じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

寫瓶という方法

2006-06-17 | 随想(essay)
「寫瓶」という教育方法をご存知ですか。あるいは「銀行型教育」というものを知っていられるでしょうか。  「寫瓶」というのは、瓶の口をあわせながら、一方の瓶の中身を他方の瓶に、一滴漏らさず-という意味は他人には内緒で-移し替えるという、この国だけではないかも知れぬが、技術や技法、知識や芸能の秘技を伝授する方法でした。今に残る家元制などはたぶんにその傾向があるのではないでしょうか。もっとも近年のものは . . . 本文を読む

なんのための教育?

2006-06-10 | 随想(essay)
 …学生が馴れ馴れしい口調で教員に話しかける時、あるいは浮浪者のような格好でやってくる時、また、あるいは授業中にキスをする時に、―その他に何をしているのか知りませんが―、彼らは何を行っているのでしょうか。ブルジョワ的な生活を構成する幾つかの要素、我々があたかもそれが当然のことであり、人間の本性=自然の表現であるとして受け容れているそうした要素をパロディ化しつつ、嘲笑することでないとしたら、学生は何 . . . 本文を読む

身を立て名をあげ やよはげめよ

2006-06-03 | 教育(education)
 かつて私の教室から巣立ったある子どもが中学の授業について次のように語ったことがある。「いまの勉強は与えられたことをただするだけや。みんなも言われたことをしたら、それ以上考えようとしやへん」… /その原因の一つに子どもとともに学ぶ喜びを見いだせない教師の存在がある。学校には、教えるのは教師、学ぶのは子どもという図式が存在している。いかにも当然と言えるこの図式だが、はたして一方向的な行為だけで本当の . . . 本文を読む