行乞は雲のゆく如く、流れるやうでなければならない、ちょっとでも滞ったら、すぐ乱れてしまふ、与へられるまゝで生きる、木の葉の散るやうに、風の吹くやうに、縁があればとゞまり縁がなければ去る、そこまで到達しなければ何の行乞ぞやである、やっぱり歩々到着だ。・・・
夜は禄平居で句会。(写真は緑平さん)
乞ふことをやめて山を見る
いつまでいきる蜻蛉かよ
もう一度よびとめる落葉
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山頭火は大学ノートの裏表にめいっぱい書き、それが一冊になると緑平さんに送りつけて保管を頼んでいた。こうして彼の句や随筆をわたしたちが読めるのもそのおかげだ。
「緑平さんの深切に甘えて滞在することにする。緑平さんは心友だ。私を心から愛し てくれる人だ。腹の中を口にすることは下手だが、手に現して下さる。そこらを歩いて 見たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて管さあ留 . . . 本文を読む
『当然』に生きるのが本当の生活だらうけれど、私はたゞ 『必然』に生きてゐる。少なくとも此の二筋の『句』に於ては『酒』に於ては―
燃えてしまったそのまゝの灰となってゐる
風の夜の戸をたゝく音がある
しんみりぬれて人も馬も
昭和五年も暮れかけている。明くる六年は大変な年となりますが、山頭火先生には浮き世の風は吹き寄せてはこないような雰囲気です。しかしいつででも、あちこちの友人知人から . . . 本文を読む