プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

嵯峨山幹雄

2019-12-31 21:37:56 | 日記
1964年

近鉄では嵯峨山幹雄投手(16)=1㍍82、73㌔、右投右打=を採用した。同投手は神戸の養護施設若葉学園を昨年卒業後小西酒造に在籍していたもの。
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佐野嘉幸

2019-12-30 09:19:31 | 日記
1962年

東映フライヤーズではこのほど甲府工の佐野嘉幸遊撃手(18)=1㍍71、63㌔、右投げ右打ち=の入団を内定、きょう(二十六日)塚本スカウトが山梨県南巨摩郡の実家をたずねて条件など最終的打ち合わせをすることになった。

佐野遊撃手は、一年生の春は外野を守り、三番を打っていたが、秋から遊撃手に転向、その後不動の四番打者として活躍、軽快なフットワークと長打力ははやくからプロ各球団の注目するところとなった。今夏の甲子園大会には西関東代表として甲府工を初出場させる原動力となった。佐野争奪戦は大洋藤井スカウトの甲府通いではじまったが、藤井スカウトは甲府工田名網監督を通じて進学をすすめて身をひいた。このあと乗り出したのが東映と大毎だった。九月一日本人が退部届けを出したころからこの両球団の争いはますます激しくなった。東映荒井スカウトは九月一日から三日間本人を追い回したが、結局会えず、これが理由で大毎(保坂スカウト)が一時有利とみられていた。しかし東映は荒井スカウトから塚本スカウトにバトンをタッチし、佐野遊撃手の相談役である実兄博司さん(22)=国際建設勤務=を積極的に説得、ついに内諾を得たもの。塚本スカウトがきょう(二十六日)甲府に向かい、条件に付いて最終的結論を出すことになっている。

佐野選手の話 チームとしては東映が好きだ。でも出場できるということを考えると大毎のほうが可能性があるので長い間迷っていた。今では気持ちもはっきりきまったが、近いうち両親や兄と相談して最終的な結論を出すつもりだ。

東映塚本スカウトの話 甲府から帰ってきたばかりだが、大体大丈夫だと思う。とにかく二十六日にもう一度実家へ行くことになっている。

大毎松浦代表の話 現在ウチは保坂スカウトが甲府に行っているが、相当条件が高くなっているらしい。正式にではないが、まず東映入りだという話は聞いている。
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松谷栄司

2019-12-30 08:07:58 | 日記
1963年

高校球界の好投手五指にはいる北海高のエース松谷栄司投手(17)=1㍍79、78㌔、左投げ左打ち=は巨人、阪神、大毎、東映、阪急、国鉄、西鉄の七球団から勧誘されていたが、このほど東映入団が決定した。

夏の甲子園大会が終わったときは阪急説が流布された。松谷選手の実兄吉郎氏(27)=防衛庁松戸自衛隊勤務=と阪急の前技術顧問の大下弘氏が顔見知りのところから、父親作太郎氏には丸尾スカウトが熱心に勧誘し、一時は松谷選手も大分傾いたようだ。このため他球団も手を引く結果となったが甲子園の対久留米商戦を見た東映塚本スカウトが、春から著しい進歩に目をつけ、帰京したあとの八月二十九日の補強会議のとき推薦。了承を得ると荒井スカウトが担当し積極的に乗り出したもの。この東映攻勢に松谷選手の気持ちも変わり、吉郎氏から最有力視されていた阪急に断りの手紙が届き、阪急は脱落してしまった。他球団もこの間げきをつき交渉を再開したものの、最後まで食い下がった西鉄の首脳陣が「どうやら東映の牙線はくずせそうもない」と語っているところから、東映入団は堅く、東映の逆転勝ちとなったものである。

松谷栄司投手略歴 体はやや堅いが、将来性のあるサウスポー。静内高一年生の九月、北海高の強さに魅力を感じ転向したほどの野球の虫、今春の選抜大会では御所工に6本の長打を含む11安打を浴び、11点をとられる期待はずれのピッチングでスカウト連をがっかりさせた。ところが夏の大会では予選で室蘭栄高相手に完全試合を演じるまでに成長。1㍍79、78㌔の恵まれた体格からのストレートはすばらしい威力を発揮。対久留米商戦の五回二盗の際左足上骨を骨折するまで14回投げて自責点1の好投を見せていた。現在は足の負傷もなおっている。
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竹之下五十三

