プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ハートリー

2020-08-31 20:19:30 | 日記

1994年

キレのいい変化球を武器にメジャー五年間で中継ぎながら18勝をマーク。八木沢構想では抑えの切り札として期待されている。今年は河本を先発に転向させるプランもあるため、この第三の外国人の成績は、全てマリーンズの台所にはね返ってくる。ドジャース時代の90年には6試合に先発、完封勝利をおさめた経験もあり、実力は充分。フィルディングにも定評があり、マウンド裁きが楽しみ。 

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レフトウィッチ

2020-08-31 20:16:33 | 日記

1998年

身長196センチの長身右腕。メジャー9勝の実績以上に日本での活躍が期待できるのは、抜群の制球力にある。米大リーグで平均3イニングで1四死球と、制球難による自滅はまず考えられない。佐々木監督も先発ローテーション入りで2ケタ勝利を期待。近鉄浮沈のカギを握る助っ人だ。 

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フリューリー

2020-08-31 20:10:13 | 日記

2002年

昨年の投手陣は制球難に泣き続けた。シーズン634個を数えた四死球の数は、12球団のワースト記録であり、また球団史上でも最悪だった。打たれたのなら分かる。だが、打たれる前に、コントロール不足をさらけ出して崩れていくのを見るほど辛いものはない。その投手陣に3Aの精密機械と言われるフリューリーが文字通り助っ人として加入してきた。メジャーの経験こそないが、3Aでは屈指の制球力を誇り、昨年もヤンキースの傘下、コロンバスで3勝3敗3セーブ、防御率2.90をマーク。59イニングで27四球、75奪三振の数字が断然光っていた。スピードこそ140キロ台だが、コントロールとキレのある変化球で勝負出来る頭脳派タイプ。チームはミラバルの先発転向を決断しており、2年目を迎えた井場とともに、フリューリーがダブルストッパーとして抑えのマウンドに君臨しそうな気配だ。 

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アボット

2020-08-31 20:05:35 | 日記

1994年

91年には大リーグ・エンゼルスに昇格。翌92年にはフィリーズでローテーション投手に昇格し、31試合に登板している。チームが最下位に沈んだ事もあり、1勝14敗と思ったような成績は挙げられなかったが、米国の消息通によれば「先発して5回まで1点か2点に押さえた試合が10試合以上あった。だけど92年のフィリーズは貧打線だったので援護がなく、勝ちに等しい内容で負け投手になった試合が多かったという。今季から外国人選手枠が変則3人制度に変わった。野手は従来通り2人だが、投手に限っては3人目の同時出場が許される。その制度を生かした第一号がアボットなのだ。数多い候補者の中からアボットが選ばれたのは「カーブにキレがあり、しかも制球力がある。」ためだ。これまで米国で実績がありながら、日本で活躍できなかった投手は、そろって球威があってもノーコンだった。だがアボットに関してはその心配は全くいらない。しかも140㌔の速球を持ち合わせているのだから、まさに鬼に金棒だ。 

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バワーズ

2020-08-31 17:50:23 | 日記

2001年

196センチ、100キロというビッグサイズ。高校時代はバスケットボールのスタープレーヤーだったという長身から投げ下ろすストレートと大きく曲がるカーブ、スライダーでバッターをほんろうする。これに来日後に覚えたフォークを完璧に使いこなすような組み立てができるようになれば、まさに鬼に金棒。メジャー経験こそ少ないが、秘められたパワーが日本で大きく開花する予感いっぱいの楽しみなピッチャーだ。 

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デニス

2020-08-29 16:28:20 | 日記

1997年

ヒルマンが抜けた穴を埋めるべく獲得した期待のサウスポーである。メジャーでの実績こそないものの昨シーズンはパドレスで40人枠ロースターにも入り、その将来性は高く評価されている。26歳とまだ若いのも魅力だ。マイナーリーグにおける3年間の通算成績は34勝23敗。防御率2.95、奪三振560。パワーだけでなく、安定したコントロールも兼ね備えている。 

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バワーズ

2020-08-29 15:10:14 | 日記

2001年

先発した新外国人のバワーズが5回を無安打無失点の好投。1メートル96の長身から角度のある球を低めに集め、五回には定評のあるカーブで池山を見逃しの三振に。「四球が3個あった」と制球には不満そうだったが、キャンプで挑戦したフォークを封印する余裕も見せた。 

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バラー

2020-08-29 14:41:22 | 日記

1994年

オリックスが26日、3人目の外国人選手として21日からテストしていたジェイ・バラー投手(33)(元フィリーズ)の採用を決めた。バラーは1メートル98、102キロで右投げ。メジャー6年間の通算成績は4勝9敗6セーブ。昨年はメキシカンリーグのラレドに在籍。背番号は52。

