そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

”切れ目がない”とは、”際限ない”ということである

2015-02-13 | 戦争
安倍政権は、集団的自衛権行使容認に向けて、安全保障の法整備のために与党協議を始めた。座長を務める自民党の高村副総裁は、「国民の命と暮らしを守るための法制を、現行憲法の範囲内で、あらゆる事態に”切れ目なく”対応できるものを作るために、建設的な議論をしていきたい。できれば3月中のそれほど遅くない時期にまとめたい」と述べた。
もう一つの与党の公明党は、支持母体の創価学会の意向に逆らう形で、昨年安倍首相の集団的自衛権行使容認を認めた。武力行使の三要件を設けたが、「密接な関係にある他国が・・」の他国はアメリカを意味していると公明党に含ませていた。
処がすでに、オーストラリアも密接な関係あいある国と言えるなどと高村に発言され、座長代理の北川公明党副代表はもみ消しに躍起になっている。
こんなこと初めからはっきりしている。騙された公明党が悪いのである。政権与党に留まりたいために、安倍政権の出す危険な方向をズブズブと認めてきたことを反省すればいいのである。
切れ目ない対応とは、結局際限なく広がることである。どこにでも派兵できるし、どの国とも密接なな関係になるし、どんな微細なことでも、武力で関わることになるのである。
そもそも、戦争や紛争は戦闘相手の弱いところを攻めるのが常道である。机上で戦闘を予測したり際限なく事例を列挙しても、何の意味もない。戦闘とは、予測を超えることで勝利することになるため、日本が規制を加えて参戦するなら必ず標的にされることになる。
戦争や紛争は、参戦するかしないかのどちらかしかないのである。ちょっとだけ参戦するとか、後方支援とか武器の供与とか、ましてやグレーゾーンなどと言う現実は存在することはない。仮にあったとしてもそんなものは、瞬時に変わるものである。戦闘相手は、ちょっとだけ参戦する日本を攻撃する方が攻めやすい。
切れ目なくとはどんな状況でも戦闘に加わるということで、際限なく戦闘に加わるということである。そうして意味で安倍首相の言うことは正しい。戦闘に加わるなら中途半端はダメと言っているのであるから。ところが言葉では、戦闘に加わることはないだの平和国家日本は変わらにだのと発言しているが、これは嘘である。そんなことはできるはずがない。

戦争は参戦するかしないか、どちらかしかないのである。現行日本国憲法下の日本が、この70年それを証明してきたいるではないか。安倍晋三は本気で参戦できる国づくりをやろうとしていることに、日本国民が早く気が付いて欲しいのである。

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