じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

金子ふみ子の生き方

2008-07-14 | 教室(classroom)
 7月12日(土)、宿毛市で公開授業(市役所主催)をしてきました。以下は、その際のレジュメまがいです。  「金子ふみ子という女性を知っておられますか。もう一人の金子(みすゞ)さんはいまなお有名ですが、こちらの金子さんはどうでしょうか。学校に自分をあずけられなかった人間が、どのように生きて死んだかをたどってみる、そこからどんな生き方が見えてくるか。学校に行くのが当たり前だとされる時代に生きているわた . . . 本文を読む

教師と生徒の面談―教師について

2006-05-20 | 教室(classroom)
 反学校の文化の内奥から表層まで一貫している特徴は、「権威=当局」(オーソリティ)に対する、類型的でもあれば個性的でもある抜きがたい敵愾心である。(P.ウイリス『ハマータウンの野郎ども』ちくま学芸文庫版。以下も)  ジョウイ 教師はおれたちを処分できる。教師はおれたちよりもえらいんだ。やつらにはおれたちよりもでかい組織が控えてる。おれたちのはタカがしれてるけど、教師はでっかい制度を味方にもってる . . . 本文を読む

わたしはこのように授業に参加していました

2006-05-13 | 教室(classroom)
(ある授業における「学生」のコメントから) ①《「私の嫌いなこと「考えること」でした。今まで生きてきて、学校でこのような授業は一度も受けたことはないし、学校でなくふつうの日常生活においても「考える」ことはせず、物事をすぐ決めてしまう私でした。「考える」と「悩む」に至ってしまい、答がきちんと出ないと気持ち悪くなる、だから嫌いなんです。でも、この授業は、それを私に初めて行わせました。今までの勉強が、答 . . . 本文を読む

授業は山登りです

2006-05-06 | 教室(classroom)
 授業にはさまざまな可能性があります。もっと正確にいうと、可能性の固まりのような子どもが何十人も教室にいるんです。授業の可能性とは子どもの可能性と同じことです。一人として同じものを持った子どもはいない。それぞれがちがいを持った子どもに丁寧に対面すれば、自ずから授業の様子は変わるんじゃないでしょうか。なによりもちがいとか差異といったものを認めなければ、教育の筋が曲がってしまうだろうと、わたしはいいた . . . 本文を読む

堕落論

2006-04-01 | 教室(classroom)
 <私は放校されたり、落第したり、中学を卒業したのは二十の年であつた。十八のとき父が死んで、残されたのは借金だけといふことが分かつて、私達は長屋へ住むやうになつた。お前みたいな学業嫌ひな奴が大学などへ入学しても仕方なからう、といふ周囲の説で、尤も別に大学へ入学するなといふ命令ではなかつたけれども、尤もな話であるから、私は働くことにした。小学校の代用教員になつたのである>  坂口安吾が1947年に書 . . . 本文を読む

愛国心?

2006-03-25 | 教室(classroom)
 且夫れ一定の学制を布きて国民を一様に教育せんとするは、結局行われざるのみならず、設ひ実行せらるヽも、所謂一主義を国中に弘布するものにして、国家開明の最も害とする所なり。全国民をして一様一体の精神に養成せしめんと欲せば、則ち浴衣の揃でもよし裸の揃でもよし、斉しく是れ一様なり一体なり、唯有形無形の差あるのみ。豈国民をして如此操人形に為す可けん哉。宜く精神の異同を養成して以て独立の気象を渙発す可き也。 . . . 本文を読む

教えるは教えない

2006-03-11 | 教室(classroom)
〈学校や今の教育は違いますな。まず手取り足取り教えますな。子供がわからな、教え方が悪いと言いますしな。それでそのときはこないする、こんなときはこうやったほうがいいと、こと細こうに教えますな。〉  〈しかし、そんなもんで、ものが覚えられますかいな。大工はそのときの試験に通ればいいというんやないです。仕事を覚えたらそれで一生飯を食い、家族を養い、よその人のために建物を建てるんです。建物を建てるというの . . . 本文を読む

まだ、学歴社会?

2006-03-04 | 教室(classroom)
 学歴社会は、学校を重んじるように見えはするけれども、実のところ学校の教育を重んじているわけではなく、何々学校を出たという学歴(学校を出たこと)だけを重んじているわけで、教育のほうに関心はむいていない。  今のように、一流校、二流校というふうに学校が格づけされ、それに入るために、大学以下、高校、中学、幼稚園でも、一流の上位校の入学試験への準備に、教育がついやされるということになると、しかも、その入 . . . 本文を読む

私は立たない 洗っています

2006-02-11 | 教室(classroom)
 もともと「教育」という行いは文化そのものだったといいたいのです。土地に根ざして営まれていたという意味です。それぞれの作物にふさわしい土壌があるように、その土地に根ざした「教えと学び」のスタイルがあったのです。にもかかわらず<教える>に特化してきたのが日本の近代学校教育でした。国是・国策としての「近代化」はひとえに教育、それも学校教育に頼りきりにならなければ進められなかったと信じられたからです。 . . . 本文を読む