2019-12-30 07:53:53 | 日記
1963年

西鉄ライオンズはこのほど、九州高校球界随一の好投手といわれる鹿児島高校のエース竹之下五十三(たけのした・いそみ)=176㌢、72㌔、右投げ右打ち、18歳の獲得に成功した。竹之下投手は、二年生まで、三塁を守り、四番打者として活躍していた。昨年秋強肩を買われ、投手に転向したが、これが成功、メキメキ頭角を現した。投手経験一年でありながら九州では出水高の外木場投手と一、二を争う好投手といわれるようになり、今夏の大会に、鹿児島県代表として甲子園に出場した。甲子園大会では、秋田商業と対戦して惜敗したが、上手からのスピードボールは、甲子園につめかけたプロ球団スカウトの注目を集めた。そのため争奪戦も西鉄のほかに、広島、大洋、中日、東映の各球団が名のりをあげていた。しかし、九州大会のときから目をつけていた西鉄城島スカウトの熱意と、本人が西鉄稲尾投手のファンであるところから、西鉄が他球団を寄せつけず、獲得したものである。

竹之下選手の話 小さいときから、稲尾投手のファンでした。だからプロ入りするなら、西鉄へいきたいと思っています。プロ野球は、このあいだ西鉄から招待されて、平和台で東映戦を見ましたが雨で中止になりました。自分としては、速い球に自信をもっていますが、プロで通用するかどうかは自信がありません。

西鉄城島スカウトの話 竹之下君を見たのは、九州大会のときだけだった。投手に転向してまだ一年しかたっていないので、投手としてはまだ完成されたものではない。それだけに、どこまで伸びていくか期待がもてるわけだ。幸いなことに、竹之下君はすごい稲尾ファンだし、プロへいくなら西鉄へはいりますといってくれているので、ウチへきてくれるものと思う。
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竹之下五十三

2019-12-29 19:22:52 | 日記
1964年

新人でもっとも期待されているのは清投手。ところが最近になって若林コーチが竹之下(鹿児島高)も「きっと出てくる」というようになった。竹之下は球速も清よりはいくらか劣っており、フォームも投手になってからまだ一年というだけに、ぎこちないものがあったので、若林コーチは島原キャンプであまり期待していかったようだが、最近になって「出てくる」といいだしたのは、竹之下にカーブを教えたところ、非常におもしろい球を投げ「打者はカーブだとわかっていても打てないだろう」ということである。
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川端英文

2019-12-28 22:07:55 | 日記
1963年

巨人軍ではこのほど川端英文投手(17)=身長1㍍78、体重67㌔、右投げ右打ち、伊東南中卒=を練習生として採用した。川端君の父親富次さん(41)=伊東警察署勤務=の友人が荒川コーチと知り合いである関係から採用が決まったもの。巨人では土山吉晴君についで二人目の練習生。なお川端君は大田区鵜ノ木町の私立東京高校定時制に入学することも決まった。

川端君の話 練習のお手伝いをしながら野球の勉強をできるのでうれしい。学校にもいかせてもらえるのだし、一生懸命やります。お父さんも許してくれました。
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小川健太郎

2019-12-28 12:46:25 | 日記
1964年

中日ドラゴンズは七日、球団事務所でノンプロ立正佼成会の小川健太郎投手(28)=明善高出=の入団を発表した。同投手は二十九、三十年東映に在籍したことがあり、プロ球界には九年ぶりのカムバック。三十六年から立正佼成会に移り、通算成績は34勝17敗で、横手からのキレのよい変化球を持ち、ショートリリーフに予定されている。1㍍77、65㌔、右投げ右打ち、背番号は59。
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岩上江笠

2019-12-28 10:12:45 | 日記
1963年

はなばなしい打撃戦を展開したが、近鉄が七回まで毎回のように安打を放ち、岩上の好リリーフもあって快勝。岩上はプロ入り初勝利を飾った。

岩上は二回以降内角へのシュート、外角カーブのコンビネーションよく六回石井晶に右前打されただけ。完全に阪急打者を牛耳った。

近鉄別当監督の話 また先手を取られたが、岩上が阪急の打線をうまくかわしてくれたし、よく打ったよ。きょうは効果的に点が取れたのがよかった。

近鉄岩上投手の話 ブルペンでは調子はよくなかったので丹念に低目をねらって投げた。シュートに効果がありました。八回そのシュートを全部ねらわれましたが、もっと楽に九回まで投げられるようにならねば…。
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久保祥次

2019-12-28 09:04:21 | 日記
1962年

セ・リーグ広島カープは三日久保祥次捕手(20)=広陵高、広大医学部勤務=の入団を正式発表した。1㍍74、75㌔、右投げ右打ち、背番号40。同選手は八月二十八日の新人テストに合格したもの。
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古田忠士

