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4月10日・淀川長治の放縦

2024-04-10 | 映画

4月10日は、新聞王、ピュリツァーが生まれた日(1847年)だが、映画評論家、淀川長治の誕生日でもある。

淀川長治は、1909年、兵庫県の神戸で生まれた。芸者置屋の跡取り息子だった。6人きょうだいで、姉が二人、弟が三人いた。
親が映画館の株主で、よく映画を見る家庭だった。長治も子どものときから、映画大好き少年だった。淀川はかつてテレビでこう言っていた。
「家族そろって映画好きで、よく映画を見に行っていたんですね。まあ、なんていやらしい家族なんでしょうねえ」
彼は東京の大学に入り、美学を専攻したが、中退。18歳で雑誌「映画世界」の編集部に勤めだした。
24歳のとき、UA(ユナイテッド・アーティスツ)の大阪支社に入社。洋画の宣伝を担当し、26歳のときには、来日した喜劇王チャールズ・チャップリンと対談した。
いくつかの映画会社宣伝部や、映画雑誌の編集をへて、57歳のとき、テレビの映画番組「土曜洋画劇場」の解説者となり、同番組は「日曜洋画劇場」となった。淀川は32年間、この番組の解説を務めた。独特の名調子の語り口で知られ、彼が紹介すると駄作も名作ななると言われた。番組の終わりにはいつも、
「さよなら、さよなら、さよなら」
と三回繰り返した。
1998年11月、同番組の最後の収録の翌日、腹部大動脈瘤破裂ならびに心不全により没した。89歳だった。

ほかのテレビ映画番組は、たいてい「○○曜ロードショー」「○○映画劇場」などと銘打ってあって、西洋の映画も日本の映画も放送できるようにしてある。ところが、淀川の「日曜洋画劇場」は「洋画」と題してあるから、日本映画を放映するわけにはいかない。これは、淀川のポリシーでもあったのだろうが、それでも「日曜洋画」は「特別企画」とことわって、2回だけ邦画を放送したことがあった。その2本は、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」と、黒澤明監督の「夢」だった。説得力のあるチョイスである。

淀川が日本国民にいちばんよく訴えつづけたのは「とにかくほめなさい」ということである。ほめるといっても、ウソをついてはいけないので、まず、いいところを見つけなくてはいけない。人の足を引っ張りたがる者の多い日本人のなか、淀川は、人の美点を見つける天才だった。

どこかで聞いたが、淀川のストレス解消法は、夜なか、素っ裸になって、庭をとびまわることだったそうだ。それを聞いて、ああ、なるほどと、彼のあの常人離れした明朗さが、すこし納得できた。
(2024年4月10日)



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