プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

今井圭吾

2024-02-29 07:57:56 | 日記
1995年
右オーバーハンドから投げ込む速球は、MAX147キロ。切れのいいシュートと2種類のフォークが加わった。ウイニングショットに使う速いものとカウントを稼ぐチェンジアップ気味のボールの二つだ。しかし、今井には一つだけ悩みがある。カーブが投げられないことだ。「ずっとそう。いろんな人から教えてもらってるんですが、なかなかうまくいかなくて…。スライダーはいけるんだけど」生まれは愛媛県伊予郡松前町。無名に近い伊予高だが、評判の高い投手だった。3年夏の甲子園予選では現在、中日にいる野口(丹原高)と投げ合い、プロのスカウトから注目されたことも。


1996年


今井は去年の段階でストレートが147キロを計時し、マスコミでもかなり騒がれた。ただ、ヒジの使い方がヘタで、長身の割に角度がないのが物足りない。腕がやや横から出るのでどうしてもピッチングが平均的になり、打者を見下ろす威圧感にも欠ける。落差のあるフォークとスライダーを持ち、コントロールも悪くない。ストレートに磨きをかけることが、この投手の最大にして唯一の課題である。

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ボルトン

2024-02-28 22:57:09 | 日記
1996年
生まれ変わったかのように助っ人は攻め続けた。これまでの悪夢を振り払う粘投。九回途中で降板したものの、わずか1失点で来日初勝利を手にした。ただかわすだけのピッチングとは、決別していた。王監督も「良く投げてくれた、かわす前に攻めの投球ができてた」とボルトンをたたえた。その言葉通り。シンカーと直球で内角を攻め、外角のスライダーで打ち取るピッチングがさえた。「コントロールに気をつけて投げた。四球で失点することが多かったからね。前の登板予定から好調を維持できてたよ」先月二十九日、北九州での先発予定が流れ、この日になっていた。しかも、相手は最初の登板で7失点のKOを食らった日本ハム、すっかり自身を喪失したボルトンは次のチャンスにも二回途中でKOされた。そして四月十二日にはついに登録抹消…。その悔しさがボルトンを支えていた。「ファームではひたすら投げ続けたよ。コントロールにもスタミナにも自信がついたんだ。それに体重を4キロぐらい増やしたかな」コントロールへの自信が回復したことで、すべての問題が解決した。攻める配球もかわす配球も思いのまま、東京ドームで本塁打されたデューシーを併殺打に打ち取り、お返し。王監督が「おい、別人じゃないのか」と疑うほどマウンドさばきは堂々としていた。さらにこの日のボルトンには心強い味方があった。兄のグレッグ・ボルトンさん夫妻と婚約者のエイミー・ハリソンさんが米国から駆けつけていた。「気持ちの上で支えになったよ」照れながらうつむくボルトンの笑顔がその存在の大きさを証明する。この1勝はただの1勝ではない、帰国する家族にもローテ入りを待望する首脳陣にも大きなプレゼントになった。


この試合のボルトンは、いつもの彼とは違っていた。ボールが先行、ストライクは高めに来て、三回と持たずにKOされ続けていたのが、ストライクが先行し、カーブを低めに決めるという逆の投球、これが見事に成功した。本人も二軍に落ちて「これではいかん」と考えたのだろう。さほど素晴らしいともいえないカーブでも、きっちり低めに来れば、そう簡単に打ち込まれることはないという見本みたいな投球内容だった。

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玉置玉一

2024-02-26 13:18:02 | 日記
1941年
東邦商の玉置投手は、球速、球質ともに何ら特徴がない。しかるに彼が優勝投手の栄冠をかち得たのは一に彼の賜ものにほかならない。常に打者の外角低目を狙い、またシュートボールで凡打を誘うなど、しかもまだ制球力が十分でないためしばらく2-3の危機に面しながらいささかも動ぜず切り抜けたのは一に彼の試合度胸によるものといえよう。

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今井圭吾

2024-02-26 13:10:55 | 日記
1996年


関西学生リーグでMVPに2度輝いた速球派。変化球、特にフォークの切れがよく、マウンド度胸もよい。
最速147㌔の速球右腕。投球術にも磨きがかかり、関西学生通算22勝。


