ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

派閥

2017-03-30 18:31:00 | 徒然の記

 内田健三氏著「派閥」(昭和58年刊 講談社現代新書)を、読みました。氏は大正11年、熊本県に生まれ、東大卒業後に共同通信社へ入社し、政治部記者として活躍しています。

 退社後は、法政大学の法学部教授となり、岩波書店や有斐閣から、戦後政治に関する著書をたくさん出版しています。先日読んだ「小説吉田学校」の著者戸田氏と同年輩で、政治部の記者だった経歴が似ています。

 表題の通り、敗戦後を中心とする派閥の状況が、詳しく書かれています。戸田氏の著作との違いをあえて述べますと、内田氏の方が冷静な叙述をしているところでしょうか。「小説吉田学校」は、時々退屈させられましたが、今回は最後まで読みました。戸田氏にしても、内田氏にしても、自分では保守を自認していますが、私には疑問でなりません。

 両氏とも、政治家の言動を詳しく語りますが、日本という国の置かれた状況や、敗戦についての思いなどは述べていません。両氏は優秀なジャーナリストだとしましても、私には、無国籍の政治記者としてしか、写りませんでした。貴重な事実を教えられましても、魂の抜け落ちた知識の洪水だったと、そんな印象です。お金になる特ダネを求め、読者が飛びつきそうな情報を手に入れる、それだけが目的でしかない政治記者たちの特性が、今でもマスコミを支配しています。両氏は記者の特性を継承し、発展させた大先輩となるのでしょうか。 (私には、苦々しいばかりですが。)

 政治記者の性格をよく表している文章がありますので、参考のため、転記します。

「昭和31年の、岸、石橋、石井、の総裁争いで、」「報道各社の派閥担当記者が、それぞれの派閥と、その領袖に深入りする傾向は強まっていた。」「それが35年になると、五派から五人の総裁候補が乱立する激戦となり、」「記者相互間の対立意識、偵察合戦もエスカレートするに至った。」

「このころようやく到来したテレビ時代が、これに拍車をかけた。」「ある局の番組で、派閥担当の記者たちが座談会をやったが、」「各派を代弁する主張や、宣伝合戦がエキサイトしてくると、」「わが派閥が一番つよい、」「いや君の派閥のやり方は汚いと、」「口角泡を飛ばす泥仕合となった。」「政治記者の派閥癒着として話題を呼び、批判を浴びた現象であった。」

「もっとも派閥抗争は、あらゆる手段・方法を駆使して、」「総理総裁の座を奪い合う権力闘争である。」「領袖が政治記者を手なづけ、他派の情報をキャッチするアンテナとして、」「または自派をPRするスピーカーとして、最大限に利用するのは当然だろう。」

 小選挙区制が導入されて以来、自民党内の派閥は消滅しましたが、政治記者たちは消えていません。彼らは各政党の実力者たちに張り付き、彼らと癒着して活動しています。ここで私が理解しましたのは、こんな記者たちの書く記事を、今も私たちは読まされているという現実です。「不偏不党の客観報道」「報道は社会の公器」「真実を届ける報道」などと、インチキ臭いマスコミが威張っていますが、本音は内田氏の言う通りなのでしょう。私たち国民は、やはり賢くならなくてはいけません。

 さりとて報道を全否定すれば、何の情報も得られなくなりますから、「おれおれ詐欺」と同じです。自分が騙されないように用心し、沢山の情報を判断をすれば良いのです。自民党内に昔のような派閥はありませんが、主義主張の似た者のグループは存在しています。ですから、派閥について氏が語る、次の言葉はとても貴重な叙述です。

「派閥には、個人の一生とよく似た、誕生から成長期、」「成熟期を経て、老化・死滅に至るリズムとサイクルがある。」「派閥はその領袖が、政権を目前にした時期に、」「もっとも活気と行動力に満ちており、政権獲得とともに、最高最大の勢力を維持するが、」「同時にそれは、熟成・充足の極点で静止し、」「安逸に陥る危険に直面する。」

「そして政権派閥の座を降りた瞬間から、」「衰退どころか、分裂、解体、消滅の危機を迎えることになる。」「派閥領袖に政権獲得の可能性がなくなり、」「後継実力者の育成や登場が困難とみられるにいたるや、」「派閥は音を立てて崩れることになるのである。」

 敗戦後、派閥は吉田茂氏と鳩山一郎氏から出発し、闇将軍といわれた田中角栄氏を支え、数々のスキャンダルの種を提供してきました。少年時代から、朝日新聞の記事や写真で覚えている政治家たちですから、興味をもって読みました。しかし何度でも強調しておきたいのですが、内田氏も戸田氏も、政治記者という割には、日本の政治家を低次元で見ているのではないかという、違和感が捨てられないことです。

 敗戦後の日本をここまでにした政治家たちは、果たして氏が言うように、権力の座を獲得するため、金と欲に絡み、激しい政争だけをやってきたのか。そのもうひとつ向こうに、政治家たちの祖国への愛や、国民への熱い思いが、皆無だったのか。金銭と権力の亡者としてだけ政治家を語るのは、語っている者の人格の矮小さでないのかと、そう思えてなりません。

 たかだか敗戦後、70余年ではありませんか。完膚なきまで壊滅させられた日本です。幸いにも戦後の貧困だけは克服し、つい先日まで、世界第二の経済大国と言われるほどの立ち直りでした。自民党の派閥の領袖たち、つまり歴代の総理・総裁は、「衣食住足って礼節を知る。」を優先し、国民生活の安定ため、力を尽くしてきました。「日本人の魂」の問題まで手を伸ばすには、戦後の70年では足りなかったのだと、私は、やっとそう思えてまいりました。

 これからが、第二ステージです。「日本人の魂を取り戻す」、別の言葉で言いますと、「日本の独立を取り戻す」ということです。

   1. 自分の国を自分で守る。

 2. 他国の軍隊の基地を国内からなくす。

 3. 自分の手で憲法を作る。

 これが、独立国としての条件です。ここに思いを致さない政治記者を、私は保守とは認めません。優秀でありましても、有能でありましても、敏腕記者と賞賛されましても、「日本の独立」を語らないのでは、目の抜けたダルマさんでしかありません。

 派閥の闘争から抜け出したのですから、自民党の保守議員は、第二ステージに向かって、国民の先頭に立ってもらいたいものです。決して安逸を貪ってはなりません。日本の行く手を阻んでいるのは、中国・韓国・北朝鮮ばかりでなく、ロシアも、アメリカも、欧州諸国も同じです。

 国内では、こうした敵対国と意を通じた反日の野党が、自民党政権の弱体化を狙っています。肝心要の皇室の中にすら、第二ステージへ向かう国民の願いを足蹴にするお方たちがおられます。つい先日まで、安倍氏は自民党内で少数派でしたし、家庭内野党である夫人は、連日の報道にあるごとく、その役目を立派に果たされています。国内外ともに多難な折なので、気に入らないことが多々ありましても、今しばらく、安倍政権を見守りたいものです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真の野党なら | トップ | 昭恵夫人 活動自粛か »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然の記」カテゴリの最新記事