そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

慰霊の日のもう一つの旧陸軍を称える慰霊祭

2017-06-26 | 沖縄問題
沖縄で戦った日本兵士の多くが、北海道出身兵であったことはあまり知られていない。その多くは不可侵条約を締結しているソビエトに接する、満州から回されたものである。南方に向けられたものも数多くいた。終戦の1年ほど前のことである。
当地の元酪農家で沖縄線で砲兵として戦い、九死に一生ではなく百死に一生を得た方がいた。その元日本兵の方は、戦友の全員が死亡していたことを知ったのは、自らが投降した10月に入ってからであった。慰霊の日から4ヶ月後のことである。
この元酪農家の日本兵の方に合計で15時間ほど話を聞き、文字起こしをして紙芝居にして、別海九条の会で何度も講演した。この元日本兵の方は、敗走を繰り返し摩文仁の海岸で住民に声かけられ生き延びた。その後も5か月間も森の中を逃げ通したのである。
元日本兵は米軍の収容所で、住民や兵士たちに惨殺される日本兵を何人も見たという。元日本兵の方は国に騙されたと気が付いたのは、息子たちが酪農を引き継がず離農してからだと言ってくれた。元日本兵は北海道から、36回も沖縄に慰霊に訪れている。戦った仲間たちとの約束だというのである。天皇陛下万歳と叫んで死んだ人間は一人しか知らない。住民を巻き込んだ戦争と、米軍の圧倒的な戦力を敗走しながら知って、言い知れぬ無念さを思ったと言ってくれた。
元日本兵が数日生死を彷徨っていたのが摩文仁の海岸である。ほとんど隣で起きていたひめゆりのことも知らなかったという。その摩文仁にいち早く、1952年に建てられたのが黎明の塔である。祀られてるのは牛島満中将と参謀長長勇である。
そもそも、沖縄の慰霊の日とは牛島中将が自決した翌日のことである。牛島達参謀は兵士に最後まで戦えと言い残している。指揮系統は崩壊していたとはいえ、沖縄の戦禍を拡大させた張本人である。この黎明の塔に、慰霊の日の早朝に沖縄駐屯地の自衛隊員が制服で慰霊に来るのである。今日の中東の混迷を招いたアメリカのイラン侵攻をした翌年の、2004年から欠かさず慰霊祭は行われている。この年初めて自衛隊が海外派兵を行っている。
黎明の塔であるから早朝なのかもしれないが、公式行事でないと言いながら制服で旧日本の幹部を慰霊する姿は、県民に隠れた行為にしか見えない。軍部を礼賛する姿は、平和を誓う慰霊の日に似つかわしくない。沖縄県民の抗議に対して、個人的な慰霊と回答している。どう見ても組織的な慰霊であるが、後ろめたさを持っているのであればまだいいのであるが、自衛隊配備の強化増強が沖縄で進むもう一つの姿である。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 沖縄にまで来てまで心にもな... | トップ | いよいよバカ丸出しの安倍晋... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (タンケ)
2017-06-26 16:44:20
この記事の写真にある自衛隊幹部と思しき者らの制服を見ると、「悪い冗談はよせ」という気持ちにさせられる。これはかつての敵、米軍の制服そのものではないか。負けたとは言え、住民巻き添えにした凄絶な戦争の敵米軍の制服着た自衛隊幹部に慰霊にこんな姿で慰霊されるかつての日本側戦死者らはどんな思いだろう。こんな無神経無思慮をやり続けるから、日本政府は沖縄の人々に永劫信頼信用されないのだ。

今や事実アメリカ植民地の日本だが、本当にかつての戦死者らを慰霊追悼するつもりなら、せめて米軍類似制服など脱いで慰霊すべきではないのか。

アベシンゾに象徴される如く、悉くその場凌ぎで軽率で見識知性真摯さに欠け無責任な日本の権力者らゆえに、沖縄問題のみならず日本全体のあらゆる問題が解決しないのである。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

沖縄問題」カテゴリの最新記事