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3月18日・マラルメの価値観

2024-03-18 | 文学
3月18日は、詩人、田村隆一が生まれた日(1923年)だが、フランスの詩人、ステファヌ・マラルメの誕生日でもある。

ステファヌ・マラルメは、1842年、パリで生まれた。本名は、エティエンヌ・マラルメ。父親は公務員だった。
5歳で母親を亡くしたエティエンヌは、母方の祖父母のもとで反抗的な子どもとして育った。彼はパリの寄宿学校に入っては追いだされることを繰り返した後、14歳のとき、パリの南東の街サンスのリセ(高校)の寄宿生になった。当時、彼の父親はサンスで登記管理官をしていた。
十代なかばのころ、エティエンヌは詩に目覚め、ヴィクトル・ユーゴー、シャルル・ボードレール、エドガー・アラン・ポーといった詩人たちの詩に傾倒し、詩集を買い求め、入手できない詩集はノートに書き写した。
17歳のとき、バカロレア(大学入学資格試験)に一度落第した後、二度目で合格したが、父親が病に倒れた家庭の経済状況もあって、大学へ進学はせず、彼は18歳のとき、サンスの収税登記場の見習いになった。
詩を書き、乏しいこづかいをはたいて放蕩にふける青年だったマラルメは、19歳のころから、地方紙や文芸誌に書評や劇評を投稿しだした。
英語教師を目指して勉強したマラルメは、22歳のとき、トゥルノンのリセの英語教師に就いた。そうして、29歳ごろからはパリの中学の英語教師になった。
中学校教師として働きながら、彼は、ポーなどの詩を翻訳して紹介し、やがて自分の詩を発表するようになり、詩人としてもしだいに名が知られるようになった。自宅で火曜日ごとに友人を集めて知的な会話を交わす「火曜会」を催し、アンドレ・ジイド、ポール・ヴァレリー、マルセル・プルーストなど一流の文人が集った。
34歳のとき、画家のマネの挿絵付きという豪華本で詩『半獣神の午後』を発表。音楽家のドビュッシーはこの本に刺激を受けて「牧神の午後への前奏曲」を作曲した。
活字が大きさを変えてページに散らばった視覚的な詩『骰子一擲』のほか、難解な象徴詩を発表した後、1898年9月、咽喉痙攣のため窒息して没した。56歳だった。

マラルメの『骰子一擲(とうしいってき)』の斬新さは、一目瞭然である。

「小説の神様」横光利一が書いている。
「マラルメは、たとえ全人類が滅んでもこの詩ただ一行残れば、人類は生きた甲斐がある、とそうひそかに思っていたそうですよ。それが象徴主義の立ち姿なんですからね。」(『夜の靴』講談社文芸文庫)
達意よりも難解なほのめかし、ことばの意味よりも音の響き、というマラルメの詩は、フランス語ができないのでわからないのだけれど、人類が滅亡しても一行の詩が残ればいい、とする彼の考えには共感する。
これは現代日本人一般の価値観とは、かなり遠くへだたった価値観だろう。おそらく人類は、恐竜たちほど長く栄えることなく、遠からず自滅するだろう。そのとき、一行の美しい詩が残れば、人類にも生きた価値があったといえる。
(2024年3月18日)



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