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岡田啓介回顧録 - 5 ( 職に準じた3人の警官 )

2017-07-06 15:51:15 | 徒然の記

 『岡田啓介回顧録』を、読み終えました。注意して扱ったのに本は表紙が外れ、中身も二分割となってしまいました。断捨離を実行中のため、資源ごみとして処分するのですが、手元に残しておきたいという気持ちが残ります。

 息子たちに伝えたい部分を、割愛し紹介してきましたが、暫くその作業を続けたいと思います。先ずはなんといっても、本の中心となる「2・26事件」です。息詰まるような回顧が続きます。

 「時刻は、午前五時ごろだったか。つまり、昭和11年の2月26日の朝だ。」「非常ベルが邸内に鳴り響いて、その音で、私は目を覚ましたと思うが、間髪を入れず、松尾が私の部屋に飛び込んできた。」

 松尾と言っているのは、義弟の松尾傳藏陸軍大佐のことです。氏が首相になって以来、身辺警護の役を買って出て、無給で仕えていたと言います。部屋に飛び込んで来たのは、松尾大佐の他に、警護役の土井清松巡査と村上嘉茂右衛門巡査部長の二人でした。

 「とうとう来ました、と言う。何が、どれくらい来たんだと聞くと、兵隊です。三百人くらいも押し寄せてきました。」「そんなに来られては、どうしようもないじゃないかと言えば、そんなこと言ってる場合じゃありません。すぐ避難してくださいと、手を引っ張る。」

 寝室の前の非常用の潜り戸を開け、松尾大佐が飛び出すと、銃声が起こりました。雪明りの中で見ると、既に兵たちが散兵線を布いていました。戸口で待機していた、警護役の清水巡査がこの射撃で撃ち殺されています。

 「護衛の警官は二十名ほどで、最初の十五分は、この者たちで防ぐ。そのうち警視庁の応援が駆けつけ、さらに三十分後には麻布の連隊から、軍隊が出動するという段取りであったが、なんぞはからん。その軍隊が襲撃して来たわけだ。」

 「警視庁の援隊は、予定通り駆けつけたものの、正門で兵隊たちに機関銃を突きつけられ、そのまま引き上げたそうだ。」

 邸内には、岡田氏と警護の三人だけとなり、押し寄せてくる兵たちとの応戦になります。兵は目的の岡田氏を探すため、広い邸内で小集団となり行動し、戸を破り、荒々しい靴音が響きます。

 「ぐるりと廊下を回って、また風呂場のところへ来た時、土井は私を風呂場へ押し込んで、ガラス戸を締めるや、向こうから、五六人の部下を連れた将校の一隊に出会ったらしい。」

 「村上は、風呂場の外の廊下で、洗面所の脇から大きな椅子を持ち出し、これを盾に頑張り、近づく連中にピストルで応射したが、たちまち撃ち殺されてしまった。」

 「この時土井は、たぶんピストルの弾も、撃ち尽くしたのだろう。隊長らしい将校に飛びかかり、組討ちになった。激しい物音が、風呂場の中で聞こえてくる。」

 「土井は柔道四段、剣道二段という剛の者で、手も無く、その将校を組み伏せたが、後ろから銃剣で刺されて、不憫な始末となった。」

 「やがて、物音が途絶えた。倒れた土井は、まだ息があるようで、うめき声がかすかに聞こえる。」「風呂場の中で私が動こうとすると、周りにあるものが音を立てる。すると土井が苦しい息の下から、まだ出てきては、いけませんぞと、うめくように言うんだ。」

   「二、三度、そんな注意をしてくれたと覚えている。新婚早々の男だったが、もうこと切れたらしい。」

  「松尾はどうしたのだろう。私のいる風呂場から、洗面所をへだてて中庭があり、その向こうが、私の寝室だ。ガラス戸越しに風呂場から、寝室の中まで見通せるようになっている。」

 「庭に誰かいるぞ、という声がした。寝室と中庭との間の廊下に、部下を五、六人ひきつれた下士官が現れた。」

 「ふと中庭を見ると、戸袋の脇に立っている人影がある。松尾であることが、すぐに分かった。」「撃て、と下士官が怒鳴っている。しかし兵たちは、みんな黙って、つった立ったままでいる。」

 「貴様らは、やがて満州へ行かねばならないんだぞ、満州へ行けば、朝から晩まで戦をやるんだ。今頃、こんな者が、一人や二人撃ち殺せんでどうするか。」

 「地壇だ踏んで、励ましている。それでも兵は、引き金を引かない。しかし相手はやはり上官だ。ためらっていた兵隊たちも、ついに廊下の窓から、中庭に向かって発砲した。松尾はこうして死んだ。」

 兵たちの襲撃の様子はまだ続き、岡田首相が救出されるまで、多くのことが語られていますが、敢えて警護の三人の部分を抜き書きしました。

 日本をゆるがした大事件なのに、岡田首相は、昨今の国会で見る、反日の議員諸氏のような大げさな物言いをしていません。冷静に、淡々と、まるで薄情者のように事実を語っています。

 首相の身代わりとなり、黙って撃たれた松尾大佐や、風呂場の前で応戦し、撃ち殺された村上巡査部長や、最後まで首相を気遣った土井巡査の姿に、自然と頭が下がりました。職に殉じた彼らの尊い姿に、一筋の涙を捧げました。

 こうして、岡田首相が回想録で残してくれなかったら、もし岡田首相も犠牲になっていたら、誰にも知られないままだった三人の最後です。喚いたり騒いだり、逃げまどったり、みっともない真似をせず、覚悟して死んだ三人に、私は日本の武士の姿を重ねました。

  岡田首相が、他人事のように三人の最後を語っていましたが、氏もまた武士のように、気持ちを殺していたのです。巻末の「あとがき」に書かれた、毎日新聞出版局長の森正蔵氏の言葉が、それを教えてくれました。

 「岡田元首相の、2・26事件の犠牲者対する気持ちは、家族でも、胸を打たれるものがあるという。」「松尾氏や、殉職した警官たちの位牌は家の中に祀ってあり、毎年の命日には、墓参を欠かさない。」「これだけは、うるさいくらいに気を使っているというのが、家族の話だった。」

 このあと、岡田首相が、東条内閣を倒すため、どのような働きをしたのか、敗戦後の日本を見て、どのような思いを抱いたかなど、書き残しておきたいことは、まだ幾らでもありますが、ブログはここでお終いとします。

 資源ごみとして処分するのを止め、座右の書にすると決めたので、書き写す必要がなくなりました。私がこの世とお別れするとき、私と共に灰にします。

 最後に付言しておきたいのは、このような本を出版した毎日新聞が、今では朝日に負けない反日・亡国の新聞となっていることへの怒りです。朝日にも毎日にも、経営陣の中に武士がいなくなり、時代遅れのマルクス主義者と反日の帰化人が跋扈しているのでしょうか。

 武士の魂が残っていた頃の毎日新聞を記念する意味でも、この本は捨てられなくなりました。

コメント (3)
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