ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

アジアの田舎町

2014-12-24 19:48:28 | 徒然の記
 下川裕治氏著「アジアの田舎町」(平成7年 双葉社刊)。 名古屋で読んだ3冊目の本だ。
氏は昭和29年に長野県に生まれ、新聞社勤務を経てフリーランスとなり、アジア・アフリカを中心に旅行し、週刊朝日に紀行文を連載したと、経歴に書かれている。

 「貧乏旅行について何冊か本を書いているせいか、なにか貧乏旅行の達人のように思われている。確かに貧しい旅ばかり続けて来たのは事実だが、僕の海外旅行がのっけから貧乏の二文字に色どられていたわけではない。」

 リュックを背負い、汗や汚れも恐れず、歩けるところならどこまでも自分の足で行く。安ければどんなホテルでも気にせず泊まり、宿がなければ野宿する。若い時にしかできない、乱暴で無謀で、自由気侭な楽しい旅だ。タイ、ビルマ、シンガポール、台湾、韓国、中国、インドネシアと、気の向くままに足を向ける。

 読みながら、私は55年前の自分を思い出した。
当時の私は、高校一年生。素朴な疑問と、激しい憧れを抱く16才だった。「この世界で、日本人であるということには、どんな意味があるのだろうか。世界で日本人は、どんな風に見られているのだろう。」・・・・・。なぜこのような疑問を抱くようになったのか、理由は覚えていないが、単純なだけに、心を捉えて離さない強さがあった。

 それゆえ私は、世界旅行に激しく憧れた。自分を発見するための外国なら、どうしたって放浪の旅だと確信していた。
つまり、当時の私は、下川氏のような旅がしたくてならず、そのために東京の大学を目指した。けれども当時の日本は、こんな私を拒絶し、否定し、突き放した。

 世界を自分の目で見たいという希望をどうすれば叶えられるのかと、外務省の旅券課で相談した。
「君は語学もできない。他所の国の歴史も知らない。金もない。そんな人間に渡航許可なんてどうして出せるんだ。君のような学生に外国をうろつかれたら、日本の恥だ。」
人が並びごった返していたから、彼も忙しかったのだろうが、辺り構わず怒鳴られた。

 田舎から出て来たばかりの一年生だったが、一寸の虫にも五分の魂だ。本気で怒り問いただした。
「金なら用意しますよ。百万ですか、二百万ですか。」仕送りが月に七千円の時代だったから、百万円とはおよそ12年分の生活費になる。天地が逆さまになっても手に入れられない金額だったが、怒りが私を大胆にした。

 高慢ちきな役人が詳しく説明してくれたことは、まさに世間知らずの私を打ちのめした。
日本は外貨が少ないので、たとえ金があっても渡航が難しく、国のため有益と認められるものにしかパスポートが出されないと言うこと。有益と認められるのは、政府関係者、経済界の人間、報道関係者に限られ、漫然とした観光には貴重な外貨が割り当てられない。

 為替管理、外貨、パスポート、ビザなど、今なら常識の言葉だが、当時の自分には馴染みのないもので、理解するのに時間がかかった。こんな経緯を書いていると、とてもブログに収まらないのでここいらで止めよう。
私より9才年下の下川氏が大学生だった頃には、いまいましい為替管理もなくなっていたはずだ。旅券課の担当官も、あんな居丈高な対応をしているはずがない。恥さらしでも何でも、金がなくても、若者が自由に世界へ出かけられるようにする国。これが、当たり前なのだ。

 外務省があんなへ理屈で若い者を小突き回すなんて、思えば、日本は貧しかったのだ。時代の変化の激しさを、しみじみ感じさせられる本だった。(変わらないのは、今も昔も外務省は害務省だということか。)

 恐らく氏は朝日新聞に勤務していたのだと思うが、左翼思想を振りかざすでもなかつたので、自分のできなかった旅の話を、楽しみつつ読んだ。
彼によると、茨城県の荒川沖という場所がリトルバンコクと呼ばれるタイ人の街になっているらしい。不景気になった今はどうなっているのか、暇があったらいつか足を伸ばしてみたいと思っている。


 
コメント (2)
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