じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

果報は寝て待て

2020-01-11 | 随想(essay)
 何をしなくても、時間は過ぎる。永遠というが、それはまるで時の鏡のようで、いつどこで覗いても、「時」は同じ表情をしているのだ。十年前には今日を想像できなかったように、十年後もやはり想像に余るだろう。 その時、ぼくはきっと姿かたちを消しているに違いない。いまだって、時の陰に寄り添う亡霊のごとくで、まるでつかみどころのない生活に深沈しているというほかない。誰の目にもとまらぬように、そっと密かに独り言を . . . 本文を読む

大災害に紛れたように

2011-04-28 | 論評(comment)
 今月十二日、日本臓器移植ネットワークは脳死判定を受けた十~十五歳未満の男子から臓器提供を受けた患者やを発表した。同ネットによると「男子の心臓は大阪大病院で心筋症の十代の男子に、肺は東北大病院で高血圧症の五十代代の女性に、肝臓は北海道大で肝疾患の二十代の男性に、膵臓と片方の腎臓は藤田保健衛生大病院(愛知県)で腎症の三十代の女性に、もう一つの腎臓は新潟大医師学総合病院で腎症の四十代の男性に移植される . . . 本文を読む

サイテー

2011-03-21 | 論評(comment)
「放射能がくる」の表紙に批判、アエラが謝罪(読売新聞) - goo ニュース    なんということですか。謝罪するなら発行しなければいいのに、そんな一ミリの判断力もないというのは、情けないというか最低と言うべきか。  「本当にこの地震が起こってよかった」と宣った脳天気な府議会議長がいたし、「これはやっぱり天罰だな」と嘯(うそぶ)いたどこかの知事がいました。火事場泥棒とはいわない(それよりももっと質 . . . 本文を読む

いまもなお東大主義なんだ

2011-01-15 | 教育(education)
 都教委は都立の全百九十一校のうち、生徒の多くが東大など難関国公立大を目指す七校を「進学指導重点校」とし、そのほかの国立大や早、慶、上智など有名私立大を狙う五校を「進学指導特別推進校」と定めている。/しかし、都立最高峰の日比谷を除く、各校では近年、目標大学への合格者数が伸び悩み、減少する学校も出ている。都教委は各校の進学指導を見直し、生徒の学力データ分析の徹底や部活動、学校行事の活動時間のルール化 . . . 本文を読む

いつでもアンダンテ、それがいい

2010-12-23 | 随想(essay)
 いつものようにラジオ深夜便を聞き流していたら、元宝塚のトップだった瀬戸内美八(ミヤ)(徳島県在住)さんのインタビューが聞こえてきた。その生き方たるや、すごいというか、肩肘はらないというか。中学校くらいまではタカラヅカに興味をもっていた前科のせいで、彼女の名前は知っていました。退団後のアメリカ留学やその後の生活を明るく語っておられたが、その内容は中途半端じゃないものでしたぜ。一攫千金を夢見たか、讃 . . . 本文を読む

金子ふみ子の生き方

2008-07-14 | 教室(classroom)
 7月12日(土)、宿毛市で公開授業(市役所主催)をしてきました。以下は、その際のレジュメまがいです。  「金子ふみ子という女性を知っておられますか。もう一人の金子(みすゞ)さんはいまなお有名ですが、こちらの金子さんはどうでしょうか。学校に自分をあずけられなかった人間が、どのように生きて死んだかをたどってみる、そこからどんな生き方が見えてくるか。学校に行くのが当たり前だとされる時代に生きているわた . . . 本文を読む

裁判員になりたい?

2008-04-26 | 随想(essay)
 来年の五月から裁判員制度が始まるらしい。法律制定から五年が経過し、いよいよ本番だというのである。しかし課題は山積している。制度の根本のところに大きな欠陥があるのは否定できない。二十歳以上の選挙権を有する者(日本国籍をもつ)を裁判員候補の有資格者としているが、それがどうして七十歳までなのか、腑に落ちない。  七十ともなれば、どんな人間も判断力も体力も著しく落ちるのだから、そんな存在に裁判員になって . . . 本文を読む

久方の光のどけき「虹の足」です

2008-04-02 | 随想(essay)
 虹の足                  吉野 弘 雨があがって 雲間から  乾麺みたいに真直な  陽射しがたくさん地上に刺さり  行く手に榛名山が見えたころ  山路を上るバスの中で見たのだ、虹の足を。 眼下にひろがる田圃の上に  虹がそっと足を下ろしたのを!  野面にすらりと足を置いて  虹のアーチが軽やかに  すっくと空に立ったのを!   . . . 本文を読む

気分を一新して、さてどうしようか

2007-09-23 | 随想(essay)
 四季の移ろいなどというのは、はるかな昔の風情でした。今では自然界も人心も変調の極北に向かっているようなもので、わが身一つのしまつにさえ手を焼いているのです。  政治の世界も無責任の一列縦隊です。職を賭して入院されたのが総理大臣なら、職を賭けて不正を働くのが企業人であり、役人でした。不正なら、だれにも負けないぞとばかり、いやにまめまめしく、悪事を働こうというのだから、性質が悪すぎますな。老いも若き . . . 本文を読む

いつまでいくる蜻蛉かよ(十一月二十九日)

2007-07-21 | 随想(essay)
 行乞は雲のゆく如く、流れるやうでなければならない、ちょっとでも滞ったら、すぐ乱れてしまふ、与へられるまゝで生きる、木の葉の散るやうに、風の吹くやうに、縁があればとゞまり縁がなければ去る、そこまで到達しなければ何の行乞ぞやである、やっぱり歩々到着だ。・・・  夜は禄平居で句会。(写真は緑平さん)   乞ふことをやめて山を見る   いつまでいきる蜻蛉かよ   もう一度よびとめる落葉 . . . 本文を読む