ー序章ー
経営不振でほうりだされたブロイラーの廃墟の中で暮らす野良犬。
その犬の告白文としての物語。
第二次世界大戦を目前にしたベルリンでの話。
なぜ僕がここに居るか。
ユダヤ人資産家の飼い犬だった、〈僕〉はナチスによるユダヤ人狩りの厳しくなる中、アメリカに亡命した資産家の青年に捨てられ、野良犬となった。
犬同士は、遠吠えにより、コンタクトを取り合っており、当然、ナチズムとしての犬、資産家としての犬など、いろいろな思想を持つ犬がいる。
野良犬となった〈僕〉は、ナチスの犬に追われるが、恐慌の中、いらだった人間たちに、ユダヤ犬、ナチ犬かかわらず、“犬のように”殺されていく。
ー本編ー
僕は、その犬を知っていた。ナチ犬たちの「明日は我がもの」の大合唱の中、小さくだが、僕の耳に届いた遠吠えがあった。(団体に属さない、個人としての遠吠えと言うのもある。)
いかにも潔癖そうな、キンと張りつめた声で、歌っていた。
「私は誰の子供も生みたくないの。異犬でも同犬でも同じく。かならず悪魔が生まれるから。私は私として死んでゆきたい。」
口火をきったのがこの犬だった。最初はかすかで、澄んだ歌声だった。
最後には大合唱になっていた。
《メス犬の昔話》
「私はアルコール中毒犬で、詩犬だったわ。それ以外の存在ではなかったし、なりたくもなかった。」
僕たちは何も生み出さないだろう、生み出す可能性があるにもかかわらず、自分たちの意志で。
アルコール中毒犬がかすかな声で「明日は我がもの」を歌っていた。
「最初は、その歌も、君のような純粋で、潔癖な個人が歌い始めたんだろうね。」
《CAST》
ユダヤ犬・・・男色犬。夢想を描く、哲学犬。
アルコール中毒犬・・・メス犬。詩犬。目の周りが真黒にふちどられて
いる。
まるで、えぞいたちのマフラーを首に巻いてるようないでたち。
そうとうの美犬。
「こんなに立派にみえる毛皮だって、水をかければぺちゃんこになっちゃうでしょ。この妙な着ぐるみの中で、本当の私は痩せ細っちゃってるのよ。」
「私の飼い主は、アメリカ人だったわ。キャバレーのショウガールをやっていたの。」
アメリカに旅立った主人を追う手がかりもなく、この廃墟の中で、彼との思い出を反芻しつつ生きていかなければならないのか?
僕はすっかりまいってしまった。
“犬らしく” 耳を後ろにぺちゃんと倒し、おなかを冷たい地面にぺったりとつけて、前足に頭をのせて、悲しげにキュウキュウと鳴いてみた。
僕には もはや回想しか残されていない。
そもそも、僕はどこに生まれたんだ。
単にユダヤ人である主人を持っていただけじゃないか。
「みんな、私の美しい毛皮を見ては、殺すのを躊躇したわ。」
それなら、君は、こんな廃墟の中に逃げ込む必要もなく、どこぞの飼い主にでも飼ってもらって、生き抜けたかもしれないじゃないか。
「誰の子供も生みたくない。それに私は一応主人を愛していたからね。どこにも帰化するつもりはない。」
なんてことはない。僕たちは主人に捨てられた哀れな野良犬じゃないか。
結局僕は、主人を愛している限り、ユダヤ人の飼い犬としての原罪を背負いつつ、観客ナシの中で、一人格闘を続けることになるだろう。
僕はくやしさのあまり、アメリカ大陸に渡った自分の主人の後を追ってやろうかと思った。
だけど犬ってやつは、自分の知ってる道を通り、知ってる場所に行き着くことは簡単にできるが、新しい道をさぐり、新しい場所に行き着くことは、全く苦手ときてやがる。
僕はアメリカがどういう場所かなんか知らない。想像もつかない。
でも、僕は、あらゆる想像をつくして、その場所の実体を思い描こうと努力した。
