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有事法制批判 - 2 ( ご先祖の犠牲を足蹴にする学者たち )

2017-11-27 17:27:30 | 徒然の記

 『有事法制批判』の書評に入る前に、反日左翼教授の仲間の貴重な意見を紹介しておきます。

  平成5年に、『憲法改正論争 あなたはどうする』の著者澤田洋太郎氏は、帝国議会で共産党の野坂氏の質問に答えた、ワンマン宰相吉田氏の言葉に言及しています。あの頃は共産党が自衛権の必要性を主張し、自由党(自民党)が絶対非武装を語っていました。氏がそれを揶揄し、次のように述べています。

 「武装集団である国家で満ちている国際社会で、自衛権を否定することが無理なことは、誰にでも分かるはずです。」「ところが当時の日本では、自衛権を主張する共産党は時代の趨勢に反していると言われ、」「絶対非武装を言う自由党の方が正しいという風潮があり、だからこそ、こんな吉田答弁が行われました。」

 現在では憲法九条を盾に、集団的自衛権も、個別自衛権も認めないと頑固に主張して、日本を攻めてくる敵などないと断言する反日左翼の学者たちです。本音は違うという証明をしているのが、澤田氏の著作です。

 信じられない、次の氏の叙述でした。

 「国際社会が武装集団で満ちている」という認識こそが、常識というものです。」「次に重要なのは、自衛権を否定するのが無理なことは誰にでも分かる、という認識でこれも常識です。」

 私たちが知らなくてならないのは、反日左翼の学者たちが、今ではこの常識を口に出さず、「日本さえ軍隊を持たなければ、世界の平和が守られる。」と逆の話をし、国民を間違った方向へ誘導している事実です。

 澤田氏がこの叙述をしたのは、「出来もしないことを言ったのは、吉田首相だったではないか。」と、自民党を皮肉るためでした。現在の反日左翼教授たちが、その「出来もしない武力放棄」を叫び、政府を攻撃しているのですから驚いた話です。

  第二次世界大戦に関し、教授たちがどのような認識を持っているのか順番に紹介します。

  1. 高橋哲哉  ( 昭和31年生れ 61才) 東大助教授

 国権の発動たる戦争に国民を総動員し、その結果アジア諸国に2000万人、自国民にも310万人という膨大な死者を出し破局に至った経験から、二度と国民を戦争へ動員しないという誓いが、戦争放棄の理念です。

  2. 渡辺 治  ( 昭和22年生れ 70才) 一橋大教授

 総評を中心として行われてきた平和運動は、過去の侵略戦争を食い止められなかったことに対する反省と、日本を再びあの悲惨な戦争に導いた、軍国主義の昔に戻してはならないという強い思いからでした。

  3. 古川 純  ( 昭和17年生れ 75才) 専修大教授

 もっとも保護すべき肝心の国民を置き去りにして、軍隊が移動し、最後にはその国民を盾にし、軍人が先に逃げ出した戦争末期の中国大陸の皇軍の「履歴」は、そう簡単に忘れられるものではありません。昭和20年に行われた、沖縄の地上戦における住民の犠牲にも明白に現れています。

 軍隊というものは、結局国民をも保護しないばかりでなく、自己の安全を最大価値として、国民を平然と自らの手で犠牲にする組織でもあると、言うべきではないでしょうか。

   4. 水島朝穂  ( 昭和28年生れ 63才) 早大教授

 日本では、民間防衛は成功した試しがありません。あまりに中央集権的色彩が強いのと、軍の横暴が目だったからだと思います。戦前の民間防衛の軸は防空でしたが、これは国民の生命を守るどころか、退去の禁止や精神主義的防空指導などにより、むしろ犠牲を増大させたと言えるでしょう。

  5. 小林直樹  ( 大正10年生れ 96才) 東大名誉大教授

 旧帝国軍隊は、国民を守らない証拠をたくさん残しています。たとえばサイパンや沖縄で、軍は民を守らないどころか、戦闘に邪魔な一般人を米軍の砲火にさらしたり、自殺を求めたりしました。満州の関東軍はソ連の攻撃を食い止めるどころか、その中枢部は、数十万人の日本人を置き去りにし、本土へ逃げ帰るという醜態ぶりでした。要するに軍隊は戦闘のための集団だから、国民を守る意思も能力もない。

   6. 杉原泰雄  ( 昭和5年生れ 87才) 一橋大名誉教授
 
 軍隊は、国内最大の実力です。軍隊をしっかりと統率することができなければ、人権や民主主義の保障だけでなく、経済、財政、文化などの安定も、容易に失われてしまいます。それが動員されれば、それを阻止できる実力は国内には存在しません。明治憲法下の経験を、思い出してください。

   7. 間宮陽介  ( 昭和23年生れ 69才) 京大教授

 戦後の日本は平和主義を掲げ、教育の場でも、徹底した平和教育が実践されてきたのに、戦後育ちの若い政治家ときたら、戦争へ加担することをなんとも思っていない。むしろそれが、政治的リアリズムと思い込んでいる。奇妙なことに、彼らを抑止する役割を演じてきたのは、軍国主義教育を受けた、戦前、戦中世代の政治家たちである。このような光景を生み出した、戦後の平和教育とはいったい何だったのだろう。

   8. 暉峻淑子  ( 昭和3年生れ 89才) 埼玉大名誉教授

 国家によって引き起こされたアジア太平洋戦争で、肉親を失った人たちの中に、国を愛することができない人がいても当然ですし、戦争責任の贖罪を曖昧にし続ける日本に、批判的な人たちがいても当然です。戦時中に日本に強制連行されて来た、かっての植民地の人々の二世、三世も、日本社会で共に生活しています。いま愛国心や、たくましい日本人の育成を教育の目的とする真意は、どこにあるのでしょうか。

   9. 加藤周一  ( 大正8年生れ 98才) 作家・評論家

 戦前には、「祭政一致」を唱えた首相がありました。当時の日本の政治の中心は軍事でしたから、実質的には「祭戦一致」というのに近く、「祭」と「戦」とを媒介していたのは国家神道の体系で、その中心が靖国神社でした。今なお日本の首相は靖国神社に参拝し、かって日本軍から大きな損害を受けた隣国との間に、外交問題を作り出しています。武力攻撃による被害を排除するだけでなく、加害の可能性を排除する平和の大切さを、我々はあの戦争から学んだはずではないのでしょうか。

 教授たちの意見には、欧米列強の侵略から国を守ろうとした日本の歴史が語られていません。彼らは敗戦の事実だけをやり玉に挙げ、その論拠としているのが東京裁判です。

 「日本だけが悪い国だった。」

 これはマッカーサーが、日本に押し付けた戦争責任論です。彼は任務を離れた後自国の議会で答弁し、「日本がしたのは、自衛のための戦争だった。」と説明しています。

 こうした事実が判明しても、「反日教授たちは「日本軍罪悪論」を壊れた機械のように繰り返しています。国を守るために命を捧げた軍人を、国民を守らないのが軍だったと信じられない嘘を言います。

 空恐ろしいまでの偏見の上に立ち、彼らが主張する「有事法制反対論」を、明日から紹介していきます。

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