が売りもので、「真っすぐで勝負できるピッチャーになりたい」と話す。高校では、エース梶田の控えに甘んじ、甲子園のマウンドを踏んだ経験はないが、夏の県大会1回戦では参考記録ながらノーヒットノーランを達成。七回までの試合で13三振を奪った怪腕の持ち主に、古葉監督も「球に力があるから面白い存在」と頼もし気にみつめた。息子の晴れ姿に同席した父親の皓茂さん(41)=会社社長=も感無量の面持ちだった。大洋で野球に打ち込む長男に「もう徳島に戻ってこないつもりでやれ」と言ったそうで、「プロでやる以上は頑張ってやってほしい」母親かよ子さん(42)ともども、息子を感慨深げにながめていた。

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真鍋勝己

2021-11-27 11:34:39 | 日記
1986年


優勝候補の一番手。真鍋は右の本格派。伸びのある速球とカーブの配球が持ち味。


1988年


鉄は熱いうちに打て、という。プロ野球選手についていえば、熱いうちーつまり肉体的にも精神的に伸び盛りの時期ーに打たれるかどうかは運に左右される、ともいう。もちろん、打たれた「熱い鉄」が必ずはがねに変わると決まっているわけではないけれど、とりあえずその意味では、真鍋勝己は強運の持ち主といえそうだ。岡山・関西高から阪神のユニフォームを着たのが昨年。6位というドラフト指名順位を見るまでもなく、はっきりいってそれほどの注目と期待に包まれてのプロ入りというわけではなかった。その額面通り?1年目の成績はウエスタンで6試合に登板して0勝0敗がすべて。どう見たってパッとしない。ところが、その1年目のシーズン終了後に体験した米教育リーグから帰国すると、状況は、まさに一変していた。吉田前監督の辞任、そして新生村山阪神の誕生。投手出身で再建の主軸を弱投返上に置いていた新監督の目に、真鍋の荒削りな魅力が止まったのだ。「あの馬力は持って生まれたもんや。こういう素材は大事に、大きく育てていかないかん」ネット裏から見続けたタイガースに「若くてイキのいい投手の不在」を不満として感じていた村山監督にとって、真鍋の右腕は金の玉子だった。そして、真鍋はその他大勢から一気にA級強化選手に抜てきされた。こう書いてくると、まるで「新監督の好みに合った」だけみたいにとられるかもしれないけれど、もちろん、そんなことはない。米教育リーグで38イニングを投げて自責点11、防御率2.61の数字を残してきた事実は、真鍋の1年間のプロ生活での成長を物語るものだ。吉田阪神が今年も継続していたとしても、首脳陣の目に止まっていた可能性は十分にある。だけど、マスコミなど外部の目も含めて、ここまでの注目を集めたかというと、やはりちょっと疑問といわざるを得ない。グッド・タイミングで注目され、抜てきされてレールを敷かれたー。やっぱり、真鍋は強運を背負った男に違いない。そして、真鍋はそれからの期待のレールを、鮮やかに突っ走った。昨秋、11月23日の対巨人オープン戦(西京極)では2番手で登板して2回0/3を無失点で勝ち投手、背番号も「57」からエースクラスの「20」に2階級特進して抜てきされたマウイ自主トレでも「マウイのMVP」と呼ばれる意欲的な動きは光っていた。余談になるが、そのマウイでは野球意外の面でも、かなり目立ってきたらしい。とにかく、どんな猛練習のあとでも食欲は№1。オマケに、英語なんてまるでチンプンカンプンなくせに、青い目のブロンドギャルを見つけると片っぱしから声をかけまくって「アイツ、タマも速いけど手も早いワ」とナインをあきれさせたことは数知れず。もうひとつオマケに、部屋の明かりやテレビをボリュームいっぱいでつけっぱなしにしながらの高イビキで「いつもオレにスイッチを消させよる。こんな後輩、初めてや」と、宿舎で同室だった木戸をニガ笑いさせたり・・・。こういった大物ぶりも、どちらかというとヒ弱なイメージだった阪神の若手投手陣においては、異質なタノモシサと好意的に見られてしまうのだから、やっぱり注目はされてみるものである。ともあれ、今や「野田と並んでドラフト1位が二人いるようなもの」といわれるほど、赤丸付で期待度急上昇中の真鍋。ズシリと重くて速いストレートと、やっとベールを脱ぎ始めた強心臓ぶりは、ダメトラ再建の秘密兵器として、ますます注目度を増してくるに違いない。


