ひとつ前の日記に貼付けた動画によると、アユタヤ遺跡に存在する、ワット・マハタート寺院は(ワット・プラ・シー・サンペット寺院と同じく...)、ビルマ軍に侵攻された際、ほとんどの仏像の首がビルマ軍によって切り取られてしまったそう... 憎しみに染まった心が、そんな恐ろしい行動をとらせるのかな... 項羽の戦いの四面楚歌に見られるように、それが敵陣の心を折るための“戦法”だったとしたら、こんなに残酷な事態(誰かの心のよりどころを破壊する行為)は、“戦争という極限状況が起こす狂気”といえるのかも...
頭だけになった仏様の顔が、長らくの時をかけて、菩提樹の木の根に取り込まれて、包み込まれるように抱(いだ)かれてる姿にも、なんか、胸に来るものがあった...(ほんとうまくいえない...)
人間の存在は長い歴史からすると、ちっぽけかもしれないけど、生きているあいだに、少しでも事態を良く変えることはできないのだろうか... それとも、翻弄されるのみ? それでも、その時代を懸命に生きる、一人一人。
私は、けして威勢のいいことは言えず、気がつけば、いつも、無力感を感じながら生きています・・・
でも、それが蟻の吐息程度の影響力だとしても、ひたすら優しくありたいと思いながら(祈るように)生きています。 多分、それが、私に与えられた(私がいただけた)役割なのだな、と感じながら... 時々、迷いますが。。。
「私たちの魂は、過去の失敗から学んで進化し続けてきたのだ。それぞれの役割がこの世にある」と語った、「アンナと王様」の王様の言葉を想い出しました...
“原爆ドーム”の前で泣いていた、エルヴィス・コステロのことも想い出す.....
集団的自衛権の行使容認の閣議決定がされた今日、祈りを持って記します...。
大好きな人たちに、長生きしてほしいです......