オリックスの新外国人、バラーが初登板し、わずか11球で二軍行きが決まった。八回からマウンドに登ったが、先頭打者にいきなり四球。セットで2球投げたところでボークを取られ、連続四球を与えて降板した。山田投手コーチは「二段モーションになっている。あれじゃ全部ボーク」とカンカン。仰木監督も「ファームで調整してもらう」と落胆していた。

3人目の抑えに予定していたバラーは球威不足に制球難で開幕一軍も危ない。

バラーは、オープン戦で初登板したものの、セットポジションが出来ず、こちらはボークを連発。本人は「実戦を積んで力を発揮するタイプ」とアピールしたが、首脳陣は「だったら下(二軍)で投げろ」と登録を抹消。

6日に出場登録されたばかりの新外国人投手、バラーが初登板した。野田をリリーフし、七、八回を三者凡退で切り抜けた。球はそう速くないが、変化球のキレはまずまず。「今は雰囲気に慣れることが大事と思っています」とバラー。山田コーチは「球が低めにきていた。今日の場面を変えて、試していきたい」と、ひとまず合格点。 

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ベタンコート

2020-08-29 13:24:35 | 日記

2000年

93年に入団したときは内野手だったが、強肩を買われてピッチャーに転向した経歴の持ち主。いかにも重そうな球質のストレートは150キロを優に超える。外国人投手には珍しく、コントロールにも自信を持っている。横山らと佐々木の抜けた抑えの座を争うが、期待通りの活躍をみせてくれれば、V奪回はより現実味を帯びてくる。アメリカでも抑え一筋の専門家だけに「22」の前任者にたがわぬピッチングを披露してくれるだろう。 

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ジョンソン

2020-08-29 13:16:45 | 日記

2002年

敵も味方も、これほどの好投を予想はできなかっただろう。5月末に入団したジョンソンは中継ぎとして6試合に投げ、防御率は9.00。とても先発で通用する数字ではない。本人も「最初は緊張していた」という。だが、「アウトを重ねるうちに自信が出てきた」1メートル88の長身からの直球は140キロ前後。大きく割れるチェンジアップ、スライダーなどの変化球と合わせて打者を打ち取っていった。奪三振は2。二回に3者連続三ゴロに仕留めるなど、アウトの半分は内野ゴロ。「低めに集めたので、ゴロが多くなった」と26歳の右腕は振り返った。開幕投手を務めたバーグマンが二軍落ちする中、西武追撃へ光が差し込んだ。 

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ターマン

2020-08-29 12:49:52 | 日記

2002年

横浜の新外国人が投打にわたって活躍した。先発は208センチのターマン。角度のある速球にカーブやチェンジアップを交えて、目標通り2回を打者6人で抑え、「自信がついたね」4番のグランは、2回に右翼席に本塁打。6回には中越え二塁打と長打力を見せた。初戦のヤクルト戦では2打数無安打だっただけに、「やっとチームの一員になれたよ」と笑顔で話した。 

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ロバート

2020-08-29 12:36:35 | 日記

1997年

ロバート(西武)は最高156キロという直球とフォークが武器。昨年、米国の3Aから台湾に渡るや、8勝26セーブと活躍。東尾監督は抑えを任す方針だ。 

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ホセ

2020-08-29 08:55:15 | 日記

1996年

193cmの長身をしならせて、快速球がホームプレートを直撃する。鋭いスライダーが絶妙にコーナーを攻める。ホセ・ヌーニェス。まさしくガリバー級のビッグエースが鷹の投手陣に加わった。ドミニカ生まれだが、メジャーを経て過去3年間は台湾の統一ライオンズの主軸として56勝挙げた右腕。ホセと台湾で同僚だった呉思賢ライオンズ主将は「日本でも間違いなく10勝以上はするよ」と太鼓判を押す。王監督もその実力を認め、強く入団を希望した逸材だ。そのいきさつを知っているだけに監督への尊敬の念は非常に厚い。「監督を胴上げするのが目標だ」と目を輝かせる。ドミニカからアメリカへ、そして台湾へ。正解をまたにかけたガリバーは、最終目的地日本の福岡ドームへ、ついにたどりついた。 

