じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

果報は寝て待て

2020-01-11 | 随想(essay)
 何をしなくても、時間は過ぎる。永遠というが、それはまるで時の鏡のようで、いつどこで覗いても、「時」は同じ表情をしているのだ。十年前には今日を想像できなかったように、十年後もやはり想像に余るだろう。
その時、ぼくはきっと姿かたちを消しているに違いない。いまだって、時の陰に寄り添う亡霊のごとくで、まるでつかみどころのない生活に深沈しているというほかない。誰の目にもとまらぬように、そっと密かに独り言をつぶやきながら、思いを定めているのだ。