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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月11日・コッホの年の差婚

2013-12-11 | 科学
 12月11日は、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホの誕生日(1843年)。日本の北里柴三郎がドイツ留学したときにお世話になった近代細菌学のパイオニアである。
 コッホの父親は鉱業を監督する役人で、ロベルトは13人いた子どものうちの3番目の子だという。
 学校をでて、軍医か、船医になって外国を旅したいと考えていたコッホは、お金がなかったのでその道はあきらめ、ハンブルク総合病院のインターンの職についた。そこでコレラなどの伝染病患者を扱うようになり、そこから細菌学への道を歩きはじめたのだった。
 コッホは、炭疽菌、結核菌、コレラ菌を発見した。
 ツベルクリン反応のツベルクリンを作った。
 細菌の細菌培養法の基礎を確立した細菌研究の巨人で、彼が人類に果たした貢献は計り知れない。
 結核に関する研究により、62歳の年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
 その3年後、コッホは65歳になる年に北里柴三郎の招きで、日本にきている。
 そうして、来日した2年後、67歳になる前に亡くなっている。
 と、ざっと経歴を並べると、こんな具合で、もしも彼が若いころに、思う通りの道に進めて、軍医か船医になっていたら、たぶん彼は「コッホ」にはなれなかっただろう。

 コッホはまた、私生活がおもしろい。
 コッホは、23歳の年に、鉱山の町クラウススタールの総監督の娘であるエミーと結婚し、女の子をひとりもうけている。
 それからずっとエミーと夫婦生活をつづけていたのだが、エミーはえらい父親をもつ娘であるせいか、傲慢なところがあって、夫のコッホはそれにずっとがまんしつづけていたらしい。
 そうして、コッホが45歳のときのこと、すっかり頭がはげ、あごひげをたくわえ、メガネをかけたおじさんとなった彼は、町を歩いていて、ふと画廊の店先に飾ってあった肖像画を見て、そこに描かれている娘にひとめ惚れしてしまった。
 絵のモデルは、当時17歳だった、ベルリンの労働者を父親にもつヘドヴィグという娘だった。
 コッホはつてをたどって、なんとかその美しい娘と会い、いよいよ夢中になった。
 その5年後、50歳の年にコッホは、エミーと離婚し、ヘドヴィグと再婚した。
 ざっと28歳差の年の差婚である。

 27年も連れ添ってきて、もう死ぬまでいっしょかと思いきや、離婚。
 それが、通りで見かけた、たった一枚の絵がきっかけだというのだから、おもしろい。
 まあ、奥さんに対するがまんも限界にきていた、といういい方もできるけれど。
 再婚した若い奥さんとは、17年いっしょに暮らしたわけである。
 コッホの主要な業績は、前の奥さんといっしょにいたときのもので、ノーベル賞など後年の栄光は、若い奥さんといっしょに受けたことになる。
 人生というのは不思議なものだなあ、と思う。
(2013年12月11日)


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