Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

團伊玖磨の歌劇「ひかりごけ」の第2幕を聴きながら横浜から星川まで歩く

2008-02-20 08:07:02 | 古典~現代音楽日本編
昨日は横浜から星川駅まで歩く。
さすがにその前の日が歩きすぎたので、
無理のない短い距離にしました。

昨日は團伊玖磨の歌劇「ひかりごけ」の第2幕を聴いた。
CDは神奈川フィルハーモニーの演奏でなかなかいい。
第2幕は法廷の場で、船長が裁かれる場面である。
被告として裁かれる船長は、発言を求められるが、
なかなか、発言しようとしない。
何とか発言させようとしても出てくる言葉は、
「私は我慢しています」という言葉であり、
何を我慢しているのかを問い詰めると、
「裁判を我慢している」と船長は答える。

何で我慢しているのかを検事が聞き出そうとしても、
船長はなかなか答えようとしない。
しまいには、私にはあなたがたに裁かれても、
何も感じないといい、検事たちを怒らせる。
つまり、事件の当事者がいない中で、
誰も洞窟の中の状況を知らない人たちの中で、
裁かれても彼は裁かれているとは思えないのだ。
もちろん判決には従うというが、
当事者に裁かれない限り、意味がないと考える。
もちろん、事件の当事者たちは船長を残し、
亡くなっているのだから、
検事者たちには理解できない発言である。
だからこそ、彼は弁護を破棄する弁護士に対し、
自分を食べてほしいとまでいう。
彼は自分の首に自分がやったことの証拠として、
光の輪が見えるはずだと訴え続ける。
そして、その輪が見えるはずだから
「私を観てください」を叫ぶ中作品は終わるのである。

ところで、実際のモデルとなった船長は、
一生涯、この事件に対しての真実を
一言も語ることなく亡くなったらしい。
脚色された想像の世界である物語は、真実ではない。
真実は沈黙の中、別のところにある。
コメント
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