追っ手がくるまで、この閉ざされた空間のなかでできることといったらそれくらいのもんだ。
主人と最後にかわした対話について考えた。
「◯◯わかるだろ、僕は行かなくてはならない。僕は原罪をふり捨て生きるんだ。この場所には『原罪としての僕の存在』の屍体しか残らない。そしてそれが君なんだ。やっとやっと僕は君を捨てることができるんだ。殺さないよ。この戦乱の中じゃ生きてるも死んでるもそうかわらないからな。君も自由〈フリー〉さ。鉄柵をこえてどこへでも行けばいい。」
僕は月を見上げた。
月は2つに分裂し、僕の周りをぐるぐる周りだした。
突然目の前に アルコール中毒犬が現れ、フォックス・トロットを踊りだした。
「明日は我がもの」は、カストラートの少年によって歌われ、それはやがて大音響のオーケストラにとってかわられた。
主人が現れた。微笑をたたえ、僕に向かって歩いてくるが、一歩歩くたび主人の足から砂がふき出し、僕が声を出そうとすると、破裂するように主人の体は消えた。
“アデュー” すべての映像は消え、2つの月は天空に上がった。
僕はその時 自分の姿を見た。
僕は腐っていた。カラスにとり落とされたざくろの実のように腐って、横たわる屍体だった。
僕は あのブロイラーの廃墟の中で 死んでいたのだ。
もしかしたら、僕は ものすごく血が見たかったのかもしれない。
屍体としての弟一日目が始まった。
経営不振でほうりだされたブロイラーの廃墟の中で暮らす野良犬。
その犬の告白文としての物語。
第二次世界大戦を目前にしたベルリンでの話。
なぜ僕がここに居るか。
ユダヤ人資産家の飼い犬だった、〈僕〉はナチスによるユダヤ人狩りの厳しくなる中、アメリカに亡命した資産家の青年に捨てられ、野良犬となった。
犬同士は、遠吠えにより、コンタクトを取り合っており、当然、ナチズムとしての犬、資産家としての犬など、いろいろな思想を持つ犬がいる。
野良犬となった〈僕〉は、ナチスの犬に追われるが、恐慌の中、いらだった人間たちに、ユダヤ犬、ナチ犬かかわらず、“犬のように”殺されていく。
ー本編ー
僕は、その犬を知っていた。ナチ犬たちの「明日は我がもの」の大合唱の中、小さくだが、僕の耳に届いた遠吠えがあった。(団体に属さない、個人としての遠吠えと言うのもある。)
いかにも潔癖そうな、キンと張りつめた声で、歌っていた。
「私は誰の子供も生みたくないの。異犬でも同犬でも同じく。かならず悪魔が生まれるから。私は私として死んでゆきたい。」
口火をきったのがこの犬だった。最初はかすかで、澄んだ歌声だった。
最後には大合唱になっていた。
《メス犬の昔話》
「私はアルコール中毒犬で、詩犬だったわ。それ以外の存在ではなかったし、なりたくもなかった。」
僕たちは何も生み出さないだろう、生み出す可能性があるにもかかわらず、自分たちの意志で。
アルコール中毒犬がかすかな声で「明日は我がもの」を歌っていた。
「最初は、その歌も、君のような純粋で、潔癖な個人が歌い始めたんだろうね。」
《CAST》
ユダヤ犬・・・男色犬。夢想を描く、哲学犬。
アルコール中毒犬・・・メス犬。詩犬。目の周りが真黒にふちどられて
いる。
まるで、えぞいたちのマフラーを首に巻いてるようないでたち。
そうとうの美犬。
「こんなに立派にみえる毛皮だって、水をかければぺちゃんこになっちゃうでしょ。この妙な着ぐるみの中で、本当の私は痩せ細っちゃってるのよ。」
「私の飼い主は、アメリカ人だったわ。キャバレーのショウガールをやっていたの。」
アメリカに旅立った主人を追う手がかりもなく、この廃墟の中で、彼との思い出を反芻しつつ生きていかなければならないのか?