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ヘンリー

2020-08-29 08:50:52 | 日記

1993年

中日の沖縄秋季キャンプに五日から、米国大リーグ・マリナーズの現役ドゥエイン・ヘンリー投手(31)=190センチ、103キロ、右投げ右打ち=がテスト生として加わった。ヘンリー投手は大リーグ十年で通算13勝14敗。今季は救援投手として54イニングを投げ、2勝1敗の成績。中日のトム・ハウス臨時コーチの門下生で「日本で自分の力を試してみたい」と入団テストの受験を決意したという。前夜米国から沖縄入りしたばかりのため、初日は軽いキャッチボール程度。ハウスコーチ相手に約30球を投げたが、150キロの速球が武器というだけあって、豪快な投球フォーム。本格的な投球は七日以降となるが、首脳陣からは「早く見てみたい」との声も。ヘンリー投手は「日本の野球についてはフィルダーからいろいろ聞いた。真っすぐだけではなくスライダーとチェンジアップも持っている」と売り込みに懸命だった。

1994年

中日のキャンプは二日、新外国人選手のヘンリーが予定を変更して本格的な投球を開始した。力のある直球のほか課題とされる落ちる球も投げ守護神をアピールした。この日、ヘンリーのメニューには、投球練習は入ってなかった。しかし「早くマウンドに立ちたい」と、首脳陣に申し出て、ブルペン行きが決まった。投球は約60球。後ろで見守る高木監督と隣の与田を意識してか、最初から重たくて球速のあるストレートを立て続けに投球。さらに、スライダー、チェンジアップ、さらにはトム・ハウス臨時投手コーチから教わったスプリット・フィンガー・ファストボール(SFF)も披露した。持ち球すべてを見せた投球練習は、さながら「抑え役はぜひ自分に」というデモンストレーション。練習後ヘンリーは「いい感じで投げることができた」と初投げの感触に満足顔。初めて披露したSFFについては「1986年に一度挑戦したが、肩に違和感を感じて投げるのをやめた。今回は球団から、投げてほしいと言われ、もう一度チャレンジすることを決心した」昨年の秋季キャンプでテストを受けた時の持ち球は、真っすぐ、スライダー、チェンジアップの3種類。しかし、球速差がないうえ、チェンジアップの落差が少なく、首脳陣には「タイミングの合わせやすい投手」という印象が残った。水谷投手コーチは「落ちる球があれば、球威十分の直球が生きる」と指摘。高木構想では、与田とともに抑えとしての期待がかかるヘンリーにとって、SFFの会得が、キャンプ最大の課題となる。

95マイル(152キロ)の看板をかなぐり捨てた。真っすぐも変化球も球速は2割減。打者の目にはそう映った。ヘンリーは力を抜いて勝った。勝負はプレーボールの前に決っていた。ブルペンで、開始直前のマウンドで低め、低めに球を集めるヘンリー。「きょうのヘンリーは…」阪神ベンチから驚きの声が上がる。交代する六回途中まで、阪神打線が手を出したボール球は15球。ヘンリーの投球数の一割を上回る。安定した制球が、打者を追い詰めた。真っすぐは平均142、3キロ。スライダー、フォークの変化球に加えて、最近覚えたカーブをも、巧みに操った。四回、オマリーへの初球が、そのカーブ。力まかせの投球から一変、四番打者の動揺を誘う。真っすぐはわずか1球。最後はフォークのボール球で併殺に打ち取った。「きょうは投球を楽しむつもりで投げた」これまで、変化球のサインに再三首を振って、中村をてこずらせたヘンリーが、素直にうなずく変身ぶり。ヘンリーの経歴カードのセールスポイントには95マイルの太字が記入されている。スピードとパワーが優遇されるアメリカで、この数字だけが支えだった。五年前に渡り歩いたのは5球団。制球難でお払い箱になっても「95」のおかげで、声がかかった。そのよりどころを自ら捨てることに日本での勝利を見いだそうと決めたヘンリー。先発を言い渡された二日前から寡黙になった。口を開けば揺らぎそうな決意を温め続けた。「もう全力で投げない。力任せでは日本で勝てない」とパウエルに打ち明けたのは試合直前のことである。「オレは球速を加減する器用さはないよ」と笑い飛ばした。昨年一度先発を経験しているものの、85年から抑え一筋のプロ野球人生。大リーグでも果たせなかった先発勝利が皮肉にも手抜きで転がり込んだ。力を抜くという慣れない投球で、かつてない疲労感を味わったのもまた皮肉。マウンドを自ら降りるヘンリーの残した言葉は「ノートライ(もうだめ)」だった。 

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マットソン

2020-08-29 08:43:55 | 日記

1998年

魔球とも称されるナックルボールが武器。その揺れ落ちるさまを見た首脳陣が「この球を捕手が取れるかが問題」と心配するほどで、打者が幻惑されるのはまちがいない。そのナックルにも3種類ほどの落差があると言われている。メジャー経験はないものの、猛牛の秘密兵器は楽しみな存在だ。

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