常時140キロ以上を計測する魅力のストレートはザトペック2世の異名を頂だいする迫力。やや、ぎこちないフォームも威圧感を感じさせる。

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高橋昌也

2021-11-27 11:10:46 | 日記
1981年


主戦投手の高橋は181㌢、70㌔の体格。今年五月中旬にひじを痛めたが、最近は思いきって投げ込めるまでに回復してきた。指先に球がうまくかかった時の快速球は相当な威力。カーブも大きく割れる。


いやなすべり出しだった。一回、先頭打者に初球いきなり死球、二番打者にも粘られた末、死球を与えた。南宇和の主戦投手高橋昌也はこの日、マウンドに立った時、いつもと同じ不安に襲われた。右腕に痛みを感じたのは三年前。高橋は南内海中学野球部のエースだった。毎日二百球以上を投げ込んだ。南宇和野球部に入ったころには、関節部分の軟骨が飛び出してもりあがり、投球数百を超えると鋭い痛みが走った。それでも、マウンドを降りる気には一度もならなかった。去年秋、新チームが組まれた。一年生ながらエースナンバーを背負った。時折、襲う痛みに耐えて秋、春の県大会を投げ続けた。「大阪にプロ野球選手をマッサージしている整形医がいる。行ってこい」監督の竹内茂夫が勧めてくれたのは五月末だった。父寿介(47)が大阪まで連れて行った。「二年遅かった。野球を続けるのは無理だ。どうしてもスポーツを続ける気なら、体もあることだし、バスケットに転向したら」高橋の右腕をひと目見て、医師は告げた。二週間の治療はむなしかった。愛媛大会が近づいた。六月中旬、竹内は高橋を高知県土佐清水市のしんきゅう師のもとへ連れて行った。二人ともワラにもすがる気持だった。痛みは少し薄らいだ。帰宅後は、母保江(46)がおきゅうをすえてくれた。跳び上がるほど痛かった。保江は、高橋の寝入りばなにたっぷり線香二本分の治療をした。保江は、高橋が中学生の時、練習から帰ってすぐ、自宅から約四㌔の山の頂上にあるテレビ塔までのランニングを命じた。「ぼくだけなんでこんな苦労せないかんのや」高橋は口をどがらせた。「頂上に着いたら、大きな声でおらんでみい」懐中電灯を持たせた。二十分後、高橋の声が山にこだました。テレビ塔までの夜間ランニングが日課になった。ハンディキャップをはね返すバネになった。一回に与えた1点は、打たれてではなかった。しかし、二回には長短打二本を浴びた。歯を食いしばる高橋。スタンドの保江は一瞬目をつぶった。優勝候補の最右翼帝京五はさすがに迫力があった。完敗だった。高橋の目からどめどなく涙があふれた。ひとしきり泣いて高橋は顔をあげた。「来年があります」涙と土で汚れた顔で、目だけ、きらきら光っていた。


1982年


速球派の主戦高橋がひじの痛みを克服し、復調したのが大きい。恵まれた体格で投げ下ろす直球、切れのよいカーブで安定している。打の大黒柱、四番高橋は通算二十本余りの本塁打を放っている。

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酒井増夫

2021-11-27 10:53:04 | 日記
1973年

投手はエースの酒井と松本の二人。一㍍八十二の長身から投げ込む酒井の速球は相手打者を驚かすに十分。カーブは高い位置から大きく落ちるため、あまり打たれてはいないが、制球が悪いようだ。今村監督も「カーブの制球力がつけば鬼に金棒なんですが・・・。でも勝負ダマの速球はいいものを持っています」と信頼している。ただ、強力な打線に顔を合わすと投球の単調さにつけ入られるスキがありそうだ。配球をもう少し考えると持ち前のスピードボールが生きてこよう。

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木下透

2021-11-27 10:45:18 | 日記
1977年


主戦木下は得意の速球にカーブを覚え、安定感を増した。


田辺・木下は伸びのある速球とカーブの配球で日高打線を散発4安打に封じ、二試合連続完封勝ち。


田辺優勝の原動力になったのは主戦木下。181㌢の長身から投げ下ろす速球と切れのいいカーブで、四試合のうち三試合を完封、失点1の好成績。決勝戦で強打を誇る箕島打線を散発5安打に封じたピッチングは、ネット裏からも称賛の声が出ていた。


巨人がドラフト会議で2位に指名した田辺高・木下透投手(18)=181㌢、79㌔、右投げ右打ち=は二十八日午前、和歌山県田辺市の旅館で伊藤菊スカウトと最終交渉を行い、契約金二千二百万円、参稼報酬二百四十万円(いずれも推定)の条件で仮契約した。同投手は甲子園大会には出場していないが、今夏の予選で春の選抜大会優勝校・箕島を完封した本格派。早大進学を強く希望していたが、同校の監督が巨人の岩本二軍監督の実弟ということなどからプロ入りに踏み切った。入団発表は来年一月、東京で行われる予定。