僕はすっかりまいってしまった。
“犬らしく” 耳を後ろにぺちゃんと倒し、おなかを冷たい地面にぺったりとつけて、前足に頭をのせて、悲しげにキュウキュウと鳴いてみた。
僕には もはや回想しか残されていない。
そもそも、僕はどこに生まれたんだ。
単にユダヤ人である主人を持っていただけじゃないか。
「みんな、私の美しい毛皮を見ては、殺すのを躊躇したわ。」
それなら、君は、こんな廃墟の中に逃げ込む必要もなく、どこぞの飼い主にでも飼ってもらって、生き抜けたかもしれないじゃないか。
「誰の子供も生みたくない。それに私は一応主人を愛していたからね。どこにも帰化するつもりはない。」
なんてことはない。僕たちは主人に捨てられた哀れな野良犬じゃないか。
結局僕は、主人を愛している限り、ユダヤ人の飼い犬としての原罪を背負いつつ、観客ナシの中で、一人格闘を続けることになるだろう。
僕はくやしさのあまり、アメリカ大陸に渡った自分の主人の後を追ってやろうかと思った。
だけど犬ってやつは、自分の知ってる道を通り、知ってる場所に行き着くことは簡単にできるが、新しい道をさぐり、新しい場所に行き着くことは、全く苦手ときてやがる。
僕はアメリカがどういう場所かなんか知らない。想像もつかない。
でも、僕は、あらゆる想像をつくして、その場所の実体を思い描こうと努力した。
追っ手がくるまで、この閉ざされた空間のなかでできることといったらそれくらいのもんだ。
主人と最後にかわした対話について考えた。
「◯◯わかるだろ、僕は行かなくてはならない。僕は原罪をふり捨て生きるんだ。この場所には『原罪としての僕の存在』の屍体しか残らない。そしてそれが君なんだ。やっとやっと僕は君を捨てることができるんだ。殺さないよ。この戦乱の中じゃ生きてるも死んでるもそうかわらないからな。君も自由〈フリー〉さ。鉄柵をこえてどこへでも行けばいい。」
僕は月を見上げた。
月は2つに分裂し、僕の周りをぐるぐる周りだした。
突然目の前に アルコール中毒犬が現れ、フォックス・トロットを踊りだした。
「明日は我がもの」は、カストラートの少年によって歌われ、それはやがて大音響のオーケストラにとってかわられた。
主人が現れた。微笑をたたえ、僕に向かって歩いてくるが、一歩歩くたび主人の足から砂がふき出し、僕が声を出そうとすると、破裂するように主人の体は消えた。
“アデュー” すべての映像は消え、2つの月は天空に上がった。
僕はその時 自分の姿を見た。
僕は腐っていた。カラスにとり落とされたざくろの実のように腐って、横たわる屍体だった。
僕は あのブロイラーの廃墟の中で 死んでいたのだ。
もしかしたら、僕は ものすごく血が見たかったのかもしれない。
屍体としての弟一日目が始まった。
LULUさんの文章は、言葉の示している状況が想像しやすいです。絵がどんどん頭の中に浮かびます。たぶん、言葉のリズム感があるんだと思います。
今でもきっと、ちゃんと詩人なひとだと思うな。
もしかしてドン引きになってしまったのかと思って、落ちこみ気味でした・・・。
言葉にリズム感があるなんて・・・(泣)素敵な褒め言葉本当にありがとうございます
この散文的小説は、23歳の時に書いたものなんです・・・。
家にこもって、真空状態で、家族ともひとことも口をきかず、つらい状況で書きました・・・。
どんなに頑張ってもこれくらいしか書けず、小説はあきらめました・・・。
自分がやりたいことを続けていると、だんだん社会生活が送れなくなり、生きにくくなることに気付き、しかも、自分のプライドが自分を許せないほど、情けない状態だったので、そのルサンチマンで、頭がおかしくなりそうでした・・・。(実際なりました・汗)
こんなこと話してしまいごめんなさい・・・。それこそドン引きですよね・・・
ニンテンドッグス、ルルたち、ちゃんと元気です!
一度だけ、なじられたことがありましたが・・・(泣)
たぶんYoracha!さん、もしこのページを見て下さってるとしたら、ご心配なさってると思って・・・
どうぶつの森のことばかり書いてるので・・・。
エンリケちゃんは、お元気ですか?
うちの、ルルか、アンジュをエンリケちゃんのお嫁さんにしてくださいな
いつも読んで下さってありがとうございます!m(__)m
また、コメント、(お気軽に)よろしくお願いしますね!