2019-12-28 08:51:36 | 日記
1964年

大洋球団は二十八日、古田忠士遊撃手(17)=早鞆高、右投げ、右打ち、身長1㍍72、体重65㌔=の入団を発表した。同選手は今夏の高校野球山口県予選で下関商池永投手から2安打を放ち1-0で快勝する因をつくり、注目を集めた。さらに甲子園大会では主将、三番打者として15打数、6安打、打率4割をマーク。攻、守に抜群の力を発揮して早鞆高決勝進出の立て役者となった。
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上別府幸一

2019-12-28 08:41:14 | 日記
1964年

西鉄ライオンズはこのほど軟式野球界から上別府幸一投手(17)左投げ、左打ち、180㌢、68㌔=を獲得した。同投手は宮崎県高千穂町にある日本ジャスパー興産のエースで、三十八年の国体軟式野球で全国優勝した経験がある。ことし八月ウエスタン・リーグが大分に遠征した際、重松コーチが知人に紹介され、平和台球場でテストした結果入団が決まったもの。同投手は二十日から平和台球場で行われている西鉄秋季練習に参加している。
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岩本勝

2019-12-27 11:30:32 | 日記
1962年

阪急ブレーブスは六日西宮球場での阪急対東映ダブル・ヘッダー終了後、球場内インタビュー室で、岩本勝投手=(17)山口県立豊浦高在学中、1㍍78、78㌔、左投げ、左打ち=の入団を発表した。同選手は本年度の春の選抜大会に投手として出場、一回戦で鎌倉学園に敗れたが、優秀な投手として多くの球団からねらわれていた。また打者としても三番を打ち、通算打率・371を残している。背番号は未定。
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石原碩夫

2019-12-27 11:23:46 | 日記
1964年

東映は十六日午後四時、東京・京橋の球団事務所に、ただひとり残っていた未更改選手の石原碩投手を呼んで話し合ったが、かねてから決めていた「引退して家業(牛乳店)をつぎたい」という本人の意思が堅いため、任意引退選手にすることを決めた。同投手は三十六年六月、ノンプロ東洋紡岩国から東映に入団。下手投げの有望選手として期待され在籍二年半で通算2勝2敗の成績。なおこれで東映は全選手の更改を完了した。
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吉成昭三

2019-12-27 11:17:13 | 日記
1963年

巨人はこのほど秋田高の吉成昭三投手(17)=175㌢、74㌔、右投げ右打ち=を獲得した。同投手は全国大会には出場していないが、秋田商のエースで速球派、足の速さは県内随一だった。八月、一時はノンプロ熊谷組への就職が内定していたが、本人のプロ入りの意思が強いのと日本テレビの仲介で巨人が勧誘。さる八月上旬、多摩川球場で川上監督、中尾コーチ立ち会いでテストを受けた結果、合格し、このほど正式に巨人入りが決まったもの。

巨人佐々木代表の話 テストの結果、結論やれるという話はきいていたが、ノンプロに内定していた事情もあって、のびていた。スカウトの話では、本人がウチにきたいといっているから心配はないということだった。

兄順一さんの話 本人がプロでやってみたいというのだから、意思を尊重してやることにしました。プロ入りか就職かをよく考えたが、弟はやっぱり巨人入りしたいとのことだった。
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田中調

2019-12-27 11:09:39 | 日記
1963年

東映フライヤーズは高松高の田中調(みつぐ)投手(左投げ左打ち1㍍75、64㌔)を獲得した。田中投手は今夏の北四国予選の準決勝で代表校となった西条に延長戦の末敗れたが、昨年から四国随一の左腕投手としてプロ球界から注目されていた。速球はこれまで一試合平均13個の三振を奪い、将来を期待される本格派、東映、南海、阪神、大洋から勧誘をうけていたが、東映の熱心な誘いに当初の進学の希望をまげて東映入りが決定したもの。

実父鹿市さんの話 本人はあくまで進学するというので南海さんにはそう伝えていた。しかし東映の熱心な勧誘に本人も同じ野球をやるならとプロ入りに踏み切った。東映は私もファンだし、チームについては申し分ないので喜んでいます。

東映荒井スカウトの話 田中投手は夏の予選、準決勝で西条高に惜しいところで敗れたが、西条の石川投手と投げ合った左腕で本格派の投手だ。素質は申し分ない。ウチにきてもらえるだろう。
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