木下投手の話 好きなチームだし、プロで力を試すチャンスと思い、進学を断念した。ストレートにみがきをかけ、本格派の投手として早く一軍でがんばりたい。好きなタイプは巨人の堀内さんやロッテの村田投手だ。


伊藤菊スカウトの話 ヒジの使い方がいい。体が柔らかく球も速いので、一年半から二年で一軍入りできると思う。未完成なだけに魅力があり、楽しみだ。

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金岡信男

2021-11-27 10:32:35 | 日記
1975年


金岡投手は左腕の本格派。コントロールが良く、四球は少ない半面、単調になりやすいきらいがある。


左腕金岡はマウンド経験が豊富でスタミナも十分。防御率2.04、完封6と最近好調でナインの信頼も高い。


雨が試合の流れを変えてしまった。東住吉工が2点リードで迎えた六回、近大付の攻撃が始まったとき強い前がグラウンドをたたき、ゲームは十三分間中断。再開後、笠松がいきなりホームランを放つなど一挙に逆転。「低めに決まっていたカーブが高めに浮いてしまった。近大付打線に迫力を感じなったので抑えられると思ったが・・・」それまで好投の金岡投手はうつ向いたまま。田中監督も「雨にやられた。金岡はよく投げたが、わずかの空白が影響してしまった。野球の微妙な流れがよくわかりました」とあきらめ切れない表情。

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池田昭

2021-11-27 10:24:15 | 日記
1973年

主戦投手が定まらず苦しんだ時期もあったが、どうやら速球を武器とする池田が成長してきた。波にのるとかなりのピッチングで、精神面のモロささえ克服すれば万全。

制球に泣いた本格派池田の豪速球がよみがえっており、投打がかみ合えばこわいものなし。

エース池田は183㌢と恵まれた体力があり、球速はあるが、制球が悪い。投げてみなければ調子がつかめない。


プロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから三位指名戦手となっていた秋田商、池田昭投手(18)が、このほど入団の意思を明らかにし、二十日過ぎ球団側と正式な契約を結ぶことになった。池田投手は秋田商のエースとして活躍、恵まれた体力で右腕から繰り出す重い速球は超高校級と高く評価されていた。183㌢、79㌔。南秋田郡五城目町上町四三住。ガソリンスタンドを経営する哲さん(51)の長男。ドラフト会議以前にも池田投手には広島、南海、近鉄などの球団からプロ入りの勧誘があったが、大学進学を理由に辞退していた。その中で阪急は、先月二十一日のドラフト会議で三位に指名、矢野清スカウトが池田投手の自宅を数回訪れて口説き落とした。池田投手が阪急に入団すれば、ドラフト指名選手としては本県からは、同じ阪急の山田久志投手(25・能代高ー富士鉄釜石)以来、五年ぶりのこと。秋田商からは、やはり阪急の成田光弘捕手(30)以来十三年ぶりのプロ選手誕生となる。矢野スカウトは「池田選手の速球は捨てがたい魅力。即戦力とはいえないが、数年努力すれば本格派の投手になる」と話していたという。池田投手は「阪急には同じ学校の先輩成田さんや、エースの山田さんなどいるので心強い。自主トレーニングにも参加して早くプロの生活に慣れたい」と抱負を話していた。正式契約は阪急本社のある大阪で二十日過ぎ本人、父兄、学校関係者立ち会いのもとで行われる。


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田村浩一

2021-11-23 16:03:35 | 日記
1982年

エース田村は185㌢の長身から投げおろす本格派。 

「試合後、初めてノーヒット・ノーランだと教えられました」それほどまでにこの日のピッチングに精根を使い果たした。前日の試合では、力み過ぎたために、五回を投げて8四球を許してしまう乱調ぶり。この日も、初回先頭バッターに四球を与えて心配されたが、四回以降からは球威も増して、130㌔級のストレートが決まりだし、本来のピッチングに戻った。184㌢の長身から投げ下ろす速球に、打線好調の宗像も終始打ちあぐんだ。故障のために、大会一週間前まで、ほとんど練習を休み、投げ込み不足を心配されていただけに、日程の大幅順延を招いた連日の雨は、エース・田村にとってはいい調整機関をもたらしたといえる。この初戦をうまく乗切ったことで、期待のエースは大きな自信をつけたに違いない。
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大山定雄

2021-11-23 14:00:39 | 日記
生年月日 昭和35年11月18日生、右投右打、189㌢、83㌔。


1978年

エース大山は189㌢の長身。大山の速球がどこまでさえるかが局面を占う。

エース大山は190㌢の長身。速球に威力があり、制球力もまずまず。


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