Yoracha!さんって、とても勘のいい方だと思います・・・!
T・S・エリオットいろんな文献を読んで、とても好きになりました!
私は、T・S・エリオットが活躍していた時代、1920~30年頃の文化(この頃の文化は、60年代の文化に影響を与えたようです。)や、ミュージカルに多大な影響を受けました。
Yoracha!さんはそこらへんを感じとってくださったんだと思います・・・
詩や、いろいろな表現は、自分以外の誰かに受け取ってもらうことで、初めて意味を持つことができるのだと思います。
それまでは、詩や表現は、未完成のままなのだと思います・・・。
私の書いたものを、読んでくださって、受け止めてくださって、ほんとうにありがとうございます・・・m(__)m
ルルさん、ジュディ・ガーランドがお好きなのですか?
そういえば、私は80年代に結構ミュージカルを見たような。あと、音楽はヴォーカル系が好きだったので、またその曲は多く元歌がミュージカル曲で、そういう意味で私も多くミュージカルの影響を受けてます。
ちょっとした自慢は、ニューヨークでツィッギーが出てた「ボーイフレンド」の舞台を見たことです!
昔好きだったものをあまり振り返らないので、今はミュージカルに触れてないのですが、かつての下敷きがあったからこそ、ルルさんの世界が理解しやすかったのかな。いや、それだけじゃなくて、ルルさんは言葉できれいなメロディを作ってたからだと思います。
また作品、読ませてくださいね!
そんな素敵なことしてくださってたんですか・・・
婚約指輪、給料の三ヶ月分ですよね・・・。
金ののべ棒の次に高いんですよね・・・。
パグのドンゴロスやシェパードのクマゴローが受け取っちゃったら、どうすんですか~~
私、土日以外はあまり吉祥寺方面、行かないんです・・・。
ヒキコモラーなので・・・
今度から土日は、必ずアンジュ(やっぱりそっくりカップルの方がいいかなと思って・・・)を連れて行きます!
今週はもしかして、行けないかもしれないけど、来週は必ず・・・!
私、ジュディ・ガーランド、死ぬほど好きです!
ほんとに、ほんとに、言い尽くせないほど・・・。
好きすぎて、彼女に似せてリアルな球体関節人形を作ってしまいました・・・。
え~~~~~っっっっっ!!!!!!!!
ニューヨークで「ボーイフレンド」観られたんですか????!!!!
すごいっ!すごいっ!うらやましいです~~~~!!!!!
私、ツイギー主演のケン・ラッセル監督による映画「ボーイフレンド」が大好きで、
あと、舞台の方の「ボーイフレンド」のサントラ、ジュリー・アンドリュース主演のブロードウェイキャスト版と、ロンドンキャスト版、持ってます!!!
なんか、すごく、すごく、ビックリです!!!
犬のご縁だけじゃないような気がしてきました(笑)
ワンちゃんのお名前の付け方から、なんか、他の人とは違う・・・。タダモノではない、と思ってたんですよ(笑)
作品、ギリギリのところから、ああいった形で生まれてきたので、
今のようなノンキな状態では、生まれてこないみたいです・・・
やっぱり、力量がないんだと思います・・・。
でも、いつか、もっと、人が幸せな気持ちになるような、文章が、書けたらいいな、と思います・・・
Yracha!さん、いろいろ、ほんとうに、ありがとうございます
ケン・ラッセルの「ボーイフレンド」、私も大好きです! おとぎ話のようなボーイミーツガール・ストーリーって、やっぱり楽しいですよね。
ジュリー・アンドリュース主演の舞台版持ってるなんてすごい!
