プロ野球 OB投手資料ブログ

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井上安雄

2024-05-09 21:00:01 | 日記
1952年
読売巨人軍では十日明大の井上安雄投手(20)と正式契約した、同投手は和歌山県海南市生れ、海南高時代廿三年の全国高校野球大会に現国鉄の木下捕手とバッテリーを組んで活躍。その後明大に進み投手のかたわらバッティングを活かして一塁にもまわった。今春の島岡監督就任のゴタゴタで退部、この一年間は東京荏原高のコーチをしていた、五尺九寸、十九貫、右投右打、長身を利して投げ下す速球とドロップはよいがコントロールにはまだ難色がある、バッティングはスラッガーの素質十分といわれる。


1953年


井上君をジャイアンツが投手に仕上げるか、それとも一塁手として使うかという問題が、野球関係者の間で話題になっている。いまのところジャイアンツ自体でも何れと断定を下してはいないがプロ野球の世界になると中々に二つのポジションという二足のワラジをはいて渡ることはむずかしい。それだけにどっちを取ってどっちを捨てるか土たん場にならないと決定しにくいものだ。いまでこそ別所投手に一塁手にでもなって打棒で生きろという声はきかなくなったが、彼が南海にいたことは「別所の将来」について随分はなやかな議論がたたかわされたものであった。無論別所投手はその後自らの激しい研鑽でプロ野球のNO1投手にまでなったのであるから打者としての道を取ったとしてもやはり近代の強打者となり得たには違いないが…。井上君も明大時代は投手と一塁手を交互にこなして別所投手のその昔を思い出させるものがある。こなしていたといえば何か器用さがしのばれるが、彼のプレーはまったく不器用の一語につきる。名門海南高で井上ー木下(現スワローズ)のバッテリーは可成り名を売り、その後明大に入学して昭和二十五年秋明ー法戦にデビューした。球質が重いのと垂直に落ちるドロップの威力で調子のよい時は素晴らしいが、無器用さが頭をもち上げるとコントロールを失ってボール、またボールというみじめさを見せる。そういえば別所投手も一ころは荒れると自滅するくせがあった。何処か似ている。体も井上君は大きい。だが、井上君が果して別所の塁をこすことが出来るだろうか。昨年一月の明大問題で潔く部を退いた彼は荏原高のコーチをやりながら一年を自重しての新しいスタートに立っている。ノンプロからの誘いもあったらしいが、彼などはプロでみっちりやらせた方がというところに落着いたのだろう。森早大監督は「上体と下とがバラバラになるのが欠点だ。しかし球が重いし早いからあれをなおせば将来性はある」と彼を見ている。器は御覧の通り大きい。あとは鍛え方一つだろう。

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