そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

表現はどこまでも自由か?

2015-01-17 | 国際・政治
パリの風刺漫画誌シャルリー・エブドは、テロ攻撃を受けて職員10名が殺害される、大事件・甚大な被害を受けた。
それを受けて、通常は3万部発行程度のこの小さな風刺漫画誌は25カ国に訳されて、なんと500万部も発行した。よくやったというには、余りにも大量発行である。事件を逆手にとった、行為と言えなくはないだろうか。悲劇を商品にするとは、いかにもフランスらしくもあるが、金儲けに走る品性を欠く為と言える。
しかも、表紙を飾るのは、あらゆるイスラム宗派が忌み嫌う、預言者を直接風刺したものであると言える。穏健なイスラム教徒も、この行為には批判的である。世界各国の首脳が参加したデモに、モロッコの首相が欠席したが、その理由にシャルリー・エブドのこうした姿勢があるとされる。
表現の自由は品性があってのことであろう。特にフランスならそうした知性はどこかであったはずであるが、かなぐり捨てたと言わざるを得ない。

翻って、日本にこのようなことはないかと思えば、天皇を侮辱する風刺画がこれに当たるかもしれない。日本の場合は、右翼の攻撃が怖ろしく誰も天皇を侮辱するような風刺画は描かない。
世界がこれほど騒ぐ背景は、イスラム国などの脅威が背景にあるが、日本の朝日新聞を攻撃した一連の赤報隊と呼ばれる右翼団体は、摘発されてもいない。
ましてや、表現の自由を訴えて行動した政治家は、少なくとも与党には誰もいなかった。
長崎市長への銃撃も、右翼が天皇責任論を口にした市長へのテロと行為と言える。古くは、社会党の浅沼委員長が右翼青年に、演説会場で刺殺されている。日米安保条約反対をさえこむ行為と言える。言論へのテロ、言論、表現の自由に対する攻撃と、ほんの短い期間騒がれるだけであある。
日本には、表現の自由に対する大きな運動起きてはこない。

今回のシャルリー・エブドが受けた、テロ殺人行為は容認されるべきではないが、反テロ一と表現の自由を打ち出してはいるが、支持する世界各国の思惑は一様ではない。反イスラムの風潮もあり、自国が抱える反政府運動の抑え込みもあり、EUの直面する問題の転嫁などもある。
その中にあって、シャルリー・エブド誌は無限の表現の自由を獲得したわけではないだろう。


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