私は自分の見たツイッギー&トミー・テューンのLPは持ってるんだけど、レコードプレーヤーこわれてるから、今は聞けないんですけどね。
お正月にNHKでミュージカルの歴史みたいな番組を連続でやってたの、見ましたか? 私は、たまたまTVつけて気づき、結局2回ぶんぐらいしか見なかったんだけど、激しく貴重映像満載でした。再放送やってくれないかな。最初からちゃんと見たかったでした。
書くことに関して、次のような絵が浮かびました。
ある日ルルさんは、空の上に輝くような創造の王国があるのを見つけます。その素晴らしい王国が、かつて自分の住んでいた国だったことを思い出し、それを忘れまいと、書き始めます。しかし、思い出そうとしても記憶は薄れていて、苦しみつつ、言葉のかけらを紙の上に集めていきます。そして、ああもう思い出せない、と、ペンを置いてしまうのです。
でも、実は、創造の王国は、地上でそっくりに再現されるためにあるんじゃないんです。新しい創造を見たいがために、ルルさんは地上にやってきたのでした。
ポケットに手を入れて、地に埋めるのを忘れていた創造の種子を蒔いてください。かつての国にあったのとはきっと違う、新しい形の何かが育っていくと思います。
今がほわほわに幸せなら、それが創造のために必要な栄養なんだと思います。力量、なんて評価的なことは気にせずに、オリジナルな創造を育ててくださいな。
すごく勝手なこと長々書いてごめんなさい。
あんまり自分をいじめずに、新しいものも書いてね、っておせっかいなYoracha!でした。
私は、人混みの中に居ると、目が回ってしまいます
Yoracha!さんが、引きこもりなんて・・・。
ほんとですか?ほんとですか?(笑)
じゃあ、お仲間デスネ~!
うれしい~~(←意味不明)
それとも、深刻なんですか・・・?
そうだとしたら、不謹慎なこと言ってしまい、ごめんなさい・・・
わぁ!なつかしい・・・!
トミー・テューンって、すごく手足が長いですよね!最初見た時、あの手足は、ニセモノか?と疑ってしまいました・・・
映画版での、ツイッギーの相手役、クリストファー・ゲーブル、何年か前に、亡くなったと新聞記事に載って、すごくしんみりしました・・・。
お正月のミュージカル番組、気付きませんでした~・・・。
Yoracha!さんも小説書けそうですね・・・
童話作家みたいです・・・
とても素敵デス・・・
詩的で、懐かしい感じのする、おとぎばなしですね・・・
ほわほわの幸せの中で書けるもの・・・。
私にはあるかな・・・?
Yoracha!さんの思いやり、心に響きました・・・
一生懸命書いて下さったので、
こちらも一生懸命お答えしようと思い、お返事おそくなってしまいゴメンナサイ・・・m(__)m
しかも、うまく答えられなくて・・・。
創造・・・。
もし子供が出来たら、Yoracha!さんの書かれたようなおとぎばなしを、枕元で聞かせてあげたいです
ごめんなさい・・・m(__)m
明日あたり、少し吉祥寺を散歩しようと思います・・・。
怒ってらっしゃらなかったら、もし、お時間あったら、すれ違えるのを楽しみにしています・・・。
うちは、朝がとても遅く(昼頃起きます・・・汗)家事やってから出るとなると、夕方あたりになってしまいますが、お待ちしてます・・・。もし、明日お会いできなかったら、またあさって散歩します・・・
「ボーイフレンド」にも確か、トミー・テューンって出てましたよね。そんなこともあり、なんか、混乱しちゃったみたいです。ミュージカルを見たのは20代までで、その後すっかりミュージカルのことは忘れてたし、まあ、忘却がお友達の世代なんです、私
「マイ・ワン・アンド・オンリー」は音楽がそのタイトルでもわかるように、ガーシュインの名曲をたっぷり使ったミュージカルです。昔のミュージカル気分たっぷり、つまり「ボーイフレンド」的な、ボーイミーツガールストーリーでした。
ツイッギー、フラッパーな衣装がとてもよく似合い、そりゃ可愛かったです。歌も踊りもとってもがんばってました。上手でしたよ。ツイッギーが出てなきゃ成立しないような作品で、私がその舞台を見た(85年か)翌年(86年?)、日本にこの作品の引っ越し公演がやってきて、トミーは来たんだけど、ツイッギーは来なくて他の人がその役をやってましたが、オーラがなくて、まったくつまんなかったです。歌も踊りも達者な人でしたが、そういうことじゃないんですよね。
ツイッギーとトミーが、傘を差して、本物の水の上で踊るシーンなんかあったなー、なんて、忘却の彼方から、記憶のかけらを拾ってみました。それじゃまた