1997年


速球は140キロそこそこだが、内外角いっぱいに攻める思い切りのよさと、フォーク、右打者へのシュートが効いた。中盤以降は「自分なりに組み立てを変えた」という冷静さも。愛媛・伊予高から近大を経てドラフト2位で入団。即戦力の期待は高かったが、西崎が腰痛、昨年活躍した今関、岩本が勝ち星がないだけに、この完封はチームに大きな収穫だ。

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デルトロ

2024-02-24 16:25:13 | 日記
2001年
投げる方の新助っ人デルトロも、13日から1軍の練習に合流して登録に備える。肩を痛めて2軍で調整中の守護神・森は回復までに時間を要する見込み。このためリリーフ陣の補強が必要となった。デルトロはオープン戦終盤から2軍で調整を続けてきたが、気温の上昇とともに調子も上向き。11日のイースタン・リーグのヤクルト戦ではMAX148㌔をマーク、持ち味のムービングファストボールも威力を増している。

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クベンカ

2024-02-24 16:21:50 | 日記
2001年
ロッテの新外国人、ジェフ・クベンカ投手(26)=186㌢、86㌔、左投右打=が13日午後、成田空港着の大韓航空機で来日。千葉マリンスタジアムで入団会見が行われた。米大リーグ・メッツ3Aを離れ、日本球界を選んだMAX147㌔左腕。来日にあたって春季キャンプを一緒に過ごした新庄選手からアドバイスを受けた。「シンジョーは、チーム数や移動方法など基本的なことを話してくれた。組織的で、レベルの高い野球をすると聞いている」来年の予定だった妻・ジェナさんと11日に故郷テキサス州で挙式。「チームの首位持続に貢献したい」と気迫も十分だ。新庄にも負けないおしゃれっぷりで男前。女性ファンの人気を集めそうだ。

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スコット

2024-02-21 09:07:45 | 日記
1993年
スコット投手は、マイナーリーグ五年間で通算14勝を挙げ、昨年はローズともプレーした。今年九月に大リーグに昇格し、リリーフとして16試合に登板。1勝2敗だった。制球が良く、右上手からの速球とフォークは威力十分。桜井球団専務は「まだ若いが、冷静な投球をする」と成長株の右腕に期待していた。


1994年


新外国人選手のダリル・スコット投手(25)が、ブルペンでいきなり40球を投げた。十一日はでん部にできた小指の先ほどのおできを取り除く手術のため練習を休んだが、この日は軽いキャッチボールの後、谷繁を座らせてピッチングを開始した。外国人投手特有の強い下半身を利したフォームで、時折武器のフォークを織り交ぜながら約40球をテンポ良く投げ切った。


新外国人選手のスコットがはじめて紅白戦に登場した。紅組の三番手としてマウンドに登ったスコットは、ノーワインドアップからストレートやチェンジアップ、フォークなど打者五人に20球を投げ込んだ。まだ球威はないものの、打者のタイミングをうまく外す投球は実戦向き。しかし、中村にストレートを左翼席に運ばれ、高橋には粘られた後に四球を出すなど、結果は今一歩だった。

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ホルツ

2024-02-21 08:48:02 | 日記
2005年
左腕のホルツ(32)は、中継ぎ候補。投手としては小柄だが、1球1球腕の出所を変えることができ、牛島監督は「右打者に打ちにくいカーブを投げられるのが特徴」と分析した。


中継ぎ左腕として期待されるホルツが、記者会見し、「チームの勝利に貢献したい」と力強く宣言した。メジャー通算7年間で16勝19敗3S、防御率4.68。主に中継ぎとして活躍した32歳の武器は2種類のカーブと制球力という。


8日に合流した新外国人ホルツが、ブルペンでいきなり捕手を座らせて初投球を行った。約50球、カーブ、カットボールなどを交え、左打者相手に使うという上手から横手に変える変則フォームも披露した。「1度目にしては低めにボールがいったし、順調。早く実戦で投げたい」と笑顔のホルツ。球を受けた葉室ブルペン捕手は「変化球でも腕の振りが直球と同じ。コントロールもいい」と印象を話した。


