じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

器用と不器用ということ

2006-02-25 | 教育(education)
 他人から、「あなたは器用な人ですね」とか、「なんて君は不器用なんだ」と言われたら、どんな気がしますか。世間では「器用」はほめ言葉、「不器用」はけなし言葉だと思われていますが、はたして、実際はどうなのでしょうか。
 このことに関して、ある人は次のように話しておられます。
 《人間というのは、十五歳ぐらいになったらもう生き方が身についてしまっているんだ。こうすれば人に喜ばれる、こうすれば褒められるっていうことをみんな知っているんだよ。
 そういうのは、質問して来るにしても、側によって来るにしても、こうすれば相手が喜ぶだろうと判断して寄って来るんだ。これは意識じゃないんだ、無意識で出るんだな。》
 《俺は器用な子はだめだっていうんだ。器用な子は頭の中も器用なんだから。これはほんとだ。頭の中が器用というのは恐いで。》(小川三夫『不揃いの木を組む』)
 小川三夫さんの職業は大工、それも神社仏閣を専門に建築・修理する宮大工の棟梁です。現在、宮大工の養成塾である「鵤(いかるが)工舎」を主宰されています。高校を卒業して弟子入りを熱心に志願した、その人は西岡常一さん(一九〇八~一九九五)。奈良の法隆寺で三代続いた宮大工の棟梁でした。小川さんは二度、三度と断られながら、ついに内弟子として許されたのは二十一歳のときでした。
 最後の宮大工といわれた西岡常一さんとは、どのような人だったのでしょう。
 わからないことを聞くときには
 修業中の弟子が西岡さんに「これはどうするんですか」と尋ねたら、棟梁はかならず問いかえした。「菊池君はどう思っているんだ」。いちいち「それはこうだ」などと教えなかった。だから棟梁には不用意には質問できなかったそうです。まちがっているかもしれないけれど、「わたしはこう思う」というものをもっていないと質問にはならなかったのです。
 西岡さんは自分の息子たちにも同じ態度で接した。宿題がわからないので、聞きに行くと「お前の考えは?」とかならず聞きかえされた。また「あれはどうなっていたのや」と反対に質問されたそうです。答をかんたんに教えないというのは、はっきりした理由があったからでした。
 「先生は教える人」だと世間では思われているのに、西岡さんは弟子やわが子に対して「教える人」ではなかったのです。なぜ、彼は「教えない人」だったのでしょうか。
 教えないで教える
 棟梁が弟子を育てる唯一の方法といっていいのは「見本を示す」ことです。西岡さんのお爺さんも宮大工だった。あるとき孫の西岡さんに「鉋(かんな)はこんなふうに削るのや」といって、向こう側が透きとおってみえるほどに薄くて美しい鉋屑を孫に放り投げて、どこかへいってしまった。
 弟子の方には大工になりたいという気持ちがありますが、加えて「教えてもらいたい」という「衣」みたいなものをもっている、と西岡さんは言われます。それが修業の邪魔になるのです。自分でこの衣を解かなければならない。自分で解こうという気がないと、ものは正しく伝わらないというのは西岡さんが体験から会得した「教育」の極意です。
教えないことが教えることだというのが彼らの教育の流儀だったと言えるでしょう。今日の学校教育とは正反対ではないでしょうか。教師が教える(話す)、生徒はそれを静かに聞く(受け入れる)、これこそが教育だと見なされているのですから。(教えない教師)