身長は176㌢。だが、本当はもっと小さいだろう。ブルペンに入ると頭一つ小さい。それでも、メジャー7年間で通算350試合を投げ、中継ぎ左腕として活躍できたのは、メンタルの強さと、投球スタイルからだ。バリー・ボンズ(ジャイアンツ)・ケン・グリフィーJr.(レッズ)らメジャーを代表する左打者を相手に、終盤の大事な局面でマウンドに登るのが仕事だった。大学2年の92年6月に。右ひじじん帯の移植手術を受けた。「あの手術を考えると、メジャーでの活躍が信じられない」だが、その日を境に技術が培われた。直球で打者を抑えきれなくなったかわりにチェンジアップを覚え、コントロールを磨いた。技巧派にスタイルを変えると、1年後には球速も回復。「あの手術がなかったら、今の自分はいない」と振り返る。上手と横手の両方から投じる変則フォームも努力の結晶だ。きっかけはプロ五年目の99年、5度の首位打者に輝いたボッグス(ヤンキースなど)と対戦したとき。上手のカーブでストライクを取り、次に横手のカーブでタイミングを狂わせて打ち取った。「打ちにくかった」という各打者の言葉をチームメートを通じて聞き、「同じボールが2種類になれば投球の幅が広がる」と、本格的に取り組んだ。大リーグ7年間で積み重ねた努力と経験、投球術。中継ぎ左腕の層が薄い横浜は、格好の実力発揮の舞台だ。

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ホルト

2024-02-18 15:32:47 | 日記
2002年
横浜の新外国人ホルトが巨人打線を3安打に抑え、来日初完封で4勝目。140キロ台前半の速球に加え、カーブ、スライダー、チェンジアップにシンカーと球種は多彩。「いろんな球を均等に投げるように心がけた。両サイドのコースもうまく使えた」と話すように、後半から外角へ外れる変化球を多めに使い、投球の組み立てを変え、巨人を散発3安打に抑え込んだ。

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椙本勝

2024-02-17 18:54:42 | 日記
1972年


椙本勝氏(松竹消滅後、大洋ホエールズに残った怪力の外野手・ヤシカ勤務)

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中川隆

2024-02-17 18:52:15 | 日記
1968年


彦根東は、投手に中川隆(元大毎ー米原駅前で旅館経営)がいて秋、春の県大会に出場、県下初の三連勝をねらっていた。
滋賀からプロ野球にはいったのは、戦後では、松竹ロビンスで活躍した荒川昇治捕手(八幡商ー現富士交易)、大辻秀夫(八幡商ー国鉄スワローズー現滋賀相互銀行)、人見武雄(膳所ー日大ー阪急ー現戸田工業)ら数少ない。

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ベタンコート

2024-02-17 15:41:57 | 日記
2000年
新外国人のベタンコートが初めてのブルペン。直球にカーブを交えて約40球を投げ込んだ。権藤監督は「ボールの回転がいい。真っすぐでも変化球でもストライクが取れれば使える」と印象を話した。


背番号22を背負い、佐々木に代わる新守護神の候補として期待がかかるベタンコートがフリー打撃に初登板した。対戦したのは波留と佐伯の二人。ベタンコートは直球とカーブ、ツーシームファストボールの三種類の球種を披露した。


雨でグラウンドコンディションが悪かったため、午後から予定されていた紅白戦は中止。来日初登板となるはずだった、抑え候補のベタンコートのピッチングはお預けとなった。フリー打撃には二度登板したが、実戦での投球経験はない。この日は室内ブルペンで直球とカーブ、スライダーなどの変化球を計76球投げたが、ボールが多くやや不安定な内容だった。

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ホワイトサイド

2024-02-17 15:35:25 | 日記
2003年
新加入の2投手が初めてブルペンに入った。抑え候補のホワイトサイドは直球にスライダー、チェンジアップを交えて33球。「高めは厳しいが、直球に自信があるので、いい方に働く。両サイドは狭いが対応できる」と、審判の判定で日本のストライクゾーンを測った。

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マレン

2024-02-17 15:24:29 | 日記
2003年
横浜ベイスターズは18日、来季の新外国人選手として米大リーグ・ドジャース傘下3Aラスベガスのスコット・マレン投手(28)の獲得を発表した。今オフ補強の最重点課題である先発左腕として獲得した。140キロ台中盤の速球とスライダー、カーブ、チェンジアップを持つ。メジャー通算成績は75試合で4勝5敗、防御率4.66。

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シュワーズ

2024-02-17 15:20:52 | 日記
1994年
牛込渉外担当によるとシュワーズ投手は最速149キロの直球と大きく落ちる速いカーブを武器とする本格派。近藤監督も「打者に向って行く攻撃的なタイプ。球に力があり来季の秘密兵器として十分期待できる」と大型右腕の獲得を喜んでいた。

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